誰がために

2009.01.03

rojouensou.jpg

路上演奏、溝ノ口にて。

おはようございます、ここ数年で演奏者のレベルが確実に上がっているようです。
演奏者同士の相互作用みたいなものがあるのかもしれません。


社会における役割の有無について昨日も触れましたが、「誰のため」ということに
関して少しだけ触れてみます。

私の趣味である合唱においては、主にキリスト教からのテキストが用いられた
曲が多くあります。
ラテン語や英語などで書かれているそれらの曲は、聖書から元になっています。
これらの曲を歌うに当たり、西洋の人々がどのような意識で歌を歌っているのか。
彼らはさも当然のように「神様のために」と言います。
我々日本人が彼らの作った歌を歌うに当たり最も問題になるのは、実はこの
辺りの意識の違いにあったりします。

西洋における基本的な思想として、理性を重視する合理主義があります。
科学という思想はそもそもこの合理主義から発生しているわけですが、
この合理主義を突き詰めてしまうと人間を部品のように捉えてしまいがちに
なります。
ベルトコンベアを用いた大量生産方式が西洋において開発されたのも、
この合理主義の発露であると考えられます。


面白いのは「神様は絶対である」という前提を持ちながら「合理主義を
持ち続ける」という姿勢を崩さないことでしょうか。
彼らは自分の上に「絶対的に正しいものがあり、それは人間には到達
しようがない」という存在を置いて、その下に自分たちの出来る合理性を
追求しようとしているのです。

所謂「唯一神」と呼ばれるような神様は、概ねこのような構造を持っています。
ここで我々日本人との差異を少し考えてみます。

この項続く。

いつもお読み頂きありがとうございます。


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