スタートは合理的である必要はないのでは

透明なプラスチックの板。
おはようございます、それに子供が絵を描いています。
さて、昨日のものと組み合わさって何が起こったのか。
昨日からの続き、伝達について。
プロ意識について考えてみましたが、もう少し「そもそも論」を考えてみます。
なぜ人は他人に伝達をしたがるのか?
どうして役者を志す人は後を絶たないのでしょうか?
どうして事業を興そうとする人は後を絶たないのでしょうか?
どうして人は投書欄に自分の考えを投稿し続けるのでしょうか?
どれもこれも、単に経済的合理性のみから考えられるものではありません。
スタートにある「伝達をしたい」、少し言い換えるなら「人とつながっていたい」という
欲求に敢えて合理的な意味づけをすることに、私は意味を感じていません。
私は最近お客様に「顧客や利害関係者に対して、あなたの思いを伝えようと
する努力を怠らないでください」ということをお願いしています。
小売だろうが工事業だろうが関係ありません。
スタートにあるべきは「自分の思いを伝えたい」という根本的な欲求であるべきだと
私は考えています。
なぜなら、それが表に出てこない仕事は代替が可能だからです。
「税理士がやっている仕事」ではなく「高橋昌也がやっている仕事」と認識して
もらえなければ、いずれ私より安値を提示する税理士に仕事を奪われてお終いです。
そうならないためには、自分の中にある欲求を呼び起こす必要があります。
スタートは非合理、矛盾だらけで良いのです。
この項続く。
いつもお読み頂き、ありがとうございます。


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