序章
(前書き)
今日から何日かかけて書こうかと思っている事項は、1998年頃に私が体験した
事実がもとになっており、記憶が不鮮明な部分は多少推測、創作等で補っています。
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1998年、秋も深まってきた今日この頃、最近は毎日が楽しくてしょうがない。
この夏、イスラエル、ハンガリー、ルーマニアと海外演奏旅行が続き、この冬には
スペインとポルトガルでの演奏旅行も待っている。練習にも余念がない。
合唱を始めてもうすぐ6年、自分にこれだけ楽しめる趣味が出来るとは思っても
いなかったが、その歌のおかげで思わぬ人々とも会うことが出来た。
国内外の著名な作曲家や指揮者、教育者や演奏家など、普通の生活をしていれば
私には全く縁の無い人と交流を持つことが出来たのは、僥倖といえよう。
そんなある日、合唱仲間を通じてある人からの頼み事が私の所に来た。
その人の名は後藤田純生さんという。
後藤田さんがどれ位凄い人なのかを説明するのは難しいのだが、物凄くわかり易い
功績を挙げるとすればやはりこのことだろうか。
NHKの「みんなのうた」を作ったのは、この人だ。
NHKプロデューサとして、国内外の優れた歌を収集、整理し普及に努めた、正に
現在の日本音楽界の基盤を築いた功労者の一人と言えよう。
「大きな古時計」や「線路は続くよどこまでも」を日本に持ってきたのも彼だ。
NHKを退職された後は、コーディネータ、プロモータとして海外の演奏家を日本に
招聘したり、国内における譜面の出版業をされている。
私が知っていることなど、彼のほんの一面に過ぎない。
とてつもない人脈を誇り、凄まじいまでの行動力を持っている、計り知れぬ人だ。
私が高校生のとき、些細なきっかけで知り合った後藤田さんだが、その後何度か
演奏会でご一緒させて頂いたりしている内、海外演奏旅行の企画を回して頂いた。
この夏に行ったハンガリーとルーマニアは、後藤田さんが仕切ったものだ。
後藤田さんの性格は「豪放」とでも表現するのが一番しっくり来るだろうか。
とんでもないことをサラリと言い、ワハハハ!と笑って押し切ってしまう。
お話をしていると、スケールが大きすぎて全貌が掴めない事がよくある。
それでも私のような小者に対しても、普通に接して頂けるのだからありがたいことだ。
そんな彼の頼みは、こんな内容だった。
「車を出して、目黒の辺りから埼玉までのある人物の送迎をしてもらいたい。」
車の免許は大学一年の時に取得し、幸いにして自分が好きに運転できる車もあった。
その為か、仲間内で車が必要なときには、まず私の所に話が回ってくる。
ある時は舞台の小道具、またある時は酔っ払い、今までにも色々と運んできた。
「またオレかよ」などと毒づきはするものの、実際にはそれを大して嫌がってはいない
ことは、多分周囲にはバレバレだった。
頼られることが嬉しくないわけもないので、ブチブチ言いながらもいつも引き受けていた。
なので、今回の依頼を断る理由も特になかったし、まして依頼の相手は彼だ。
私は即、了承の返答をしておいた。
仕事の内容は、まず合唱仲間一人を車に乗せ、その後成城の後藤田さんの自宅に
寄り彼を乗せる。最後にそのある人物という人を目黒近辺で乗せ、埼玉に向かう。
帰りはその逆の行程をたどることになるのだろう。
私は日時を確認し、その日を待つことにした。


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