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      <title>月岡公認会計士事務所</title>
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      <description>月岡公認会計士事務所ブログ　東京の公認会計士/公認会計士事務所・会計事務所（東京都千代田区）
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      <language>ja</language>
      <copyright>Copyright 2010</copyright>
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         <title>堀　紘一　「日本の成長戦略」を読んで </title>
         <description>こんばんは。月岡です。
 
　今朝、娘がゴミ出しに着いてきてくれました。娘と手をつなぎながらいくゴミ出しは、いつもと違って楽しい心弾むものでした。
 
　久しぶりに堀紘一氏の本を読みました。つい最近出版された「日本の成長戦略」です。前回の「世界連鎖恐慌の犯人」以来ですから1年ぶりくらいでしょうか。民主党があまりにふがいないせいか、この手の本が最近よく出版されています。それらの本の中でも、突拍子もない内容を多く含んでいて面白く読みました。もちろん長期的にも実現可能性が低い提言もありますし、個人的には賛同できない箇所もいくつもあります。しかし、日本の現状はもはや直視できないほどひどい状況ですから、本来なら議員も役人も当然国民自身も、20年、30年先を見据えた思い切った行動をとらなければなりません。それにも係らず、いまだお金をばら撒く話ばかりがなされ（10年以上に渡って目の前にお金をばら撒き続けたにも係らず、さしたる効果も無く）、具体的な行動と不退転の決意を伴った長期的な方向性・戦略が示されることがありません。若者はどんどん内向きになり、しらけきっています。世界も、もはや日本を無視する（ジャパン・パッシング）のではなく、日本自体のリスク（デフォルトリスク）に怯えています。こうした状況に、この本が少しでも光を当てることができるとしたら、素晴らしいと思いますし、今の日本の現状を甘く見ている方がその現実を理解するだけでも意味があることと思います。
 
　この本の中で、そうかもしれないと思った箇所です。
『サービス業に頼ってＧＤＰを伸ばしていこうとする考え方にはそもそも無理がある。そうした国家モデルでやってきたアメリカでは、貧富の差がますます拡大し、治安も悪くなってきている。
サービス業には、牛丼屋でもコンビ二でも、人間をロボット代わりに時給いくらで使おうという気持ちが強すぎる。この点、製造業は、派遣切りの問題はあるにせよ、労働者の経験や創意工夫を大切にし、人間として扱う伝統がある。
いまやコンビ二もさすがに飽和状態になっている。またインターネットや通販が発達したことで、デパートやスーパーも苦戦している。たとえば、楽天やアマゾンが良い例である。商品を売るのに店舗はいらないし、人的こすとも少なくてすむ。消費者にとっても、自宅にいながらにして注文ができ、配送料も無料のケースがあるから、お得感がある。
こうなるとサービス業が雇用を生み出すという論理が崩れてしまう。』
 
筆者は、だからこそソフトとハードをセットにした高付加価値製造業で勝負すべきだとします。私には、この高付加価値製造業がどれほどの雇用を生み出すことになるのかわかりません。しかし、中国、ベトナム等の労働コストの低いメーカーと勝負ができ、結果として、地方の高校生が地元で就職できるような雇用を生み出すには、そうした複合技にかけるしかないのかもしれません。
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         <pubDate>Thu, 02 Sep 2010 23:45:15 +0900</pubDate>
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         <title>山田昌弘　『新平等社会』を読んで </title>
         <description>こんばんは。月岡です。
 
連日、猛暑ですので、私は外に出るのが嫌になってしまうのですが、こういう日こそプール日和ですね。娘は今日もプールで遊んだようです。以前は、顔を水につけられませんでしたが、最近は頭を全部に水に沈められるようになったと得意げに、少し照れながら話してくれました。娘の日々の成長はうれしいの一言です。その成長を見るとき、私自身の成長はどうだろうか、日々成長しているだろうか、娘に負けていないだろうか、娘を教育できる姿勢・生き方であろうか、と問う良い機会になっています。
 
この前、山田正弘氏の『新平等社会』という本を読みました。初版が２００６年ですから、読まれた方もずいぶんいらっしゃるでしょう。その前に書かれた『希望格差社』が格差問題の火付け役となりましたが、この『新平等社会』は、それらの格差に関する分析と筆者の見解、処方箋を示しています。日本の現状を理解する上で、非常に面白い本だと思います。筆者の処方箋として（これがこの本の肝だと思うのですが）、生産性の低い職種の人に対する支援と、就職期・子育て期の支援、様々なライフコースにおける対応した社会保険制度をあげています。それら処方箋の多くが企業の活動に一定の制限を設けるか、国や自治体が負担するか、という誰かがお金を負担することがほとんどです。しかし、そうしたことが、現在の国家・社会の財政状態の中で、どこまで可能なのか、ということでしょう。これらを着実に実施した場合にかかる費用総額には検討もつきませんが、国家予算総額を上げるか、他の支出を減らすしかありません。これ以上赤字を増やさないとすれば、他の支出を減らすしかなく、そのしわ寄せを許容できるかどうかということです。
極端な考えですが、超有名な経営コンサルタントは生産性の低い職種の人に対して国家が税金を使って、職業訓練したところで、他のアジアのハングリーで勤勉で、安価な労働力にかなうはずも無く無駄である、むしろ世界に打って出る可能性のある有能な若者に国家のお金は使い、彼らがお金を稼ぎ、税金を納めて、それで初めて生産性の低い者を扶養するべきである、というニュアンスの意見が出されていました。こうした考えも、一方で当然考慮すべきでしょう。
 
この本の中で、面白いと思ったのが以下の箇所です。
『日本の福祉社会では、高齢期の生活リスクへの対応は相当十分になった一方、「子育てしながら生活するリスク」に対しては、ほとんど対応をしてこなかった。エスピーニ＝アンデルセンによると、日本は、高齢者への社会的サービス給付を1とした場合、若者への給付比率が、先進国中最低の0.18となっている（１９９２年の比較。アイルランドは１を超え、北欧諸国は0.8-1.0レベルである）。それゆえ、若者は、男性の収入が高くなるまで結婚を延期するようになり、初婚年齢が上昇し、未婚率が高まる。特に親の収入が高い女性と収入が低い男性に未婚者が集中する。その結果、マクロ的には、少子化が進行し、将来の社会保障制度を揺るがすのである。つまり、現在の「子育て期に生活するリスク」を回避する手段は子供を産まないことである。離婚や夫の失業のリスクを回避する方策は、結婚をしないことである。エスピーニ＝アンデルセンは、この事態を少子均衡化と呼んでいる。しかし、子供の数が少なくなれば、、現役の働き手が徐々に減少することにつながり、結果的に、将来の「高齢期に生活するリスク」を高めることになる。これは一時しのぎの対応で、若者にとってはリスクの先送りにすぎない。』としています。もはや男性が働き、女性は専業主婦で、子供がいるという家族主義では、現代の高度にグローバル化し、成熟した日本社会では十分に対応できなくなっています。シングルマザーを含め育児期の女性が働いて生活費をかせぐことが容易である社会を推進しなければ、社会の成長発展・維持が困難になっています。その体制をサポートする社会福祉のあり方の整備が、日本の喫緊の課題の一つでしょう。
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         <pubDate>Fri, 27 Aug 2010 22:42:49 +0900</pubDate>
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         <title>諏訪哲二　「自己チュー親子」を読んで </title>
         <description>こんばんは。月岡です。
 
本日、近所のお寺で町の盆踊り大会をやっておりました。娘が浴衣に着替えるものですから、私も大学時代の浴衣を久しぶりに着ましたが、帯の結び方を忘れていて、時間がかかりました。娘は、私が歌う東京音頭に気持ちよく踊ったりもするのですが、本番の盆踊りでは、私自身が踊れないせいか、娘も踊らずに踊りの輪を遠くから眺めているだけでした。娘と一緒に踊れたら楽しいでしょうね。これは今後の課題の一つです。
 
さて先日、諏訪哲二氏の『自己チュー親子』という中公新書を読みました。題名からすると、あまり内容もなく軽薄な本をイメージするのですが、実際はかなり硬派な本です。とても面白い内容の本でした。この「自己チュー」について、前書きで説明しています。
 
『「私」は本来、独りでは生きられない。ほかの人たちに敬意や同情心を持たず、「私」を超えた普遍や絶対に対する畏れの気持ちを持たず、「私だけの私」「自分だけの自分」で生きようとすると、破壊的な「自己チュー」な人間ができあがる。』として、このような「私」を作り上げてきた時代的、文化的、社会的な背景に触れていきます。その説明には、なかなか説得力があって、首肯せざる得ません。その中で、ニートや引きこもり、秋葉原事件の加藤青年にも触れていきます。その文章の後半に、オンリーワンを尊ぶ教育の危険性についてこう言っています。
 
『彼ら（引きこもり）の悲劇は、誰もが無限の可能性を秘めている、という絵空事が本気で信じられてしまっていることであり、かつ、その「誰も」と彼らの内的自己とがぴったりと重なってしまっていることである。したがって、就職などの現実生活で「自己」が破綻すればするほど、より強く「自己」の可能性（無限性）が信じられていく構造となっている。まだ「本当の私」に出会っていない、として、さらに「自己」の奥の奥へと入っていくことになる。
（中略）
もちろん、彼らは働きたいのである。しかし、社会やまわりや他人に妥協した働き方はしたくない。そういうことは「私」の真実に対する裏切りだと思っている。彼らに「自己」に合った仕事が見つからないから苦しんでいる。
　そして、「自己」に合った仕事などあるはずないのである。そういう当たり前のことを、まず再確認しないといけない。これが最初の一歩である。仕事と「自己」とは同じ水平にはいない、ということである。』
 
この「自己」に対する絶対的な感覚が、彼らを生きづらくしているのは明らかなのですが、そうしたことを当然とする教育を受けていて、その価値観が漫画やテレビや歌などのまわりの環境にあふれているために、その価値観にどっぷりと浸ってしまい、逃れられないのですね。
子供は皆、身勝手で全能感を持っているものですが、学校やアルバイトなどの社会体験を通じて、こうした感覚が是正されていくのが通常でしょう。しかし、昨今の学校や子供は、個人同士の比較を嫌がりますし、親も子供が傷つくのを嫌がりますから、絶対的な「自己」が残されたまま大人になってしまうことが多いのでしょう。これは、準備の出来ていない子供をいきなり社会という荒波に投げ入れるようなものですから、その拒絶反応が「引きこもり」として強く出てしまうということもあるのだと思います。本当に子供のことを思うならば、人間の可能性が無限だと無責任に言うだけではなく、その限界についても自分自身で触れ感じることのできる機会を設けてあげることも必要なのでしょう。
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         <pubDate>Wed, 11 Aug 2010 22:20:17 +0900</pubDate>
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         <title>自問と自省</title>
         <description>こんばんは。月岡です。

ご無沙汰しております。久しぶりに更新したいと思います。

娘を見ていると日々成長しているのはよくわかります。色々な言葉、文字、数字を覚えるようになりました。ただ、子供の成長は、必ずしも親の希望通りに進まないものですから、娘のちょっとした言動に親自身がくよくよしたり、怒ったりします。こうしたことはビジネスでも何でもまったく同じだと思います。

昨日と同じ日は1日とてなく、晴れの日もあれば曇りの日もありで、外的な要因にぶんぶんと振り回されて、日々泣いたり怒ったりの繰り返しで、自分の信念と申しかますか、土台がしっかりしていないとつくづく感じています。私のパソコンの横に、自分の目標とするべき心構えと自分と社会に対する将来の希望を記した紙が貼ってありますが、その境地にはあまりにも遠く、そもそも貼ってあることすら忘れてしまうことに自分自身呆れます。ふと落ち着いた瞬間に、そうだ、そうだ、忘れていたと紙に目をやり、一人得心するのですが、こうした情けない態度では目標にたどり着くにはいつになることか想像もつきません。しかし、自分自身でかくあるべきという心構えを持ち、それと現状とを照らし合わせて、反省するという作業をときどきでも行わなければ、なかなか前に進めないし、進んだと思っていても本当にそれで良いのか、迷ってばかりだろうと思います。

2月号のハーバード・ビジネス・レビューに「自問と自省のすすめ」という記事がありました。これはハーバード・ビジネススクール教授のロバート・スティーブン・キャプラン氏が記載したものです。その中で、リーダーたちが定期的に自問自答すべき7つの質問を説明しています。7つの質問とは以下のとおりです。
１．どれくらいの頻度でビジョンを伝えているか。何がビジョンであり、何が優先課題なのかを問われて、部下たちは答えられるか。
２．自分の時間をどのように使っているか。
３．部下たちに、行動を起こすきっかけとなるようなフィードバックを、タイミングよく与えているか。耳が痛いとはいえ、聞かなければならない話をしてくれる年下の社員が5,6人いるか。
４．頭のなかでは、後継者候補を少なくとも一人、あるいは数人選んでいるか。
５．アンテナを張りめぐらし事業環境の変化を察知し、それに応じて事業を見直したり、運営方法を変えたりしているか。
６．プレッシャーがかかると、どのような行動に出るか。その行動は、部下たちにどのような信号を送っているのか。
７．自分のリーダーシップスタイルは、本当の私をきちんと反映しているか。

どれもなるほどと思いますが、この中で特に面白いと思ったのは、２．の「時間の使い方」です。記事では「私はリーダーたちに、一週間単位で記録すると同時に、事業開拓、人材管理、戦略立案など活動分野に費やした時間を分類することを勧めてきた。ほとんどの人がその結果に驚いた、いやぞっとしたといってよい。最優先すべき課題とそれに費やされた時間がまったく対応していないことが明らかになるからだ。リーダーがどのように時間を使っているかという問題は、本人のみならず、そのチームにとっても重要である。」

どうでしょう。やるべき課題に時間が重点的に費やされていないということは、うすうす感じていることかも知れませんが、そうした事実をはっきりと自覚することが次の行動への一歩になるのでしょう。</description>
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         <pubDate>Thu, 18 Feb 2010 00:04:04 +0900</pubDate>
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         <title>中村天風　「積極性と人生」をきいて</title>
         <description>こんばんは。月岡です。

今日は天気が良かったですし、年末も近づいているので、大掃除をしました。娘はお手伝いをしてくれましたが、途中から飽きてしまったようです。そこで、2時過ぎごろから散歩に行きました。娘は最近走るのが好きな様で、「気持ちいいね。」と言いながら散歩中ずっと走っていました。「パパも走って。パパ走れないの。」と私にも走ることを強要するのには少々閉口しましたが。

中村天風講演録ＣＤ「積極性と人生」をききました。私は天風ファンではありませんが、何冊か本を読んだことはあります。しかし、肉声は初めて聞きました。かなりだみ声ですが、しっかりした力強い声です。この講演録は、積極性の重要性が多面的に語られていて、とても面白く興味深く聞けます。天風氏の本を読んだことがある人はもちろんのこと、無い人でも十分に理解できるような平易な言葉で語られていますので、ご興味のある人は聞いてみてください。

このＣＤを聞いた後、天風氏の本をペラペラと久しぶりに読みました。その中で一つご紹介いたします。ＣＤもそうですが、氏の言葉はユーモアたっぷりのべらんめぇ調です。そこが魅力の一つです。

「生きている以上はみだりに死ぬことは許されない。と同時に、みだりに生きることも許されない。
　ところが、おおむね多くの人々はみだりに生きているから、人生の三大不幸という病や煩悶や貧乏というものに侵されがちだ。だから、病、煩悶、貧乏というのは、この論理から結論すると、自ら招いたことになりますね。
　現在、病をもったり、煩悶をもったり、貧乏な人は、ここいらで反省しなきゃ駄目だよ。「ああ、そうか、私は貧乏神と縁が切れない人間と思ったら、そうじゃなかった。自分で招いたことなんだ。」
そうですよ。あなた方のほうでもってウインクを与えるから、貧乏神が来るんだ。変なものにウインクを与えなさんなよ。
「玉磨かざれば光なし」の歌にもあるけど、石も磨けば玉になることがあることを忘れちゃ駄目だ。「私なんか駄目だ」と捨てちゃ駄目だ。百歩譲って、いくら磨いてても玉にならないとしてもだよ、磨かない玉よりはよくなるぜ。ここいらが非常に味のあるところじゃないか。」</description>
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         <pubDate>Sun, 13 Dec 2009 00:32:00 +0900</pubDate>
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      <item>
         <title>稲盛和夫　「どう生きるのか　なぜ生きるのか」を聴いて</title>
         <description>こんばんは。月岡です。

本日、娘はジブリの美術館に行ってきたようです。とても楽しかったようですので、私も嬉しい限りです。娘がお風呂から上がると、私に「パパに会えなくて、さびしかったよう。」と言ってくれたのですが、今朝もベランダまで出て見送りしてくれましたから、離れていたのはわずか12時間くらいです。そこをあえてさびしいと言ってくれるのは、娘以外にはいないでしょう。


稲盛和夫氏の「どう生きるのか　なぜ生きるのか」というＣＤブックに付いているＣＤを家へ帰る道すがらと食後に書斎でききました。最初は本に附属で付いているＣＤなので、本の内容の一部、数分で終わるものかと思いましたが、そうではなく本のすべての内容が入っていました。そのことだけでもビックリしましたが、その内容がとてもすばらしいと思います。内容は題名のとおりのことが、力強く、確信に満ちた言葉で語られています。この内容で、書籍とＣＤで1,785円は驚きの価格です。これと同じ内容のＣＤをＫＣＣＳマネジメントコンサルティング（稲盛氏の講演のＣＤを販売している会社）で購入すると3,000円（＋送料500円）はしますから、非常にリーズナブルと言えます。私は別にサン・マーク出版さんからお願いされているわけではありませんが、特にお勧めです。

内容については、稲盛氏の経営論ではありません。人生は何のためにあるのか、その目的は何なのか、どのように生きればよいのかということが、分かりやすく語られています。本の中で、稲盛氏がシルバーバーチに触れていたので、私は本当に驚きました。シルバーバーチというのはイギリスの交霊会に登場するインディアンの霊で、その言葉は「シルバーバーチの霊言集」として出版されています。私も、大学1,2年生の頃、かれこれ20年近く前ですが、下宿のあった東横線の新丸子という駅前の小さな本屋で見つけて読んだ本でした。こうした非科学で眉唾のお話と一般的には思えるような本に、あの大会社の創業者が触れられているのが驚きだったのです。私も学生時代に、人が何のために生きるのかが知りたくて悩んでいるときに手に取った本でした。その（私にとっては懐かしい）本からの引用で、この世の中には「因果応報」という法則があり、これは一分一厘の狂いもない、としています。この言葉だけでも、生き方として迷いの一部がとれ、背筋が伸びる思いがしますが、最終的には生きる目的は以下のことだとしています。

「心を高めるということは、生まれたときよりも少しでも美しい心になって死んでいくことだと思う。生まれたときよりは死ぬときの魂のほうが少しは進歩した、少しは心が磨かれたという状態。それは、身勝手で感情的な自我が抑えられ、心に安らぎを覚え、やさしい思いやりの心がしだいに芽生え、わずかなりとも利他の心が生まれるというような状態だ。また、そのように心を高めていくことこそが、我々の生きる目的だ。」

こうした生き方そのものを語る稲盛氏はもはや大企業の創業者、名経営者という範疇には納まりません。ほぼ聖職者です。
私は氏のＣＤを聞いていると力が湧いてきます。皆様も是非聞いてみてください。</description>
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         <pubDate>Wed, 02 Dec 2009 23:59:59 +0900</pubDate>
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         <title>稲盛和夫　「実学」を読んで</title>
         <description>こんばんは。月岡です。

私は今年の春ごろから１年間だけ町内会の班長という大役を仰せつかっているものですので、本日「歳末助け合い募金」の集金に、娘とともに近所をまわりました。寒い中だったのですが、娘はキョロキョロチョコチョコしながら、私について来てくれました。班の方が娘を見て笑顔で「ご苦労様」と声をかけてくださるし、何より娘が一緒ですので、こうした行為も大して苦になりませんでした。

先日、ある方から稲盛和夫氏の「実学」という本を薦められたので、本日読みました。私は稲盛氏がとても好きで、はっきり言ってファンなのですが、この本は氏が会計について書いた本であるため、専門家のはしくれとして、このような（失礼ながら）アマチュアの書いた本を読むことにためらいがありました。ですが、とても面白く読むことができました。京セラでは、アメーバ経営など特殊な管理会計を使っていますが、それは標準原価計算の限界がそうさせていることや、キャッシュフロー経営の重要性、固定費の増加（特に間接人件費の増加）に注意すること、設備は中古品で我慢することや、売れ残りの在庫品を廃棄すること、まとめ買いはしないこと、ダブルチェックシステムの徹底することなど、氏の経営論と会計が直結している点が随所にあり、とても面白いと思います。
しかし、氏はアメーバ経営などのユニークな経営システムを持っているだけではだめだとしています。

「一番大切なことは、経営者が社員から信頼され尊敬されていることであり、そのような経営者が自ら現場に行き、現場で担当する人たちに直接仕事の意義や目標などを話していくことなのである。すなわち経営者自らが職場の会議やコンパを通じて社員とふれあい、自分の思いを直接伝えていくことが必要なのである。
　良い採算制度があるから採算が上がるのではなく、現場の人たちが採算を上げようと思うから上がるのである。そのためには経営者自身が、必要なエネルギーを現場の人たちに直接注ぐことが大切になる。私はそれを「魂を注入する」と呼んでいる。
　そうして初めて、社員も心からやる気になってくれる。私は「なぜ京セラはそんなに利益が出るんですか」と訊かれたときに、「ウチは社員がよく頑張ってくれているからです。」という言葉が、心から何のためらいもなく出る。経営者が魂を注入しなければ、どんなすぐれた経営管理システムがあっても、社員を動かし、会社を向上させていくことはできない。」

他の箇所でも「「人の心をどうとらえるか」が、経営において一番大事なのです。」と書いてあります。ここが要諦なのですね。</description>
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         <pubDate>Sun, 22 Nov 2009 19:49:19 +0900</pubDate>
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         <title>曽野綾子「貧困の僻地」を読んで</title>
         <description>こんばんは。月岡です。どうもなかなか書けなくてすみません。

娘は本日伊豆旅行から帰ってきました。私が仕事から帰宅したときにはもう寝ていましたので、本人の感想は聞けませんでしたが、デジカメの中の写真ではとても楽しそうでした。今は楽しい夢を見ているはずです。

さて、この前、曽野綾子氏の「貧困の僻地」という本を読みました。これは「新潮45」に掲載された氏のエッセイをまとめたものです。氏は保守的な発言が多い人で有名ですが、その本を読むと小説家らしい特殊な捕らえ方で人間を捉えていることと、徹底したリアリストであることがよくわかります。
氏は日本財団の会長として、寄付した資金の使途を確認するために世界中の僻地に飛ぶ中で、多くの貧困を見ています。そうした現実を見た後では、我々が口する不平、不満、要求が、自己中心的もしくは無いものねだりだと思えるのです。確かに我々が日本の社会や制度について感じる不平等さや、日常的な些細な怒りなどは、世界中に歴然と存在する不幸に比べたらまったく取るに足らないことであることは間違いありません（その不幸に直面している人々は往々にしてあきらめているか、その境遇の中で得られることに一定の満足を見出しているようです）。絶望的な状況の中で、一日一日をどう生き延びていくのか、という生死の問題に直面している人間は世界中にたくさん居ます。そうしたことは観念的には理解しているつもりでも、具体性を持って自分の感覚で理解することはなかなかできません。我々はどうしても目の前の小さな世界の中で、怒ったり、泣いたり、心を捕われてしまいがちです。そういうときに、私たち途方にくれている目の前の問題は、実はたいしたことない、それほど重要なことでないということに改めて気づかせてくれるような本です。
私たちは目の前の世界を見ながら、一方で客観的に大きな視野で世界を見ていくという姿勢を持つ必要があるように思えます。自分の価値観、世界観に凝り固まって、視野狭窄に陥り、身動きがとれず窮屈そうに思える人もたくさんいます。氏の著作を読んでまったく別の視点があることも知っていて良いと思いました。

最後にこの本からの抜粋です。氏のリアリストぶりがよく出ていると思います。いじめに関する文章です。
「いずれにせよ、何歳になっても人生は戦いの面を残す。子供たちにはその自覚が要る。戦う対象は、人間だけではない。他国、組織、病気、天災、家族関係、自分の内心の不安や絶望。どんな場にも戦いの要素がついて廻る。世界は皆いい子でもなければ、人は皆平等でもないのだ。そんなでたらめを教え続けた教師と学校を、今こそ親は個別に丁寧に温かく訂正していけばいい。しかし常に心のやさしい人もいるし、お菓子を分けてくれる子もいるのだということを忘れてはいけない。」この後日教組への批判が続きます。
 
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         <link>http://www.all-senmonka.jp/all-senmonkablog/k-tsukioka/2009/10/post_204.html</link>
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         <pubDate>Thu, 22 Oct 2009 23:04:43 +0900</pubDate>
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         <title>松下幸之助　「社長になる人に知ってほしいこと」を読んで</title>
         <description>こんばんは。月岡です。

ずいぶんと更新が滞っておりまして、失礼しました。

本日の午後、家内が2歳3ヶ月の娘の進路について、幼児教室の先生と面談をするということで外出したのですが、その外出後しばらくして昼寝から起きた娘は、家内がいないという事実に猛烈と不機嫌になり、号泣し始めました。私は弱ったなあと思いましたが、とりあえず「となりのトトロ」を流しましたら、突然ピタッと泣くのを止めて、いすに座ってテレビを見始め、主題歌をうたい出しました。トトロってすごい!!!　宮崎監督ブラボーです。

最近も日々本は読んでいるのですが、その中で私が面白いと思った本です。つい最近、松下幸之助氏に関する本がＰＨＰから2冊出ました。ひとつは「社長になる人に知ってほしいこと」、もうひとつは「リーダーになる人に知っておいてほしいこと」です。前者がＰＨＰ総合研究所編ということで、多くの経営者からの質問に答えるという形式です。後者は松下政経塾編ということで、塾生の質問や塾生に語りかけるという形式です。どちらも読み応えがありますが、前者の方がより実践的に感じます。

松下氏の言葉は奇をてらうところや難解さがまったく無く、誰もが理解し、うなずくしかない言葉ばかりなので人気が高いのでしょう。ただし、人間はその当たり前のことがなかなかできないのですね。以下のところも当たり前のことなのですが、実践できている経営者の方がむしろ少ないのではないでしょうか。「社長になる人に知ってほしいこと」からの抜粋です。

『（従業員の勤労意欲の盛り上げる方法を問われて）百人の人を緊張させて、大いに成果をあげようと思えば、あなたの活動をはたの人が見て、&quot;気の毒な&quot;というようにならんといかんでしょうな。うちの社長はもう一生懸命やっている、&quot;もう気の毒や&quot;という感じが社員の間に起これば、全部が一致団結して働くでしょう。けど、そうでないかぎりは、あなたの活動の程度にみな働くでしょう。私はそう思いますね。人間というのはそんなもんです。
（中略）それともう一つは、あなた自身が働きがいを覚えることが大事ですね。自分が雇っている人がほんとうによくやっている、もったいないほどよくやってくれる、自分もうっかりしてられんわい、というような気分があなたに起こるということも、それと相対した一つの姿でしょうな。
（中略）そのための一つの方法として、あなたが意見を求めるということをしきりにやらないといかんですね。面倒やけどいっぺんあの男の意見も聞いてみようと。「こういう問題、きみどう思うか。」と、立ち話でもいいと思うんです。つまり、みなに相談して、みながそれに関心をもってやるという方法がいいのではないかと思いますね。』

どうでしょうか。特別なことでもなんでもないですね。自分がまず一生懸命やること、それが一番大事ということです。</description>
         <link>http://www.all-senmonka.jp/all-senmonkablog/k-tsukioka/2009/09/post_203.html</link>
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         <pubDate>Sun, 27 Sep 2009 20:35:52 +0900</pubDate>
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         <title>契約が信頼を壊す時</title>
         <description>こんばんは。月岡です。

最近、娘は本当によくしゃべるようになって来ました。先日、私が階段を上ろうとすると、娘がついてきて、更にその後ろから家内がついてこようとしたときに、娘は階段の上り口にあるゲートを家内が通る前に閉めてしまいました。家内が「開けて」とお願いしても開けてくれません。なぜかと聞きますと｢ママ、あんまり好きじゃないから。｣と答えます。私は可笑しくて大笑いしましたら、家内に「教育上良くない。」などと言われてしまいましたが、娘が何度何度も「ママ、あんまり好きじゃないから。」を繰り返すので、笑いをこらえるのが大変でした。

ハーバード・ビジネスレビューは役に立つかどうか分かりませんが、毎月読んでいます。9月号の中でちょっと面白かった記事のご紹介です。著者はハーバード・ビジネススクールの准教授Deepak Malhotra氏です。題名は「契約が信頼関係を壊す時」というもので、契約は本来あとあと揉めないためのものなのに、いくつかの要因によって、かえって当事者間の信頼が損なわれ、トラブルが生じることがある、としています。一つの例として、厳格な契約をあげています。そもそも、当事者双方が相手のことを「道徳的であり、善意の持ち主である」と見なしているところに、信頼は生まれるのであるが、契約書に想定しうる事項すべてについて細かに記した場合、自発的な善意を妨げ、信頼を損ねるおそれがあるとしています。確かに事細かに契約で決まっていますと、出来ることと出来ないことが明確ですから、それによるトラブルは生じませんが、一方で感謝や感動、信頼も生まれにくいのも事実でしょう。記事の例では、「顧客は契約の更新時に覚えている唯一のことは、会社が契約の範囲を超えて顧客の支援を行った日のことだけである」としています。契約の範囲内のことは当たり前なので、記憶にとどめる価値もないと言うことですね。そうすると、非常にルーズな契約にしておいて、契約事項以外のことを常に行うというのが良いかと言うと、そうでもないはずです。契約書の文章に記載されていない事項に対して、通常は強く不安を感じてしまい、逆に信頼感を損ないかねません。ですから、通常に想定しうる範囲内のことはしっかりと記載しなければならないと言うことだと思います。そして、イレギュラーのことは契約書の範囲外であっても、出来る限り対応し支援する姿勢が信頼を構築すると言うことなのでしょう。
このこと以外にも、契約を締結した状況というものは常に変わりうるのであるから、不確実性を踏まえた上で偶発条項を盛り込んでおかないと、あとあと信頼と善意が損なわれるおそれがある、としています。将来の状況により改善しうる条項については、決定を延期させる必要があり、契約条項として確定させない、もしくは見直しができるようにする必要がある、ともしています。ここら辺も将来の不確実性と現状のバランスを踏まえてということだと思います。</description>
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         <pubDate>Thu, 06 Aug 2009 23:01:02 +0900</pubDate>
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         <title>みんなが行く野原に野イチゴはない</title>
         <description>こんばんは。月岡です。
最近、娘は寝る前に私の書斎に来て、「絵を書く」と言って、私の膝の上で絵を書きます。その時「パパも書いて」と言うものですから、リクエストにお答えして、様々な絵を私も描きます。今日は「千と千尋の神隠し」に出てくる「湯婆婆を描いて」言われたので、適当に描きましたら、あまりに似ていないので思わず噴き出しましたら、娘にも「コレ湯婆婆じゃないね。」と言われてしまいました。


つい最近本屋さんで平積みされていたので、思わず手にとって読み出したのが、秋元康氏の「企画脳」という本です。私は企画を職業とする者ではありませんし、秋元氏にもまったく興味がないのですが、ただどのような商売においても企画というのはとても大事だとしみじみ思うのです。特に現状においては、供給が需要を大幅に上回っておりますから、マーケットにおけるシェアが圧倒的ある場合を除いて、何の特徴もないサービス・製品では激烈な価格競争に参加せざる得ません。そうなれば、体力のないところはひとたまりもありませんし、国内だけでなく国際取引となれば、安い人件費の中国等に価格競争でかなうはずもありません。こうした状況は我々が属する会計業界もまったく同じです。ちょっと奇異に感じるかもしれませんが、マーケットの流れを我々も間違いなく受けています。供給者である会計士・税理士はどんどん増えています。特に会計士は試験制度の改正後、合格者は著しく増加しましたが、就職先が追いつかず、合格しても就職できない人が沢山出てきています。以前は監査法人に入っても、すぐ辞めてしまいましたが（それでもすぐ別のところに就職できた）、現在では就職先がないので、誰も辞めないそうです。一方で、個人事業者と会社の合計数は、減少傾向です。しかも、記帳業務などは中国で行う業者などもあり、報酬相場そのものが低下しています。こうした中で、他と同じサービス内容では、まったく差別化が図れず、低下しつつある相場に流されるだけでしょう。実際にこの流れに抗しきれず、埋没する事務所の話も聞きます。
説明が長くなりましたが、どの業界においても、企画力が非常に重要であることは間違いないでしょう。ただ、私はこの本から何を学んだのかと言われると正直自信もありません。どこかで聞いたことがある話が多いのも事実です。確かなことは「みんなが行く野原に野イチゴはない」ということでしょう。ひじょーーーーによく言われることですけども。</description>
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         <pubDate>Thu, 30 Jul 2009 22:12:30 +0900</pubDate>
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         <title>幸田文　「しつけ帖」</title>
         <description>こんばんは。月岡です。

家には娘用の小さな三輪車とおもちゃの自動車があるのですが、娘は私にどちらかに乗れと言います。できるだけ要望を叶えたいと思うのですが、どちらの乗り物も私には小さすぎで、乗っているとお腹や足が痛くなるのです。「今日はうなぎを食べに行こう。あっちだよ」と娘は言い、本日も家の中をドライブしました。

先日、幸田文の「しつけ帖」を読みました。文が父である幸田露伴から家事について教えてもらったことを文章にしていることは知っていましたが、私はまったく読んだことがありませんでした。今回、初めて読みまして、その文章の簡潔さに、文本人のさっぱりとした性格がにじみ出ているように思います。それよりも、興味深かったのは、明治の男である露伴が実に様々な家事について、一家言を持っていることです。露伴は兄弟の多い、貧困の中で育ったので、掃除、洗濯、炊事、まき割りと何でもやらされ、その中で能率よく行うことを学んだようなのですが、その一つ一つが徹底しています。私も掃除などは小学生からやってはいますが、露伴のこだわりからすると、自分が如何にいい加減であるかを思い知ります。文はこうした父を持って、自分の掃除の仕方を一々糾明されて大変だったと思いますが、それにも係らず文章にでてくる父露伴に対する感情の多くが尊敬です。父に認められたいという気持ちで一杯なのです。親と子のあり方に正しいというものはないと思いますし、私は露伴のようなことをとても教えてあげることはできませんが、どこか娘が尊敬してもらえるような一面を持っていたいものだと思いました。

この文章の中で、私が「さすが」と思ったのは、文が知った家の取込事を手伝って、何人かの同じ年頃の娘さんのいる前で、そこの主人に褒められますと、他の娘さんのお母さん方が主人がいなくなった後、台所以外のことは何もできない、と言われ悔しかったと露伴に告げたところ、
『本当のことをいわれたときは、素直に、仰せの通りといえばいい。恥ずかしいと思ったのなら、それもそのままお恥ずかしゅうといい、ご指摘いただきましたのをよいたよりにいたしたく、何卒ご指導を、万事すなおに、本心教えを乞うて、何にせよ、一つでも半分でも覚えて取る気になれば、よかったではないか。水の流れるように、さからわず、そしてひたひたと相手の中に広がっていけば、カッと抵抗して高ぶる惨めさからだけは、少なくとも逃れることはできた筈だと教えてくれ、それを教えておかなかったのは、親の手落ちで、すまないことをした、といった。今後も人中でねじられることもあろうが、もうこれからは慌てるな。刺されたと思ったら、まず一つ二つと数えて、気息を整えるうちに、受け太刀がわかる、という。』
こうしたことを教えられるような人間には私はまだまだずっと遠いと思ったしだいです</description>
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         <pubDate>Fri, 24 Jul 2009 00:08:53 +0900</pubDate>
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         <title>辻井いつ子　「今日の風、なに色？」</title>
         <description>こんばんは。月岡です。

今日、帰りますと娘が「崖の上のポニョ」を見ていました。私も夕食を食べながら一緒に見ましたが、購入して2週間くらい、もはや何度見たことでしょう。娘はとてもこの映画を気に入っています。この映画を流せば、泣いていても泣き止みます。特に、ポニョが人間になって、大津波の中を走るシーンなどは「ヤッター！ヤッター！」と大声をあげて、飛び跳ねて見ています。娘の喜ぶ顔を見ると私も本当にうれしくなります。娘をこれほど喜ばせてくれる映画を作る宮崎監督に心から感謝します

さて、昨日事務所の近所の本屋さんで、辻井いつ子さんの「今日の風、なに色？」という本を購入しました。多くの方はご存知だと思いますが、先日辻井さんの息子の伸行君さんがヴァン・クライバーン国際ピアノコンクールで優勝いたしました。最近の新聞でも辻井親子の記事が出ていて、気になっていたものですから、思わず手に取りました。「今日の風、なに色？」の横に、同じく辻井いつ子さんの「のぶカンタービレ！」という本も積んでありましたが、一度に2冊買うリスクも考えて、一冊にしておきました。早速、帰りの電車の中で読み始めたのですが、辻井さんの苦悩と努力、前進の日々が日記形式で記載されていて、私は夢中になりました。家への最寄駅に到着しますと私はさっそく近くの本屋に向かい、「のぶカンタービレ！」を購入し、ついでにツタヤでＣＤも購入しました。夕食後、すぐに続きを読み始め、数時間後2冊読了と共に、私も辻井さん親子を応援したい気持ちで一杯になりました。それと同時に私自身が、どのように生きるべきなのかということについて彼らから提示されたように思います。少なくとも、辻井さん親子のように、全力で前向きに、肯定的に生きることが次のステップへの大切な姿勢のあり方であるように思います。これを口で言うのは簡単ですが、実際にはその境遇から死にたくなるような精神状態になったこともあるはずです。そうした中であっても、前向きに行動する姿勢、あきらめない姿勢を維持するのは実に大変なことです。私自身としても、どのような時も、自暴自棄にならずに、しっかりと着実に、進んでいくこと、これを肝に銘じたいと思います。</description>
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         <pubDate>Thu, 16 Jul 2009 21:57:17 +0900</pubDate>
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         <title>先代から謙虚に学ぶ</title>
         <description>こんばんは。月岡です。

娘の誕生日にリヤドロのウサギの人形を買いました、本人に渡すととてもうれしそうにギュッと抱きしめましたが、落とすと壊れてしまうので、すぐに娘から取り上げて棚にしまったのですが、取り上げられるときの娘の悲しげな「エッ」という表情が忘れられません。

海外に留学された方や大企業に長くいた方が後継者として、会社に入った場合、その会社の仕事の進め方や人事などがあまりに非合理的に思え、急速にその体質を変更させようと矢継ぎ早に変革案を打ち出しますが、回りの人間が面従腹背で、笛吹けど踊らず、徐々に孤立していき、最後にはやめてしまうということがあります。こうしたことの原因は、本当に必要な改革であっても、それによって不利益を得る先代社長や古参幹部、従業員等の反発を予測していないこと、それらを抑えられると自分の実力を過信していること、それに伴うコストを度外視していること、周りを客観的に十分に把握できていないことなどによります。

そうした事態に陥らないためにも、まずは、先代社長のやり方を無批判に受け入れてください。独自色を一切封印して、先代社長の言いなりになると同時に、その強みを十分に把握するために、先代社長を含め会社内外の多くの人に質問し、謙虚に学んでください。

数年、この謙虚に学ぶ段階が続きますと自社の強みがわかると同時に弱みもわかってきます。次は、この強みをきたえて更に伸ばし、弱みを改善する方法を自分になりに検討する段階です。この段階では、自分は会社の中で一定の影響力を持ちますし、周りも状況も良く見えているはずです。また、会社内に信頼できる仲間、将来の右腕を販売、製造、管理などの部署で見つけていてもらいたいものです。ただし、この段階でも性急に変革を実行することは要注意です。先代社長との意見の対立もなるべく避けて、特に従業員の前での「親子喧嘩」は周りが白けるだけですので、注意してください。
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         <link>http://www.all-senmonka.jp/all-senmonkablog/k-tsukioka/2009/07/post_197.html</link>
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         <pubDate>Wed, 01 Jul 2009 22:43:26 +0900</pubDate>
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         <title>創業者のカリスマ性</title>
         <description>こんばんは。月岡です。

今日、私が帰ると娘は寝ていました。4時半から寝てしまったと言うことですから、よほど疲れたのでしょう。午後、家内と幼稚園の見学会に行ったようです。実はそこの幼稚園の見学会は2度目です。私も先週、午後の1時間、仕事を抜けて行ってきたのですが、たくさんの方が見学会に来ていました。私のように父親も一緒の来ている家族もちらほらおりました。まだ2歳になったばかりですから、ずいぶん気の早い気もします。私自身、田舎の保育園の出身ですから、都会の幼稚園に差異があるのかもよくわかりません。しかし、こうした触れたことのない世界にも興味を持って、係わっていきたいと考えています。

創業者で会社を一定規模にした方々の多くが人をひきつける魅力があります。かといって、人格的に優れた人かと言われればそうでもありません。むしろ、暴力的で独裁的な振る舞いをして部下たちの尊厳を奪うこともしばしばです。しかし、そうした扱いを受けても部下たちは、彼らを慕いついていきます。もちろん、ついていけなくて会社を辞めたり、横領したり、裏切って従業員をごっそり引き抜いたりした人もいるでしょう。それでも、ついてきた人がいるから、会社があるわけです。なぜ、ついていく人がいるのかと言われれば、彼らにはそうした暴力的で独裁的な振る舞いを上回る魅力を持っていたからに他なりません。
その魅力のひとつは情け深いということです。彼らは、非常に人使いは荒いですが、いざという時に、理屈ぬきで従業員をしっかり守るという行動ができます。それがあるからこそ、多少のことは仕方がない、恩があるからと人がついていくのです。
また、別の魅力のひとつとしては、金儲けの才能です。従来の実績から、この人について行けば、「食いはぐれる」ことはない、飯にありつけるという安心感を与えることができるのです。従業員も通常は家族がいて、学費や家賃などもあるでしょうから、この安心感は非常に大きいものがあります。
こうした魅力が創業者のカリスマ性を作っていきます。しかし、後継者はこのカリスマ性を引き継ぐことができません。何の実績もないのに、社長になったからといって、後継者が創業者と同じに振舞えば、誰も納得しません。ですから、後継者の経営スタイルとしては、通常は独裁型となるのではなく、調整型となるのです。
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         <link>http://www.all-senmonka.jp/all-senmonkablog/k-tsukioka/2009/06/post_196.html</link>
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         <pubDate>Thu, 25 Jun 2009 21:44:52 +0900</pubDate>
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