司法の役割

2008.02.14

聖人の命日、仏前に線香を。

おはようございます、日本人の宗教的寛容さは世界に誇れると思います。
お釈迦様もぶっとぶこの自由な発想。
命日にチョコが飛び交う今日この頃。
実は日本は、世界でも有数の宗教大国なのでは?


昨日、民事裁判の大雑把な流れを書きました。
各機能についても触れてみましたが、そもそもなぜああいった機能が必要なのか?

理由は簡単でして、「裁判を受けたからには、結論を出さないといけないから」らしいです。
例えば裁判を受けて「裁判やってみたけど、よくわかんないからやっぱ自分達で
解決してよ」と裁判官に言われたら、当事者はどう思うでしょうか?
そもそも当事者間でこじれてしまい、どうにも結論が出ないから司法の力を借りている
わけですから、その司法から「自分でやれ」といわれたら、本末転倒。
裁判所は、訴訟を受け付けたからには何としても結論を出さねばならないわけです。


ということは、事実の存否が不明の場合でも結論を出すとなると、本当はあったかも
しれないことをないものとして判決を出さないといけない可能性が充分に考えられます。
その為に、昨日の証明責任なんて言葉が効力を発するようです。
「この事実を基に、この法律の適用を受けたいなら、君がちゃんと証明しなさいね。
 もし証明できないなら、ないものとして君に不利益に判決を下すよ」という
論旨を取らざるを得ないわけです。
だって、そうしないと判決が下せないから。


裁判というと、すごい精緻なシステムを想像していたのですが、見えてくるのは
想像以上に人間臭い話です。
わからなくても先に進まなくてはならない、というのは、我々各人の人生そのものと
同じような構造を持っているようです。
司法も人が生み出したもの、余り特別視しすぎるのも良くないのかもしれません。


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