内なる宇宙
昨日、所属している合唱団が、全国コンクールの地方大会に出場しました。
結果として、全国大会出場が確定、あと一月ほどは、合唱についてはコンクール主体の
活動が続きそうです。
ちょっと喉の調子を悪くしており、昨日は不本意な部分もありましたので、もう一度
機会があることは素直に嬉しく思っています。
さて、練習せねば…。
今日のお話は、枝葉末端に至るまで、簡潔な説明に努める為、科学的見地や
用語の定義において物凄く適当なことを言っていますが、ご了承を下さい。
相対性理論において、時間と空間は等価なものであるという説明がされています。
我々が持っている時間と空間を進むエネルギーは常に一定です。
ですので、空間を進む側にエネルギーを大量に費やすと、時間を進む側のエネルギーが
減ってしまう為、結果的に時間が(外から見て)遅く流れることになります。
よく言う「光速に近い宇宙船に乗ると時間がゆっくり流れる」などという話は、
時空というものの、そういった性質に由来します。
我々の住むレベルでの世界においても、空間を移動するという行為は、単純に
言って様々なロスを生みます。
車・電車・飛行機等々、エネルギーや廃熱等、ロスが無くなることはありえません。
そこで「動かずに知る・体験することが出来れば、動かなくて良いのでは」という
発想が出てくるのは、通信技術の向上もあったことから、半ば歴史の必然でした。
所謂「バーチャルリアリティ」、もう少し我々の世界レベルでいうと、正に今、あなたも
私も接続している「インタネット」の存在は、かなり以前から予見されていたことです。
これら予見されていた技術においては、「知る」だけでなく「体験する」ことすらも
動かずに出来るようになっています。
極論すれば、体験とは脳内での作用に過ぎませんので、例えば皆さんが「もの凄く
おいしい焼肉を食べた」経験を脳内で再生できれば、もうそれは体験したことと
何ら変わりはないことになるわけです。
私の知っている話として、J.P.ホーガンの「星を継ぐもの」から始まる巨人シリーズ、
森博嗣さんの「すべてがFになる」、少し毛色は違いますが映画「MATRIX」も
一応この範疇に入れておきます。
人間社会においての法律の発展は、科学技術の発展と連鎖している、という
認識が一般的だそうです。
中世封建社会、つまり農業社会において、人や物は「動けないもの」でした。
輸送・通信技術が未発達であったため、作ったものはその場で消費するのが
当然だったのです。(所謂「完全な地方自治状態」であるといえます。)
例えば租税について言えば、作ったその場で課税されていたわけです。
産業革命以後の近代市民社会、つまり工業・商業社会形成後は、人や物は
動けるものとなり、その動きに伴い通貨・金銭の流れが活発化しました。
動けるのですから、必然的に人は特定の場所に集まっていき、その結果
中央集権社会が到来し、国家制度も経済も、より中央が強い状況が生まれます。
租税は、物そのものへの課税ではなく、金銭への課税へと姿を変えました。
では情報化社会と呼ばれている現在、人や物は再び「動かない」という選択肢を
取ろうとしています。
広く言えば商業社会の中にあるわけですから、租税制度が金銭に対して課税を
するということに、特に非合理性があるようには感じられません。
が、その他法律関係については、果たして今までの「動く」社会を基本とした
法制度をそのまま当て嵌めて良いのか、大きな疑問があります。
例えばこんな話を具体例として挙げておきます。
今後、技術は人間に内在する個々の慣性系・世界を利用する方向に間違いなく進みます。
それは社会にも影響を与え、個々人の内側での価値観が高まってくるはずです。
その際、外部からの干渉である法律の立ち位置は、益々難しいものとなるでしょう。
立法者や法律関係者は、より精緻なる分析や施策が求められます。


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