利益を目的とすると
2009.01.31

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牛ハラミのステーキ。

おはようございます、先日近所のフランス料理店で頂きました。
中々の美味でございました。(お店はコチラ


スターバックスに関するこの記事を読んで。
税理士の顧問先である中小零細企業が上場企業に勝てるポイントの
一つに「腰を据えてゆっくりと、他人にあ~だこ~だ言われずに」できる
ということがあります。

上場企業の社長さんというお仕事は、そりゃぁ胃を痛めるお仕事だそうです。
上場している以上、短期的な成果を出し続けないと株主からはすぐに
叱責の声が飛んできます。
去年よりも今年が、前四半期よりも今四半期が、先月より今月が…。
単位はどんどん短く、具体的な数字を求められることになります。
成長率が少しでも落ちようものなら「成長に陰りが」などといわれ、
あの会社ももうお終いだ、経営陣が無能だなどと叩かれます。


その点、非上場の企業は気楽です。
物凄く極論をすれば「社員の生活が保証できるレベルのお仕事」さえ
していれば、誰からも怒られることはありません。
(無論、それで全てが良いのかと問われれば微妙ですが…)
無限の成長を求める必要もなく、自分のペースでやりたいことを
やれば良いのです。
…もっとも、そのレベルを保つためには色々と工夫を続ける必要が
あることは上場企業と同じなのですが…その点について、多くの
非上場企業の経営者が自覚しているとは言い難いのも事実です。


最大の悲劇は、利益をあげること自体が目的となってしまうことかと。
利益は「企業がやりたいことの原資」であって、それ自体を目的と
してしまうと最終的には「やりたいこと」が出来なくなる恐れが大きいです。
スターバックスの「静かな、落ち着いた、高級感溢れる店舗」という
形態が保てなくなったのと同じように。

そういった上場企業のデメリットに嫌気がさしたからこそ、最近では
自主的に非上場企業へと転換するような企業が増えてきました。
本来、新たな資金を必要としないような企業にとっては、上場している
ことのメリットなど大してないことになります。
(M&Aなどの動きを考えると自社株が上場していることのメリットは大きいの
ですが)


資本主義をツールとして考えるか、最終目的として考えるか。
…人間の欲は無制限ですので、ついつい数字を追ってしまいがちなんですよね…。


いつもお読み頂きありがとうございます。


保険は金融商品
2009.01.30

おはようございます。

一昨日「将来は読めない」という話を取り上げましたが、それに
絡むことでも少し。
先日、お客様の生活面に関するご相談を少し受けていました。
外貨建の養老保険に入られているようで、この円高状態だと
解約しても戻りが悪いから今は解約しづらいとのこと。
しかし、バランスを考えるとその保険支出が家計に与えている
影響は無視できないレベルなわけで。

これ、構図としては昨日までやっていたかんぽの宿と大して変わりません。
・今は円高だから解約しづらい → 将来はもっと円高かもしれない
・今損をするのはヤダ → 払い続けることでの損失も考慮すべき
上の話が「将来は読めない」、下の話は「機会費用」についてです。


保険という形態をとると不思議と認識が薄れてしまうのですが、保険は
立派な金融商品です。
特に積み立て部分がある保険なんてのは株式や外貨建て預金に投資
しているのと大して変わらないくらいのリスクがあります。
上記のケースでは外貨建の保険ですから、実質は外貨預金をしている
のと同じことです。

自営業者は、そもそも自営という時点で大きなリスクをしょっています。
その備えとしての保険が外貨建や積み立てが大きい商品ですと、
備えの方も結構大きなリスクをとっていることになってしまいます。
商売でリスクが大きい場合、備えのリスクは低く抑えておいた方が
トータルでは安心できるのではないか、と私は考えています。

それ故、私は保険は「掛け捨てのシンプルなもの」をお客様に
勧めています。
積み立ては自分で定期積み金でもやれば良し、目的さえはっきりして
いれば案外と自分の力でも蓄財はできるものです。
そこで無理やり保険の力(積立型の商品)を利用する必要はないかと。
大丈夫、保険会社の運用力が大したことないということは、今回の
金融恐慌で判明していますので。
自分で運用しても、大して変わらない成果が出るのではないかと。
であれば、いつでも自由に使える自分運用の方が良いのでは?


「保険の入りすぎ≒株式投資にのめり込み過ぎ」みたいなものです。
適切なサイズの保険に入ることは、事業でも生活でも常に気にすべきことです。

いつもお読み頂きありがとうございます。


民業圧迫と言われるらしい
2009.01.29

おはようございます。

昨日からの続き、かんぽの宿売却について。
この件とは直接関係ないのですが、先日「日本政策金融公庫」という
政府系金融機関の方とお話した時に聞いた話を少し。
(「国民金融公庫」の名前が変わったやつです)

金融公庫としてはもっと積極的に貸し出しをやりたいのだが、あまり
大々的にやると「民業の圧迫だ」と業界から批判を受けるので身動きが
取り辛い、とのことでした。
どうやら「かんぽの宿」についても同じような構造があるらしい、と
先日記事に載っていたのを覚えています。


「かんぽの宿」という組織が真に有用なものであり、社会からその存在を
強く要請され、内部の人間が「強いやりがい」をもって運営されているので
あれば何としてでもその存在は守られるべきだと思います。
その為には、いや、その為にこそ、とっとと民間に売るべきかと。

日本郵政公社という半官半民(実体をみればそう判断せざるを得ないかと)
状態で、上記のような社会的存在に組織を育て上げるのは多分無理です。
社会からの要請に応えるためには、もっと大きく、強く、早く動く必要が
あるからです。
現状それが出来ていないからこそ一年で50億も赤字が出るわけで。
そこに求められる性質は「政治のソレ」とは大分違うかと。


もし内部の人間の雇用を守るためには一括譲渡はけしからん、という程度の
理由ならば、別の雇用先でも作ってかんぽの宿は廃止すべきです。
確かに雇用は重要ですが、それが金銭的な意味合いを強くもつのだとすれば
別の雇用を作れば良いだけのお話です。
「どうしても旅館業に関わりたい」という強い要望をもつ従業員さんには、
別の旅館への就職を斡旋すれば良いのでは。


組織の維持には利益は絶対必要不可欠です。
「利益を出すこと」が目的になってしまうのは本末転倒ですので絶対に
避けなければなりませんが、「利益を出すこと」を否定することはそもそも
事業というものを否定していることになります。
「社会に対する責任や役割を果たす」ことと「利益を出す」こと、どちらも
絶対に欠かしてはならないのではないかと。

今回の騒動についていうと、経済的な合理性の問題もさることながら
「かんぽの宿」とはどうあるべきなのか、というビジョンに対する政府の
見解がまったく見えないことが真の問題なのではないかと思います。


いつもお読み頂きありがとうございます。


将来は読めない
2009.01.28

おはようございます、また写真が尽きました。


昨日からの続き、かんぽの宿売却問題について。
政府側からは「こんなに不動産が安い時に買いたたくなんて」という
批判が出ているようです。
この言葉の裏側にあるのは「もう少し待てばもっと価格が上がるはずだ」
という前提でしょうか。

この考え方は非常に危険です。
多くの個人投資家が陥る「塩漬け株」なんてのは正しくこの発想法から
きているわけです。
投資における最も基本的でただ一つの真実は「将来は読めない」という
ことだけです。
つまり「待てば上がるはず」なんて前提は絶対に持ってはならないのです。
そんなことをしているうちに不動産価格が更に下がるかも、という可能性を
何故もっと真剣に検討しないのかが私にはよくわかりません。


しかも今回のケースでは、待てば待つほど資産の老朽化が進み価値が
低下するという可能性が十分にあります。
つまり時間の経過によって損失が拡大する可能性はどんどん進むわけで。
どんな資産・投資でも「売ると決めたときが売り時」だと私は思います。

「地元資本に個別売却を」などと言っていると、買ってくれる人を探して
いる間にどんどん価値が下がり、結局は真の不良債権となるのでは。
一括売却で確かに割安に買える物件もあるでしょうが、買う側からすれば
「当面の利益が出せる物件」がなければ「赤字垂れ流し物件」を購入する
のはやはり無理なのではないかと。


この項続く。

いつもお読み頂きありがとうございます。

<追記>
本日のニュースで「建築費が2,400億円もかかっている」というのが流れました。
おそらく言いたいことは「こんなにお金をかけたものを100億円で売るなんて」と
言いたいのでしょうが、これこそ本当に意味のない数字です。
お金をいくら投資していようが、毎年50億円の赤字が出ているのには
変わりがありません。
大切なのは「過去にいくら投じたか」ではなく「これからの収支はどうなるか」です。
これこそが機会費用という考え方なのですが…お役人には最も受け入れがたい
考え方なのかもしれませんね…。
ちなみに過去に投じた無駄な費用のことを「埋没費用(サンクコスト)」と呼びます。
かんぽの宿の過去の投資がサンクコストなのかどうか、もう少し真剣に検討する
ことをお役所側には強くお勧めしたい所です。


機会費用
2009.01.27

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相模湾に沈む夕日。

おはようございます、これで先日の写真は終わり。
本当に綺麗でした、また行きたいものです。


日本郵政のかんぽの宿売却問題を巡り議論が起こっていますが、
私は「とっとと売れば良いのに」という論者です。
竹中平蔵氏が新聞紙上で「機会費用」という言葉を用いていますが、
私もその考え方をもっと積極的に取り入れるべきだと思っているからです。

竹中氏は機会費用の用語を使ったときに「再投資」まで絡めてしまった
ためにやや説明がややこしくなってしまったのではないかな、と思います。
今回のケースで機会費用という言葉をもっとシンプルに考えると
「売ることでの損失よりも持っていることでの損失が大きいから売る」という
ことになるかと思います。


資産の保有にはコストがかかります。
現状、かんぽの宿は単年で50億円の赤字とのこと。
(もしこの前提が間違っていたら計算は大分狂ってしまいますが…)
ということは、10年持ち続けていたら500億円の赤字です。
(これも経営改革等の効果は一切無視しています)

それに対し、100億円程度で売却した場合の売却損が幾らなのかを
考える必要があります。
仮に現在の適正価格が300億円程度だとします。
ということは売却損は200億円です。
持ち続けた場合の損失の4年分で損失は終わることになります。
年間50億の赤字を出す事業を抱えるリスクと、一気に4年分の損失を
被り一回で終わらせるという選択肢なら、私は後者の方が傷口は浅くて
済むのではないかなぁ…と思うわけで。


総務省側では「100億なんておかしい、もっと高いはずだ!」と
言っていますが、そもそも不動産の売却においては売った側に
多額の損失が出るなんてのは常識として当り前のことでは。
民間同士での不動産売却において「売却益」が出たケースなんて、
バブル期の土地ころがし以外には大してなかったかと。

今回のケースは個人の投資行動などにおいても応用できる事が
まだありましたので、せっかくですからもう少しこの話題を。
この項続く。

いつもお読み頂きありがとうございます。


分からないことが分からない
2009.01.26

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駿河湾、夕日、富士山。

おはようございます、そりゃぁもう綺麗ったらなかったですよ、ええ。
三日くらいならあそこで仕事しても良いかも・・・。(それ以上は飽きそう)


私が好きな漫画に加藤元浩さんの「Q.E.D.-証明終了」という作品があります。
以前にもこのBlogでご紹介したのですが、今回もとても面白かったものがあった
ので少しご紹介を。

金融工学に絡む作品だったのですが、作者がその作品を描くきっかけになった
のはラジオのとあるコメンテーターのこんな言葉だったそうです。
「金融工学の学者は何やってたんだ!偉そうなことばかり言って!!
 暴落一つ防げないなんて金融工学なんて役に立たないじゃないか!」みたいな。

…私、多分これ、同じラジオ番組を聴いていたんですよ…。
で、その時にこの作者さんとまったく同じ感想を持っていたんです。
「コイツ、分かってないな~」って。


金融工学でも経済学でもなんでもそうなのですが、そういった学問のみで
市場を正しく運営できるというのは単なる幻想です。
どのような経済も結局は人間が動かしているのであり、人が絡む以上は
心理が絡むわけですから、要は結果は「気分次第」でどうとでも変わるわけで。

皆が明るい気持ちになれば景気は上向くかもしれませんし、気分が沈めば
景気は上向くかもしれません。
どんなに研究された経済政策でも、どんなに研ぎ澄まされた金融工学でも、
絶対の結果を保証することなど無理なのです。

定額給付金が失敗に終わるであろう最大の要因はただ一つ。
皆が効果がないと思いこんでいる、ということではないかと。
あれ、もし皆が「これで景気が良くなる」と信じ込めば、一定の効果は
あがると思いますよ。

私がマスコミを嫌っている最大の要因は、彼らのせいで日本経済の
停滞がどうしようもない状態になっていることだったりします。
皆の気分をあれだけ落ち込ませておいて、な~にが企業だ、政治家の
責任だと言いましょうか…。


私がそのラジオ番組を聴いていて最も不快だったのは「自分がわからない
ものに責任を押し付けようとする態度」です。
金融工学を理解してこその批判ならまだしも、分からないから役に立たない
という論法が成り立つのでしょうか?
そもそもの役割も理解しないままの非難ほど的外れなものはないと思います。

どんな学問も、研究も、所詮はツールです。
結果ではありませんので、その点だけはよく理解しておくべきかと。


いつもお読み頂きありがとうございます。


自己実現
2009.01.25

Soleilbokusya.jpg

プロヴァンス風…てどんなん?

おはようございます、牧舎ですね。
で、プロヴァンス風って何?(ここは「プロヴァンス風テーマパーク」らしいです)


昨日からの続き、自己実現ということについて。
私は今月、このBlogで敢えて取扱いの難しい宗教のことなどを取り上げました。
また先月は武道(剣)のことについても取り上げています。
経営学・宗教・武道、ツールは全て違うのですが、実は一つの共通したテーマを
持っているように私は思えます。
それがこの「自己実現」ということです。

先日、宗教について詳しい人と少しお話をしたのですが、宗教の一番原初的な
目的はやはり自己実現だった、とおっしゃっていました。
そして、殺陣をならっている先生とお話をしていたときにも、結局問われるのは
「自分はどうなのか、ということに尽きます」ということでした。
経営学における基礎中の基礎も「自社が社会において何をなすべきか」を常に
問い続けることです。

要するに、ツールは違えども求めていることは同じなのかなぁ…と。
日本を代表するような企業の経営者が熱心な宗教家だったり、アーツ(術・道)を
たしなんでいるのもよく分かるような気がするのです。

彼らは資金的な報酬を目的として活動しているのではありません。
行動の結果として資金的報酬が発生しているのです。
結果が同じだとしても、この順序は決して間違えてはいけないのではないかと。
(無論、企業継続のための原資としての利益を求めることは当り前です)


最後に、私のお客様の多くがおっしゃっている言葉をご紹介してこの項終了。

「お金の問題じゃないですよね。」
「自分で経営していることが大切なんです。」
「事業を始めて、本当に楽しいんですよ。」

「でも、利益は必要だよね。」
「利益がないと、商売も生活も続けられないですもんね。」


いつもお読み頂きありがとうございます。


時代は「スペシャリスト」ではない
2009.01.24

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伊豆大島。

おはようございます、夕暮れの海の向こう側に。
こうしてみると、案外近いんですけどね…。


昨日からの続き、労使双方における適切な人材育成について。
ここで更に断言してみます。
私は「スペシャリストの時代」は終わったのかもしれない、と考えています。
もっと悪意をこめて言えば「専門バカではダメ」ということです。

これも繰り返し書いているのですが、私は「職人ではダメ、経営者になってくれ」と
方々で主張しています。
何か一つのとび抜けた能力があるなんてのは最早何の武器にもなりません。
もっといえば、そんなものは「あって当然」なのです。
武器を持っている上で、さてそれをどのように使っていくか、ということを
考えることこそが経営だと思います。

よく「芸は身を助ける」という言葉がありますが、あれには一つ前提があります。
それはその芸が「社会において需要があるもの」であるということです。
需要がない芸を持っていても、社会に対して貢献することはできません。
例えば私は「まつ毛の上にマッチを3本乗せる技術」を持っています。
これは割と希少な能力ではありますが社会の需要はありません。
無論、新しい需要を社会に産み出すことも可能ではありますが…
その為にはものすごい努力が必要なのです。
それこそニュースで「今まつ毛の上にマッチを乗せるのがブーム!」
とでもやってもらわないと、私の芸・技術は社会的には何の意味も
ないかと。


結局は「社会とのつながりを考える能力」は必要不可欠ということです。
その能力こそが経営力、言い換えるならば「自己実現能力」ではないかと。

この項続く。

いつもお読み頂きありがとうございます。


どっちも中途半端
2009.01.23

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夕暮の遊具。

おはようございます、この手の施設には定番のアスレチック系遊具。
ここは結構規模が大きめかもしれません。


昨日からの続き、分権化の話をしていました。
現状、この分権化は上手く進んでいるようには思えません。
どちらかというと世の中は集権化の方向にあるのではないでしょうか?

別に集権化が悪いことではないと思います。
しかし、責任を負っていない人間に大きな報酬が支払われることがない
ことが自覚されているとは言い難い状況なのではないかと。

労働者側については、「責任を負わずに報酬は欲しい」などという
都合の良いことを考える人間が増えたように感じられます。
ここでいう報酬とは資金的・非資金的なもの両面を含んでいます。
責任のない人間に高い給与が支払われることはありませんし、
責任のない人間に賞賛の声が送られることもないのではないでしょうか?


その一方、経営側も適切な責任を労働者側に負わせる職務を
放棄しているように感じられます。
「人材育成的な観点」から適切な仕事を負わせるということが、
以前はもう少し当り前のことだと思われていたのではないでしょうか?
人を育てるのは企業に課せられた責任です。


必要なのは労使双方における認識のズレを埋めることではないかと。
双方は敵同士ではなく、道を同じくする同志なのです。

この項続く。

いつもお読み頂きありがとうございます。


企業としてのセーフティネット
2009.01.22

roba.jpg

ロバ。

おはようございます、のんびりしたイメージがありますけどね…。
実際のところ、ロバは結構獰猛でよく噛むそうですよ…。


昨日からの続き、責任論について。
企業という組織に求められている一つの仕事は、社員に適切な責任を
負わせて職務を遂行させ、それに対して資金的・非資金的報酬を支払う
ことなのではないかと。

その時に、やはり企業という形をとっているからこそ出来ることがあります。
個人事業者では負い切れないレベルの責任でも、企業が後ろにいれば
負うことができます。
仮に失敗したとしても、企業は社員を切り捨てるのではなく一所懸命に
サポートしてあげるべきです。

成長する企業の特徴としてよく挙げられるのは「失敗を許容する」という
ものです。
ここで大切なのは、社員に責任を全く負わせていないのだとすれば、
最初から「失敗」しようがないということではないかと。
適切な責任を負わせた上で、失敗したときには支えてあげる。
これこそがあるべき姿ではないかと。


この項続く。

いつもお読み頂きありがとうございます。


責任と報酬
2009.01.21

hitsuji.jpg

羊。

おはようございます、羊、この時期にはうらやましいかも。
要注意なのは「羊の名前はメリーさんではない」ということです。


昨日からの続き、非資金的な報酬について。
ここで敢えて「責任」ということを取り上げてみます。
昨今では「名ばかり店長」などという極端な事例もあるので、中々
扱いが難しいテーマだとは思うのですが。

私は労使双方において「責任の所在」をもっと分散させるべきなのでは
ないかと思っています。
分かりやすくいうと「分権化」を進展させる必要があるのではないかと。
責任の重さは、仕事をやり遂げたことに対する精神的報酬に大きな
影響を与えます。
仕事の後の一杯のビールだって、大きな仕事を終えたときほど
美味しいと思うのは自然なことではないでしょうか?
現在全てにおいて足りないのは「手応え」というものではないかと。

「責任なんか被っても良いことないし」という雰囲気の醸成ほど、企業運営に
とってマイナスなものはありません。
極論をすれば、商品の生産が多少非効率的になったとしても、私は社員が
積極的に責任をとれるような体制を作ることの方が重要だと考えます。
ところが、現状ではこの真逆の方向に進んでいるように思えます。
「偉くなりたくない社員」の増加という問題は、ここ数年よく話題になって
いることはご存知の方も多いのではないでしょうか。

多少不格好でも、働いている人間のやる気がみえる職場の方が
私は良いように思えます。

この項続く。

いつもお読み頂きありがとうございます。


感じ方
2009.01.20

sagamiwanfuji.jpg

相模湾と富士。

おはようございます、とっても綺麗です。
年始から仕事をするのが嫌になる位良い景色でした。


昨日からの続き、精神的な報酬について。
どうして社長賞を欲しがる人がいなくなったのでしょうか?
物凄く変な言い方なのですが、私は「もらう人が嬉しいと思わなくなったから」
ということなのだと思っています。
もらう側が嬉しくないからもらっても嬉しくない、というやっぱり卵か鶏か、
のような文章になってしまいます。

では何故もらっても嬉しくないように思う人が増えたのか?
マスコミ等を中心に「合理化万歳!!」という流れを作った中で、
色々な人の価値を測る尺度が資金的なものに集約されたせいではないかと。
「金を持っている=優れている」という図式は昔からあるのかもしれませんが、
その傾向を一気に拡大させたのはここ最近ではないでしょうか。

「日本的な経営はダメ」って言ってた人たちが
今更「安易な合理化反対!!」なんて言われてもなぁ…と。
「企業はもっとお金を出すべき」「格差が」「まったく経営者は」
「金持ち優遇」「庶民の暮らしが」
何でしょう、金のことしか言うことはないんか?と。
そういった「金のものさし」が全てに勝るとしてしまったことで、何だか
色々なことが勢いを失ったように思えるのです。


私は日本企業が元気を取り戻すには「非資金的な報酬」を見直す必要が
あるのではないか、と考えています。
現在このようなことを書くと「給与を安くすませようとしている」などと
非難されそうですが、日本企業が最も元気だったあの頃、このような
非資金的な報酬は世間的に大きく認められていたのではないでしょうか?
「上司に認められた」だとか「自社の商品が世の中に役立っている」という
ことで、人は得られるものがもっとあるはずだったのではないかと。

この項続く。

いつもお読み頂きありがとうございます。


もらって嬉しくないもの
2009.01.19

taiyouto.jpg

昼の太陽と海。

おはようございます、昨日ご紹介した場所にて。
しばらくはここで撮った写真でも載せてみます。


例えばなのですが、こんなのはもらっても嬉しくないものなのでしょうか。
・営業成績が素晴らしいことに対する社長賞
・社員旅行
・自分の努力が報われたことに対する上司や同僚からの激励・感謝(のみ)
もちろん中には嬉しいものもあるのだと思いますが、私の実感としては
現状は「だったら給料上げてくれ」という色の方が強いのではないかと。

こういった「非資金的な報酬」については、もらってもそれほど嬉しくない
ということが少しずつ常識化していっているように思われます。
ここに私は「労使双方の意見の自己矛盾」を感じていたりします。


労働側団体の一部は「以前の日本のような終身雇用制は良かった」などと
言っているケースがありますが、そのくせ企業側に対する努力は「資金的」
なものに集中しています。
「安心して生活できるだけの給与を」という要求がその典型で。
少なくとも「企業による精神的な充足」を労働側団体が求めているケースは
ほぼないのではないかと。
「金や雇用を保証」してくれれば「安心や満足」が手に入る、という論理です。
以前の終身雇用制にあったものは、もっと「精神的な充足」が大きかった
のではないでしょうか?

企業側も「成果主義」というものを導入しておいて、その成果に対する
評価を「資金的なもの」に集中させてきたという自分の行動に対する
反省が不足しているように思われます。
労働者側が「資金的なもの」に強くこだわるようになった背景は、
企業側が「資金的なもの」にこだわったからこその結果ではないかと。


卵が先か鶏が先か、という議論はあります。
ちょっとだけこのことについて触れてみます。
この項続く。

いつもお読み頂きありがとうございます。


デモンストレーション
2009.01.18

Soleil.jpg

横須賀にあるテーマパーク(のようなもの)です。

おはようございます、ソレイユの丘という所です。
これが中々見所がありまして、家族で何回か行っています。


昨日からの続き、裁判員制度について。
ここで法律についての基礎知識を一つ。
法律には条文がある(中には条文がないような形式の法もあるのですが)のは
皆さんもご存知かと思います。
「民法第○○条第○○項」といった形でその法律の内容が書かれているわけです。
で、その法律の第一条には「この法律はこんな目的で作られました」という
ことが書かれています。

で、裁判員法の第一条を少し簡便化してここに引用してみます。

この法律は、国民の中から選任された裁判員が裁判官と共に
刑事訴訟手続に関与することが
司法に対する国民の理解の増進とその信頼の向上に資することにかんがみ、
裁判員の参加する刑事裁判に関し、裁判所法及び刑事訴訟法の特則
その他の必要な事項を定めるものとする。

是非注目して頂きたいのは2・3行目です。
そう、この裁判員法の目的は
「一緒に司法に関与すれば、みんな法律のことに興味持つんじゃない?」という
ことなのです。


ということは、これって物凄くお金をかけてやる「子供のお店屋さんごっこ」と
言い換えても良いのでは・・・?
キッザニアもびっくり、法律のテーマパークのようなものです。
地裁の結果は高裁では関係ないわけです。
重大な刑事事件なら、高裁位まではいくようですから、結局は「ごっこ遊び」
ということなのではないでしょうか。

法律について興味を持ち、勉強をすることは大変重要だと思います。
私自身も必要だと思ったからこそ法務検定や宅建試験に挑戦しました。
しかし、その「興味を持ってもらうためのツール」として実際の刑事事案を
用いるのはどうなのかなぁ…と思う次第です。
どちらかといえば、日常で役立つのは民事系の知識のような気がしますし。


というわけで、目から鱗のお話でした。

いつもお読み頂きありがとうございます。


裁判員制度
2009.01.17

jinja.jpg

御近所、溝ノ口神社。

おはようございます、初詣に行ったのですが…混んでました。
おみくじ引いて帰ってしまいました。


先日、お付き合いのある弁護士の方とお酒をご一緒させて頂きました。
その時に聞いて物凄く納得したお話。
今話題の裁判員制度について。

皆さんご存じだと思いますが、日本では三審制がとられています。
地裁→高裁→最高裁の順ですね。
で、今話題の国民参加の裁判員制度、実は地裁のみが対象なんだそうです。
ということは…
「地裁でこんな判決出たけど、気に食わないから控訴だ!」とした時点で
結局は元々の「プロの世界」になるということです。

ということは、結局「国民主体の裁判」なんてのは成立しないのでは?という
ことになるわけで…。
と思っていたら、ここから先がとても面白かったのです。
実は件の裁判員法の目的そのものが間違って理解されているのでは、
というお話を明日にでも。

この項続く。

いつもお読み頂きありがとうございます。


近況報告その2
2009.01.16

centerkita.jpg

横浜市都筑区、センター北駅近く。

おはようございます、観覧車があるのです。
何度か乗りましたね。


昨日からの続き、たまには仕事の近況報告でも。
販促活動を続けた結果についてです。
新年辺りから動きが顕著になってきたのですが、少しずつ反応が出てきた
感じがしています。
おかげさまで新規顧問先の獲得にもいくつか成功しました。

きっかけとなった媒体も様々です。
紹介会社様経由、DM、既存顧客様からのご紹介等々、色々やって少しずつ
効果が出てきたかなぁ…という感じです。


その一方で既存顧客の減少という事案も起こってきました。
長い事業活動の中では仕方がないことなので、あまり気に病んでも仕方が
ないのですが…。
原因としてはより料金が安い税理士さんに移ったか、そもそも事業を廃止する
というものです。

料金に関していえば、この半年で業界を通しての価格破壊傾向が
進んでいるように感じられます。
ここでも繰り返し書いているのですが、私は複数の税理士にお会いになることを
お勧めしています。
その際、他の税理士さんの報酬金額について聞いてみると
「本当にそれで仕事ができるの?」というようなものがチラホラ。

潜在顧客にとって価格の低減傾向は決して悪いことではないのですが…
中国産食材の問題ではないですが、業界全般としての品質劣化が今後
問題になるのではないか、ということを強く懸念しています。
質の低い仕事が横行すれば、結果的に市場から税理士業という職業そのものに
対する信認が著しく低下することになるわけですし・・・。


しかし、私個人としては決して悪くない新年のスタートです。
これからの繁忙期、少し気合いを入れねば…。


いつもお読み頂きありがとうございます。


近況報告その1
2009.01.15

tyaduke.jpg

お茶漬け。

おはようございます、先日自宅にて。
美味しい出汁があったのでやったのですが…絶品でした。


たまには自分の仕事についてでも。
ここ一年ほど色々と自分なりに動いてみました。
各メディア媒体を使っての広い意味での広報・広告活動などです。
紹介会社・ネット広告・紙媒体への広告・記事の出稿等々、少しずつ手を
広げながら販促活動をしてみました。

効果があるものからないものまで本当に様々です。
評価が非常に難しいものもありますし、直接的な影響はないにしろ
間接的には効果があったようなものもありますし・・・。


何にしろ、税理士業界では広告・広報活動に関するセオリーが
未だに確立されていないので、本当に手探り状態です。
ご存知の方もいらっしゃるかもしれませんが、以前はこの業界は
厳しい広告規制が敷かれていました。


人並みには勉強をしている(勉強している方面は特殊ですが)つもりですが、
その努力と成果を周囲にどうアピールすれば良いのか、難しいですね。
それ以上に大切なのは、私が勉強していることが本当に潜在顧客の方に
とって価値のあるものなのか、ということを問い続けることにあります。
それが出来ないと、自分の努力の押し売りになってしまいますので・・・。

そんなことを続けているうちに、少しずつ動きが出てきました。
明日はその点に少し触れてみます。

この項続く。

いつもお読み頂きありがとうございます。


7つの習慣
2009.01.14

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自家製餃子。

おはようございます、自家製の餃子です。
我が家の定番、この日は本当にご飯の減りが早い。


表題の「7つの習慣」というものはご存知でしょうか?
関連図書も多く出版されていますが、アメリカのとある学者さんが
「成功に関する話」を体系化して作った法則のようなものです。
日本でも出版され、かなりのヒットになったのでご記憶の方も
いらっしゃるかもしれません。

ここでその習慣の内容を挙げはしませんが、その中から一つ
面白いと思ったものを取り上げてみます。
皆さんは「重要なこと」と「緊急なこと」を使い分けているでしょうか?

例えば毎日の洗濯について考えてみます。
余程のこだわりでもない限り、洗濯について「本当に重要なこと」と
考えていらっしゃる方は非常に少ないのではないでしょうか?
しかし、もし洗濯をしないでいると日々の衣服に困ってしまいます。
その意味で洗濯は毎日欠かすことが出来ない「緊急なこと」と
考えることができます。

では読書はどうでしょうか?
夏休みの読書感想文でもない限り、読書に期限はありません。
従って読書は「緊急なこと」ではないわけです。
しかし、読書から得られる知識は本当に多くあり、自分の生活や
仕事の質を高めるのに本当に役立ちます。
その意味で読書は(少なくとも私には)「重要なこと」です。

これが「明日締め切りの読書感想文」がある状態での読書は
「緊急であり重要なこと」に該当するかもしれません。

その一方、何となくネットをボ~と眺めているような行為は
「緊急でも重要でもないこと」に該当するでしょう。


この「緊急」と「重要」の使い分けは結構大切です。
特に「物事の緊急性」に振り回されずに「重要なこと」を充実させて
いくことが大切だ、と関連図書では説かれています。

確かにそうやって「自分にとって重要なこと」を充実させていくことで
「自分のなすべきこと」がはっきりしてくるような気がします。


興味がおありの方は、是非本を読んでみて下さい。


いつもお読み頂きありがとうございます。


専門的技術の使いどころ
2009.01.13

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クリスマスケーキ。

おはようございます、敢えてこの時期に。
確かどこぞの国では今の時期にクリスマスを祝うと何かで読んだ気が…。


昨日の話とややつながります。
専門家として常日頃から思っていることを。

税理士業をサンプルに。
よく税理士を探すときのポイントに「節税に強い人を!」と挙げる方は多くいます。
また税理士側も「節税に強いです!」とアピールする人も多いです。

ただ、節税というのは「税金を節約する」ものであって、そもそも税金がないような
企業、つまり赤字企業には節税というのはそれほど関係ないのです。
あるいは当期が黒字だとしても過去に出した赤字が溜まっていれば結局は
税金(法人税)は出ないわけです。
要するに、税理士がどれだけ凄い節税策を持っていようが関係ないわけで。


この例を私は「潜在顧客の無知を利用した専門家の悪意」と捉えています。
もし本当にその税理士が節税策に詳しいのだとしても、その顧客にとって
その知識は真に有用なものではないからです。
そして、税理士がそれを知りながら顧客に伝えていないのだとしたら
「商売上のテクニック」の一言では片付けてはいけないことなのではないかと。
一言でいえば「プライドの問題」です。
それ、専門家として恥ずかしくないのかなぁ…と。


これは全てのプロフェッショナルに言えることだと思います。
知りながら害をなしてはなりません。
私は人間として出来るだけ真摯に生きていきたいのです。

ですので、私は新規面談の際に必ず「他の税理士にも会って下さい」と
お伝えしています。
お会いした方にとって「最もふさわしい専門家」を決めるのは私ではなく
その相手であるべきだからです。
「自分に必要な能力を持っている人」を選んで頂く事が、適切な事業運営には
欠かせないからです。

商売人としてはどうなのかなぁ…とは思うのですが…。

いつもお読み頂きありがとうございます。


受け手の言葉
2009.01.12

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路面電車。

おはようございます、先日大塚駅近くで撮影。
私の生活圏内にはないんですよね…路面電車。


先日読んだ本で「そうだよなぁ」と素直に思った言葉を。
専門家に対する戒めともとれる言葉です。


ソクラテス曰く。
「大工と話す時は大工の言葉を使え」


要は「相手に知覚できる言葉を使え」というコミュニケーションの基本中の
基本のことをいっている言葉です。
とかく専門家は難解に説明しがちで、またそれを格好良いと思っている
大バカ者のなんと多いことか。
そう言っている私も専門家の端くれ、自分が相手に説明する時に
本当に相手の言葉を使って話しているかと問われれば…。

常に気を付けていることではありますが。
紀元前からの人類共通の課題、私も今後とも精進致します。


いつもお読み頂きありがとうございます。


FP的要素
2009.01.11

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黒豆。

おはようございます、ご近所から頂きました。
これが綺麗に煮えていまして…おいしかったです。


昨日からの続き、私生活について。
事業面のみ把握をしていても、結局企業の安定的な成長は難しいのです。
いざとなれば社長は自分の口座からお金を出動させる必要があります。

元々そういった現状の税理士業についての限界を感じたことから、
FPの資格取得を思いつきました。
最近では社長さんの御自宅購入の相談から保険見直しまで、
それなりに対応する機会も増えてきました。
また、新規の面談などにおいても「場合によっては私生活のことにも
触れさせて頂く事があります」とお伝えすることがあります。
健全な企業成長のためには、避けては通れないことだからです。
御理解頂くのは、正直に言えば中々難しいのですが…。


資金繰りや税負担は、事業と家事の両面から考えるべきです。
極々基礎的なことなのですが、長い時間事業を行っている程
このことを忘れがちになります。
是非一度ご確認を。


いつもお読み頂きありがとうございます。


酒代
2009.01.10

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蜜柑の皮。

おはようございます、干して乾かし、風呂に入れます。
皮に含まれる油分がお湯に溶けだし、肌がしっとりします。


昨日からの続き、私生活面についての注意点。
物凄く平たくいってしまうと「所得の水準を超えた生活」をしてしまう
ケースが後を絶たない、ということです。

以前あったとあるケースです。
その個人事業者の方はかなりの利益を出しており、同業他社と比較しても
頭一つ抜けた成績を挙げていました。
が、何故かお金がない、ともかくお金がない、常に資金不足。

理由をよくよく調べてみると、要するに「事業主の飲み過ぎ」でした。
会社のレジにあるお金を持って飲みに行っちゃう…という
非常に単純で、かつ深刻な問題でした。
「事業上は大きな問題はないから、お願いですからお酒を控えて下さい」
と私からもお願いしたのですが…あまり状況は改善しませんでした。


こういった私的な支出を「交際費」として経費にしようとする社長さんは
古今東西、どこにでも存在します。
それが経費になる、ならないで確かに税務面において多少の差異は
でることになります。

しかし、真の問題はそこではなく、社長なり事業主なりが
「自分のお金」として幾らでも使って良いと思っていることにあります。
無論、自由に使って良いお金は存在します。
しかしその限度については、かなりシビアに見てもらわなければなりません。
そのお金は「継続的に事業を行うための血肉」なのです。


要するに、商売でどれだけ大きく稼ごうと、それ以上に酒を飲んでちゃ
そりゃ金は溜まらんわ、という至極当然のお話でして…。
しかし、これが中々解決しづらい問題なのです。

この項続く。

いつもお読み頂きありがとうございます。


商売が上手いだけでは
2009.01.09

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津久井浜の蜜柑。

おはようございます、お客様から頂きました。
大ぶりですが味が濃く、美味でございました。


税理士という職業においては、基本的にお客様の「事業面」について
会計・税務の側面から関与することになります。
個人事業者でも、法人でもその点に大きな違いはありません。
お客様の中には「私生活面」については決して税理士に明かそうと
しない方も多いですし、税理士側も敢えて触れようとしないことが
多いように感じられます。


…しかしあくまで「経営的な側面」から語るならば、小規模事業者には
事業も私生活も関係がないように感じられます。
これは多くの零細法人の社長さんが勘違いをされているのですが、
法人からもらう役員報酬は「給与」ではありません。
あれは合法的な裏金作りのための手段でしかないのです。
法人に利益を留保すると法人税がかかってしまうため、社長に給与を
支払ったことにしてより税率が低い「個人所得税」での課税をするための
帳面いじりでしかないのです。
(すいません、少し難しい話かもしれません)


明日、少しだけ極端な例を挙げて説明してみます。
この項続く。

いつもお読み頂きありがとうございます。


10周年
2009.01.08

おはようございます。

このニュースを見て。
euro導入10周年ですか、時間が経つのは本当に早いものです。

実は私、ユーロ導入の瞬間、スペインにおりました。
大晦日に買い物したときにはなかった「euro」の表示が、
次の日からはレジで表示されたのを感嘆のまなざしでみたものです。


昨年一年、世界の金融は激震に見舞われました。
虚飾にまみれたものはそのメッキが剥がれ落ち、価値を失いました。
そして今まで最も価値があると思われていた通貨、すなわち米ドルがその価値に
疑問を呈されるという事態を迎えました。
その一方で、米ドルに代わる媒体があるのかといえば、残念ながらどの通貨も
未だ力不足と言わざるを得ないでしょう。

金融経済の膨張が終了したことは、考えようによっては実体経済が重視される
時代が訪れたといえないこともありません。
真に価値のあるもの以外は、市場において生き残ることは難しいように
感じられます。
皆さんも自分の商品の価値を多角的に高める努力を怠らないでください。
商品の価値、広告や広報の方法、値付け、流通方法など、考えるべき
ことは幾らでも存在します。


無論、私もより高みを目指せるよう努力しなければなりません。
…自分の実力不足が身に染みる今日この頃です。

いつもお読み頂きありがとうございます。


やるべきは今
2009.01.07

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夜警の車。

おはようございます、年末のことですが、町内の警戒班で町を回りました。
毎年のこととは言え、寒いのですよ、これが…。


昨日からの続き、経営について一言。
多くの人が「現状の自分のマズイ点」を認識しています。
そして「変えなければならない」と思っています。
また新しい課題に向かい「やらなければならない」ことも理解しています。
しかし、タイミングが掴めずに着手せず、そのままになっていることがあります。
そんなこと、多分誰しもあるのではないかと。

多くの経営者や偉人と呼ばれるような人が共通のことを述べています。
それは「やるべきときは今」だと。
よく「長期的な展望に立って」だの「将来的に解決できれば」といった美辞麗句を
用いて現状から目を背けようとする人や企業が多くあります。
しかし、それらの言葉ははっきりいえば現実逃避であり、結果論からすれば
「何もしません」と宣言しているに等しい場合があります。

我々は「現在手にしているもの」しか使うことが出来ません。
そしてその「現在手にしているもの」を「今」「どのように使って」課題を解決するか、
ということを常に問われ続けているのです。


イチロー選手が「今やるべきことをやるだけです」と繰り返し述べているのは、
決してコメントを考えるのが面倒だから、といった理由ではありません。
その姿勢こそが結果を出すために最も重要な姿勢だからです。

この一年、是非「今」やるべきことを考え、実行してみて下さい。
私もそのつもりでこの一年を頑張ります。

いつもお読み頂きありがとうございます。


自分を経営する
2009.01.06

おはようございます。
年末調整後始末から償却資産税まで、1月は結構忙しいのです。


昨日からの続き、合理主義を何の工夫もせず導入すると危ないのではないか、
という話を取り上げてみました。
ここで土台の候補として、海外であればためらいもせず「宗教」を持ち出す
ところなのだと思います。
しかし日本では宗教について触れることは半ばタブーとなっており、
また多くの人が「今から○○教を信じましょう」などと言われても強い
忌避感を示されるのではないでしょうか。
(それについては私もほぼ同じ意見です)

現在信じる宗教をお持ちの方は、その意味で土台がない人よりも
強い部分があると言えるのかもしれません。
残念ながら宗教は多くの場合経済的な要素と関わりを持っている
こと(寄付金等)から、客観的な評価は難しいのだとは思いますが。


では宗教に頼らないとなれば、他には何があるでしょうか?
私はここで「世界を創る」ことに長けている日本人として発想法を大いに
活用すべきなのではないかと思っています。
物凄く平たくいうと「自分で自分の世界を構築する」ことが必要なのでは
ないかと。
「自分の人生を自分で切り開く」というとやや陳腐な物言いに聞こえるかも
しれませんが、私はこの発想法がこれからの日本には必要なのでは
ないかと思っています。

従前は土台に「企業・会社」というものがあったわけですが、今やその
信頼感は地に落ちています。
その一方で企業側も「個人の特性」というものを活かせているとはとても
言い難い状況です。
相互に意思疎通を図るのが難しい以上、個人として頼るべきはやはり
自分自身なのではないかと。


このような話をまとめると、私は「自分を経営する」ことの重要性が
問われるのではないか、と思っています。
そして経営において大前提となることを一つ。
この項続く。

いつもお読み頂きありがとうございます。


何を土台とするか
2009.01.05

おはようございます。
今日から仕事始めの人が多いのでしょうか。


昨日からの続き、合理性のみに目がいくことの怖さについて。
我々が西洋から輸入している多くの科学的手法は、合理主義を論拠として
いるわけですが、西洋においてはその合理性の後ろに「神様」という絶対的な
存在があるからこそ合理主義を用いても問題が生じにくいのです。
「神様に間違いはない」という土台があることが、合理主義には必要です。


さて、ここで我々日本人について考えてみると、少し条件が変わります。
多くの日本人は所謂無神論者に近いわけですから、「絶対的な存在」を
持たないわけです。
その状態で西洋の合理主義を導入した場合、どうなってしまうのでしょうか?
合理主義のもとでは、どうしても人間が「何を土台とするか」についての
自信が薄れていくことになります。

要するに、生きるべき土台を持たないまま合理化の道を進めてしまうと
「人として生きる道」を見失ってしまう可能性があるのではないかと。

随分前に「無宗教の人間は海外では信用してもらえない」という話を
書きましたが、これは「信じる土台がない者は信用できない」という
欧米等における常識のようです。
その常識を理解しないまま欧米流の合理主義的なやり方をありがたがることに、
私は大きな疑問を感じているのです。


我々はもう少し日本人に合った方法論を考える必要があるのではないか、
という気がしています。
この項続く。

いつもお読み頂きありがとうございます。


世界を創る
2009.01.04

おはようございます。

昨日からの続き、日本人の発想について。
「やおろずの神」なんて言葉がありますが、日本ではとりあえず
ありとあらゆる現象に神格を与えて信仰や畏怖の対象としました。
それらの神様はきまぐれで、とても人格者とは言えず、そろいも
そろって女好きで男好きで酒好きで、とても人間的です。
日本的発想では「世界を自主的に作っている」のかもしれません。

一つ象徴的なものとして、盆栽があります。
ご存知の方も多いかと思いますが、あれは鉢の中に「世界」を
作ります。
西洋的な発想でいえば、鉢の中の木の枝には必ず意味がなければ
ならないことになりますが、盆栽の世界はそんなものではありません。
「鉢の中全体で世界が構築されている」わけで、一つ一つの物質を
とりあげてもそこに合理的な理由があるわけではありません。
西洋におけるレゴブロックと、日本における盆栽とでも比較してみると
何となく違いがわかるのかもしれません。


なぜ最近このようなことが気になるのか。
それは「合理的な発想法が大切だ」という思想にとらわれ過ぎて
しまうと、我々は大切なことを見失ってしまいがちなのではないか、
と考えているからです。

この辺り、先日までの話と絡めて少し触れてみます。
この項続く。

いつもお読み頂きありがとうございます。


誰がために
2009.01.03

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路上演奏、溝ノ口にて。

おはようございます、ここ数年で演奏者のレベルが確実に上がっているようです。
演奏者同士の相互作用みたいなものがあるのかもしれません。


社会における役割の有無について昨日も触れましたが、「誰のため」ということに
関して少しだけ触れてみます。

私の趣味である合唱においては、主にキリスト教からのテキストが用いられた
曲が多くあります。
ラテン語や英語などで書かれているそれらの曲は、聖書から元になっています。
これらの曲を歌うに当たり、西洋の人々がどのような意識で歌を歌っているのか。
彼らはさも当然のように「神様のために」と言います。
我々日本人が彼らの作った歌を歌うに当たり最も問題になるのは、実はこの
辺りの意識の違いにあったりします。

西洋における基本的な思想として、理性を重視する合理主義があります。
科学という思想はそもそもこの合理主義から発生しているわけですが、
この合理主義を突き詰めてしまうと人間を部品のように捉えてしまいがちに
なります。
ベルトコンベアを用いた大量生産方式が西洋において開発されたのも、
この合理主義の発露であると考えられます。


面白いのは「神様は絶対である」という前提を持ちながら「合理主義を
持ち続ける」という姿勢を崩さないことでしょうか。
彼らは自分の上に「絶対的に正しいものがあり、それは人間には到達
しようがない」という存在を置いて、その下に自分たちの出来る合理性を
追求しようとしているのです。

所謂「唯一神」と呼ばれるような神様は、概ねこのような構造を持っています。
ここで我々日本人との差異を少し考えてみます。

この項続く。

いつもお読み頂きありがとうございます。


社会の根なし草
2009.01.02

おはようございます。
新年如何お過ごしでしょうか。


昨日のお話とそのままつながります。
自分が社会とつながっていることを実感できることは本当に幸せです。
私には家族がいて、お客様がいて、一緒に歌い、剣を振るう仲間がいます。
そしてそれらの人々とのつながりから、私は社会において何を成したいのかを
改めて考え、実現するために努力を続ける事ができます。

ところが、社会における自分の役割を実感できずにいる人がいます。
「孤独」が原因で発生する事件は古今東西で発生しています。
突然の通り魔事件などにおいて、犯人が「社会に興味がない」といった趣旨の
供述をしていることは、やはり社会との関係の重要性を表しているのではないかと。


「これがやりたい」「あれを実現したい」「あの人のために働きたい」
どんな理由でも良いと思うのですが、生きがいとでも呼べるようなものがあることは
本当に幸せなことです。
それが「経済的な充足」のみに捕らわれることで、我々は一気に孤独な生き物へと
変わってしまいます。

新年、是非「社会における自分」を見つめなおしてみて下さい。

なお、この辺りのお話はドラッカー氏の「産業人の未来」を是非お読みくださいませ。
現在の日本においてこれほど役に立つ書物もそうそうないかと思います。

いつもお読み頂きありがとうございます。


恵まれていることを知る
2009.01.01

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奥に富士、手前に相模湾、そして周囲に畑。

明けましておめでとうございます、本年も宜しくお願い致します。
先日三浦方面に行った際に見たのですが、いや、美しい景色でした。


昨日からの続き、労働者間の格差についてです。
私のような職業ですと、友人と飲んでいる時などに
「税金が高い」だの「経営者が悪い」だのという文句を言われることがあります。
(ま、私に言うことがとんだとばっちりであることは確実なのですが)

先日、とある飲み会でやはりそのような話になり、結論として
「だから経営者はだめなんだ」と話をまとめようとしていたので、つい反論を。

「経営者が従業員に給与を払い続けるためにどれだけ苦労してるのか
 知っているのか」
「賞与が減ったなんて文句を言っているが、そもそも賞与を払えないような
 中小零細企業の方が圧倒的に多いんだ。」
「簡単に「派遣を切るなんて酷い」というが、じゃ、正規労働者側の給与を
 減らすとかそういった対応になったら文句はないんだな。」

我ながら、酒の勢いもあってやや感情的になりました。
それに対する返答。
「いや、でもやはり経営者が悪い!」
ここで私は会話を諦めたのですが…


ただですね、私は知ってもらいたいのです。
先日の酒宴で一緒に飲んだ人たちは、現在海外旅行に行っているはずです。
それでいながら「生活が苦しい」だの「賞与が減った」だのと言っている。
私にはどうしてもその意見は承服しがたいです。
本当に苦しんでいる人々は今この新年を迎えることすら出来なかったかも
しれないのです。

「社会に役割を与えられずにいる人々」が存在することを忘れずにいて下さい。
そして多くの人が「自分が恵まれている環境にある」ことを知って下さい。

真の格差の原因は遠くにあるのではなく、あなたの身近にあります。
その問題に本当に対処できるのも、おそらくあなた自身です。


新年一発目、自省の意味も込めて書かせて頂きました。
今年一年、少しでも社会のために役立てるよう精進致します。