吉田信康税理士事務所ブログ

税理士:吉田信康

かばんの真実 その15

2008年9月30日

一般的には、天然繊維の帆布は重量があり、
長い間使用していると日に焼けて色褪せたり、
縮んだり型崩れする欠点があります。
しかし、化学繊維は丈夫だし、腐らないし、退色もまた縮まない
といういいこと尽くめなのです。
よって現在では、合成繊維の帆布が主流になってしまった
というのはだいたい想像つくと思います。
本当に今や帆船の帆もヨットの帆も全部ナイロンになっているのですね。

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事実、帆船の帆だけでなく、戦後屋外で使用する帆布は、
綿から99.9%化学繊維にとってかわっているそうです。

そうなると、戦後は帆布の業界はどうなったかお分かりになりますか。
結果的に、天然繊維の帆布の需要が激減してしまったことで、
質も低下してきてしまったのです。
ということは、天然繊維を取り扱う一澤帆布にとって、
良いカバンを作り続けるために、良質な材料をいかに確保することが
経営上重要なポイントだったかお分かりになると思います。

この難題に対して、一澤帆布の社長さんはどうしたでしょうか。
やはり、ここで優れた経営手腕を発揮していくのです・・・。

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かばんの真実 その14

2008年9月29日

ものづくり」のお話をもう少し。
この会社の強さです。素材についてのウンチクを・・。

・・・でもなんか、
日テレの「行列のできる法律相談所」みたいになってきましたね。
あの番組は、回り道が多くて、なかなか法律の話になりませんね。
法律番組ではなく、まったくのバラエティー番組ではないかと・・・。
「脱線していないで早く!相続のお話の続きを!」
と言われていそうですが、もう少し回り道します!
しかし、いっそのこと
行列のできる!ブログ税務相談所
なんて作りましょうか・・・。(すいません。また回り道・・・)

しかし、「帆布」なんてものは、普通の方はピンとこないと思うのです。
名前のとおり「帆の布」つまりヨットの帆で説明してみましょう。

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昔は帆船の帆もヨットの帆も全部「綿帆布」でした。
綿帆布は、戦前から日本では原綿自体は輸入していますが、
日本でダイワボウとか東繊などのメーカーが帆布を織っていました。
戦争中にアメリカで化学繊維が発明されてしまうのですね。
それで大変なことが起こってしまうのです・・・。

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かばんの真実 その13

2008年9月26日

「一澤帆布は相続問題で有名になって、
結果的にカバンが売れるようになった・・・。」
そんなお話を相続のセミナーで弁護士さんから聞いたことがあります。

それは、まったくの誤解だと思うのです。多分一澤帆布をよくご存じない
のでしょう。
そういう先生は、きっとカバンを見たことも買ったこともないのでしょう。
確かに、最近相続のお話でマスコミに頻繁に登場して、名前がかなり知れ渡りました。
でも、これだけ人気になったのは、
やはり老舗としての「ものづくり」の姿勢が
高く評価されてきたからだと思うのです。

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この有名なラベル一つとってもそうです。
漢字で書いてありますし、住所まで書いています。
このラベルが初めてできた20数年前なら、
普通はローマ字で「ICHIZAWA」のようにつけたと思うのです。
それをあえて漢字にした。「一澤」というのもいい響きです。
これが「木村」とか「山本」のような、それこそ「吉田」のような「陳腐な」
名前だったらどうだったでしょうか。

住所が書いてある理由。何だかお分かりになりますか。
「この住所に来て頂いたら修理します」という製造責任をうたっているのです。
保証期間が一年と決まっている訳ではないのですが、
もし使って1年も経っていないのに具合が悪くなったりしたら、
たいてい無料で修理するか、新品を送ってくれるそうです。
往復の送料も負担してくれます・・・。

こんな会社は本当に少ないと思うのです。
自分の製品に対するゆるぎない自信の表れなのでしょう。
最近の「偽装してまで売ってしまう」社長さんたちにお伝えしたいお話です。

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かばんの真実 その12

2008年9月25日

昭和58年信三郎氏は35歳の若さで社長になります。
社長に就いた直接のきっかけは、
信夫氏が巻き込まれた地上げ騒動だったらしいですが、
難局をうまく乗り切り、名実とも社長になりました。
信夫氏は、社員の前で、
「これからは信三郎が社長や。」と報告し、得意先にも共に挨拶回り
したそうです。
再三言っていますが、挨拶なんかどうでもよく、
ここで本当の事業承継をすべきだったのでしょう。

また昭和58年というところがミソです。
この意味お分かりになりますか。
その後バブルが訪れてしまうのですね。
結果論かもしれませんが、そこで株式の移動が行われていれば
その後の悲劇は防げたと本当に思うのです。

その後に起きる相続と言う不幸にまったく気がつかず、
お二人で力を合わせて会社発展させていきました。
その後25年間会社は売上を延ばし続けていきます。
結果的に会社の価値を引き上げ、株価も上がっていったのでしょう。
経営者としてすばらしい力をお持ちなのに・・・。

こういうこともあるということを専門家として心得ておくべき事案です。
ただお二人のファンとしても何とかしてあげたかったと本当に思います。
誠に残念!

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かばんの真実 その11

2008年9月24日

お待ちどおさまでした。
いつまでも自慢話!?にお付き合いさせては申し訳ないので、
お話を戻しましょうか。

昭和55年、三男信三郎氏が朝日新聞を退社し、一澤帆布に入社します。
しかし、その当時は「会社とは名ばかりで、実質的な赤字経営で
給料の支払いにも困るような状態」だったそうですが、やはり、
父親の信夫氏が
「ええ会社におったのにすまんな。」と何度も言って喜んだのは当然でしょう。

以前指摘したように、事業承継としての株式の譲受けもないままに
この4代目信三郎氏は会社を一から変えていきました。

「私も背広をジーパンにはき替えてシートの修理やテントの取り付けにも
出向きました。
子供たちは保育所に預けて、妻と共に注文書を印刷し、職人たちを
日給制から月給制にして、会社の形態を整えることから始めました・・・。
我々夫婦は一つずつ会社の基礎を築いてきたのです。」(HPより)

信三郎氏の経営術は本当に参考になります。
これはまた、「一澤帆布から学ぶ経営術」としてブログネタですね。
書籍も見つけたので、そのうちに詳しくご紹介していきましょう。

この会社をいろいろ調べましたが、この信三郎氏と奥様の恵美さんとで
力を合わせて会社を発展させたのは間違いないようです。

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勝手ながらお二人の写真をアップします。
すばらしいご夫婦です。本当にいいお顔されています。

私としてもこのお二方のファンになりました。

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囲碁のお話 その6

2008年9月22日

さあ!高校3年の夏。最後の大会です。

まず東京都予選は楽に勝ち抜き全国出場決定。
アレだけ入れ込んできたのですから
さずがにメンバー3人ともかなり棋力はアップしていました。

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8月の全国大会。これも危なげなく決勝まで進みます。
「これで麻布を破って優勝だ!」
と意気込んでいたところ、何と準決勝で麻布は負けてしまいます。
正直ショックでした。
相手は島根県代表。
「麻布ではないのか・・。田舎の高校で(失礼!)やりにくいね。」
と言い合ってはいましたが、勝負のあやがここにあったようです。

決勝戦。
押し気味に進めたものの1対2で惜敗してしまい、涙の準優勝です。

TBSのテレビ解説に私の棋譜が取り上げられ、
解説者から「こうすれば楽に勝てたのにね。」と言われ、
また涙です。

あの碁は30年たった今でも手順をよく覚えています。
自分のこれまでの人生で悔しかったことを3つ上げろと言われたら
真っ先に思い浮かぶ出来事です。
でも青春の宝物でもあることにも間違いありません。

ただ、「準優勝して良かったね。」と皆から言われましたが、
やはり優勝と準優勝は雲泥の差です・・・。

そんな経験があるからでしょうか、
高校野球で優勝した早稲田の斉藤佑チャンより、
できなかった楽天のマー君を、私は心から応援してしまいます。

(囲碁のお話おしまい。つづきはそのうちに・・・)

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囲碁のお話 その5

2008年9月19日

「絶対優勝する」つもりで望んだ全国大会は残念ながら7位。
その時の優勝校は麻布高校でした。当時は麻布の全盛期で本当に強かった。

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それから「打倒!麻布!」に燃え、また囲碁に熱中しだします。

「何としても麻布に勝ちたい!」
負けた悔しさから、顧問の先生とメンバー3人とで打ちまくりました。
顧問の先生も東京都の教員大会で常に優勝するくらい強い方で
熱心に教えていただきました。
またバスケットボールも続けていたので、
へとへとになって帰宅してからも、打碁を並べていました。
本当に充実した時代でした。
いつ学校の勉強していたかまったく記憶にありません・・・。
その頃の右手の人差し指の爪は、碁を打ちすぎて黒くなってもいました・・。

まったく余談ですが、
その時の「打倒!麻布!」の精神は、
税理士となった今でも生きています。
よく麻布税務署から税務調査を受けるのですが、
麻布!」と聞いただけで、
絶対負けたくない!」態度で臨んでしまいます。
税務署の方にはいい迷惑かもしれませんが、
これは私の個人的なトラウマです。
すみません・・・。

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囲碁のお話 その4

2008年9月18日

高校(都立竹早)に進学して、バスケットボール部に入部。
週6日シゴかれてしばらく碁からは遠ざかります。

高校2年になって、始めて「全国囲碁高校選手権大会」が
行われることになりました。
当時はTBSがスポンサーで、朝日新聞の高校野球に対抗してか
「高校野球に次ぐ、高校囲碁を広めよう!」
と力入れていました。
当時のキャッチフレーズが、多少臭い感じがしますが
打ち込め!青春!!

我が高校も私を大将にあと2名駆り出され、急遽囲碁部を創設。
東京大会を勝ち抜き、見事全国大会出場を決めました。

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その時のカップです。私の宝物です。
東京代表の四校がTBSのスタジオに呼ばれました。
その時の代表校は麻布、開成、武蔵のいわゆる御三家と我が高校。
テレビ局側も話題性から急遽特番を組んだようでした。
この時、生涯初の(最初で最後の?)テレビ出演。

番組の最後に、全国大会に向けた抱負を聞かれて、
妙に大人びたコメントを言っていた御三家の連中に対し、
私がスポーツ刈の頭で高校生らしく一言。
絶対優勝します!」

このコメントにより翌日高校中で一躍ヒーローに。
本当に楽しい思い出です。

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囲碁のお話 その3

2008年9月17日

当時、市谷の日本棋院に「木谷会」という教室がありました。

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今では伝説となってしまった教室なのですが、
その頃全盛極めていた木谷門下の棋士達が熱心に運営していました。
生徒が30人くらいしかいないのに、先生は常に10数人もいました。
その先生達も当時の大竹名人を始め、石田、加藤、武宮
当時の三羽烏、その後タイトルを総なめにしていった趙(治勲)
小林(光一)など早々たるメンバーが指導していました。
(碁を知らない人はまったく分からないと思いますが、
碁を少しでもやったことのある方なら、皆必ず分かる超有名人達です。)

ただ中学生になったばかりの私は、そんなおじさんたち
まったく興味がなく、故木谷礼子プロ、小林千寿プロ、小川誠子プロなど、
美しくてやさしいお姉さま方より熱心に指導してもらっていました。

当時その教室内で大人に混じって小中学生が確か5、6人在籍していたと思います。
そのほとんどがその後プロ棋士になっていますから、
やはり伝説の教室だったのでしょう。
面白いように棋力が上がっていって、何度か教室内のリーグ戦で優勝したり
して楽しかった思い出しかありません。

ただ、ここで私の人生初(!)の挫折を味わうことなります。
中学2年生の冬、当時確かに棋力4、5段はあったと思いますが、
プロの道はキッパリあきらめました。
才能がないと自ら判断しました。
この判断は正しかったと今でも思っています。
(そんなにエラそうに言うほどのことでもないか・・・)

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囲碁のお話 その2

2008年9月16日

始めた頃、近所に双子の友達がいました。
その双子は後に東京代表になったくらいのアマ碁界で有名な双子
なのですが、当時は彼らと一緒に30級くらい(初歩の初歩)でスタートしたと
思います。

数年前大ヒットした「ヒカルの碁」という漫画をご存知でしょうか。

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今ではその漫画の影響で、小学生が碁を打つのは
まったく珍しくないのですが、40年ほど前は、本当に
珍しかったと思います。
その3人で、週に3日も碁会所に通っていました。
ただ熱心に通った理由は、途中にある肉屋でハムかつが食べられたことと、
行くと必ず先生がチョコレートをくれたからです。

また、父は定年になったら碁会所を開くのが夢だったらしく、
その市場調査(!?)のために日曜日になると、
都内のあちこちの碁会所に連れて行かされました。
それほど真面目に囲碁を勉強した覚えはまったくないのですが、
小学校高学年になると一応棋力は初段くらいにはなっていたでしょうか。
「ボク打てるの?」
碁会所で面白半分にかかってくるオヤジ連中に、面白いように勝ちました。
それを横でニヤニヤしながら父は見ています。
でも、その頃の碁会所は本当に活気があったと思います。

また、今では小学生の大会が全国規模で盛大に行われますが、
当時はそんな大会もありませんし、子供教室すらなかったと思います。

父は私が中学生になると市谷の日本棋院に連れて行きました。
多分プロにしたかったのだろうと思います。
しかし、お恥ずかしい話、実は囲碁のプロという世界がどういうものか、
本当に親子共々まったく知りませんでした・・・。

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囲碁のお話 その1

2008年9月12日

ちょっとカバンのお話に熱が入りすぎてきたと思うので、
ここらあたりで、少し「箸休め」を。
(本当は実はまだ原稿ができていない・・・。
これからがこの物語の佳境になってきます!お楽しみに!)

私のスポーツ以外の趣味に、実は「囲碁」があります。
始めたのは小学校の3年生の頃ですから、
何と囲碁暦40年!くらいあります。
税理士会の中でも40年もやっている人は少ないみたいです。

最初に囲碁を教えてくれたのはでした。

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写真はその頃父と良く打った碁盤です。
この碁盤を見ると、
負けて悔しくて泣きながら打っていたことを思い出します。

その教えてくれた父も、残念ながら一昨年84歳で他界しました。
私も今税理士として、相続のお話をブログで、
こうして偉そうに書くような身分になりましたが、
実際の吉田家の相続では、幸せなことに
もめるほど財産はありませんでした。

結局今ではこの形見となった碁盤しかもらえませんでしたが、
母も健在でまた兄弟仲良くいることもでき、それをまったく
不満にも思っていません。
私に五体満足の健康な身体と、囲碁というすばらしい趣味を
授けてくれた父に今でも心から感謝しています。

しばらくは私の趣味のお話(自慢話?)にお付き合いください。

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かばんの真実 その10

2008年9月11日

登記簿謄本で調べたところ、
一澤帆布は昭和36年に、資本金1000万円で設立されています。
多分、三代目信夫氏が全部保有していたと思います。(推定です。)

そこで、その価値(つまり株価)が問題になりますが、
「当時の会社は実質的な赤字経営で給料の支払いに困るような状態でした・・・。」
(信三郎氏HPより)と言っていることからことから、多分赤字会社であれば、
価値としてはそれほど高くはなかったはずです。
思い切って、そこで持ち株を後継者の信三郎氏に贈与すればよかった
のでしょう。

ただ、ここで「生前贈与をしたい・・」と自ら言い出すような経営者は
誰もいないはずです。
顧問弁護士や税理士が正しくアドバイスすべきであったと思うのです。
そうすれば、その後の悲劇は防げたはずなのです。
そこで、もし長男の方が文句を言ってくるのであれば、
それこそ、そこで兄弟間で、しかも三代目がお元気なうちに
本当にちゃぶだいをひっくり返しても、よく話合いができたと思うのです。

厳しい言い方しますが、
この事件は顧問の先生の指導ミスでもあったのではないか
とさえ私は思うのです。
ちょっと言い過ぎかもしれませんが、顧問業をなりわいとしている身として
他人事でもいられません。

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ところで、ここで「贈与」といった瞬間!
「将来の遺留分の・・・」と突っ込んでくる真面目な弁護士先生が
でてくるでしょう。
良かったですね。これから行われる民法改正がここで話せるのです!
私がこれまで一生懸命説明したネタをどうぞ使ってください。

ただ私はこのお話を今するとややこしくなるのであえて触れません。
お得意の弁護士先生に教えを請うてください・・。
喜んで訳の分からない説明をしてくれるでしょう!?

(今「誰でも分かる遺留分物語」を"脱力系"執筆中です。そのうちに・・・。)

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かばんの真実 その9

2008年9月10日

まず「事業承継とは?」という初歩的なお話からしていきましょう。
「社長が代わることではないの?」
正解です。
ただ専門家として申し上げたいのは、
会社の持ち株」の承継こそが、事業承継だと申し上げたいのです。

でもよく聞かれます。
「他人に売れない、中小企業の持ち株に意味があるの?価値があるの?」
これは結構一般の方もよく理解しないところなのでしょう。
税金のことより、持つことの意味をよく理解しないで、
遺産分割の際に、何となく法定相続分で(つまり親族間で適当にバラけて)
相続してしまう会社も本当に多いです。
経営権の確保という意味でも重要ですし、また経営しない人にとって持ち株は
無用の長物なのです。

私も相続の申告を依頼された際、被相続人(つまり亡くなった方)が
会社を経営されていると、株価の算定を必ずやります。
持ち株も立派な財産なのですね。
「赤字会社でもそんなに価値があるの?」
「そんなに税金がかかるの?」
結構驚かれる方が多いものです。

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ただ、この税金の問題が出てくるのは、特にバブル以降のお話です。
お話を戻すと、一澤家で事業承継が議論された時点、
多分昭和54、55年当時ですので、
それほど株価は高くなくて、大して税金は出なかったと思うのです。
だからこそ動かすチャンスであったのです。

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かばんの真実 その8

2008年9月 9日

この時兄弟間で話し合いがされました。
その結果、長男ではなく、実家の近くに住んでいた三男の信三郎氏が
せっかく9年間も勤めた朝日新聞を退職して、
家業を手伝うことになったのです。

長男信太郎氏は、後にこう言っています。
「父としては、家督は長男が継ぐものと考えていましたから、
私が実家に戻るのが自然な流れであったかもしれません。
私もいつかは京都に戻って、一澤帆布を継ぐことになるだろうと
思っていました。
父は当主は長男の私で、普段の経営は信三郎にやらせておけばよい
と考えたのでしょう。」

そう本当に言ったのかもしれませんが、
私は何となく都合のよい解釈のような気がしています。
長男の方が銀行をここで辞める気があったかどうかは分かりません。
ただ、ここでも大事なことは、「家督相続」の考えを長男は
述べていることです。

一方で、信夫氏の弟の恒三郎氏(つまり叔父さん)は
「長男信太郎氏は銀行で出世し家業には興味がなかった・・。」
こういう証言もあります。
確かに長男は銀行で支店長まで出世し、その後定年まで勤め上げています。

ただこの時点が私は事業承継の大事なポイントであったと思うのです。
ここで明確な事業承継がされていれば、その後の悲劇は起こらなかったはずです。

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いろいろ書いてきましたが
「一家庭のあれこれを面白おかしく詮索する」
そこらの芸能レポーター
ワイドショー的なお話になってきたような気がしてきたので、
専門家としての正しい「突っ込み」を入れていきましょう。

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かばんの真実 その7

2008年9月 8日

長男信太郎氏は京都大学を卒業して、
東海銀行(現三菱東京UFJ銀行)に入社してしまします。
この時点で、三代目信夫氏はまだまだ働き盛りであり、
長男の方が卒業と同時に家業を継ぐということはないでしょうし、
経営者の後継者候補が、一度他人の釜の飯を食うため、
銀行に入ることは昔も今もよくあることです。

二男の方は、生後すぐ亡くなったそうです。
(あとの民法の説明上重要なので、大変恐縮ですが、
あえて説明させていただきました。相続人は3人ということです。)

三男信三郎氏も優秀でした。
地元同志社大学を卒業して朝日新聞に入社してしまいます。
朝日新聞といえば、
昔からマスコミ志望の大学生の人気ナンバーワン企業です。
本人もマスコミ業界で活躍したかったのだろうと思います。

結局四男喜久夫氏が、当初家業の跡目候補として
手伝いをすることになりました。
絵心があったらしく、かばんの半分が喜久夫氏のデザインです。
後に有名になった「一澤帆布製」と書かれたネームタッグも彼の発案でした。

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ただ残念ながら身体が弱かったらしく、会社には週に2日程、それも
午後からしか出てこない状態で、とても将来の社長は勤まりそうもありません。
一方で、三代目だけでなく十数人の職人達も高齢化してきて、
このままでは「老舗一澤帆布」の廃業の危機です!
さあ!困りました!!

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かばんの真実 その6

2008年9月 5日

長男信太郎氏は大変優秀だったようです。
地元の難関京都大学経済学部に入学してしまいます。
職人の親から見たら自慢の息子だったに違いありません。

・・・と、ここまで調べたところ、
私は子供の頃見た、TBSドラマ「寺内貫太郎一家」を思い出しました。

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主人公小林亜星が扮する石屋の三代目と、その長男を西城秀樹が演じていました。
息子は石屋を継ぎたくなくて、大学を目指して浪人中です。
毎回のように
「石屋なんて継がないよ!」
「キサマ!親に向かって何てこと!!」
と、ちゃぶ台をひっくり返して大喧嘩です。
そのシーンを思い出しました。
昔はどこにでもいたのですね。あのようなちゃぶ台も雷オヤジも。

一澤家のご長男の方は跡を継ぎたくなくて、必死に勉強したかどうかは分かりません。
でも長男というのは事業承継では大事な役割なのです。
ただ一澤家の三代目も、多分あの貫太郎のような頑固オヤジであったような
気がしています・・・。
(間違っていたらすいません。)

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かばんの真実 その5

2008年9月 4日

お待たせしました。
さあここで相続人登場です!

三代目信夫氏には男の子が三人いました。
話を終戦直後まで戻しますが、信夫氏が戦地から帰りカバン作りを再開したころ、
長男信太郎氏が生まれました。
ここで、昭和20年生まれということが大事なところです。

戦前は、今と違って、「家制度」というものがあり、戸主の地位は、
戸主の財産権とともに「家督相続」という制度により、承継されていました。
要するに原則長男がすべての財産と地位を引き継ぐのですね。
今の相続とはまったく違います。
制度がなくなった今でも「本家」とか「分家」という言葉をよく聞きますね。

この制度が、昭和22年日本国憲法の施行と共に廃止されるのですが、
当然長男は、四代目=跡継ぎ ということで親族や周りの職人から
言われ育ったはずです。
また本人もそう思って育ったかもしれません。
一般論ですが、今でも 長男=跡継ぎ という考えは根強く残っていますね。

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そのあたりから、この一澤帆布問題はスタートしていると私は思うのです。
本人も「家督」は長男が継ぐものと思っていたと後日述べています。

さあ、「事業相続」と「家督相続」。
このあたりがキーワードです!

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かばんの真実 その4

2008年9月 3日

三代目一澤信夫氏になり、その弟恒三郎氏とともにさらに
業容を伸ばしました。信夫氏が経営を、恒三郎氏がミシンを担当し、
まさに昔ながらの家内工業そのものなのですが、職人仕事に徹した製品は
品質にこだわる顧客を引きつけ、地道にファンを増やしていったようです。

その一澤帆布の名を世間に知らしめたのはテントでした。
昭和35年京都大学山岳部はヒマラヤ登頂に成功し、
それをサポートしたのは一澤帆布の製品だったのです。

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今のアウトドア用品のさきがけといったところでしょうか。

その信夫氏も65歳になったとき、
いよいよ事業承継という難題が持ち上がりました。

ただここで事業承継という観点から、大事な点なのですが、
その時の会社の状態です。
ある方の三代目への追悼文の一節です。
「今とは違って、店はせまく古ぼけた店のガラス戸を開けると、
種々なバック類や作業服が並んでいた。奥からはミシンの音が
聞こえてきた・・・。」
大変失礼な言い方かもしれませんが、それほど繁盛している訳でもなく、
どこにでもある商店街の一角の古い老舗といったところでしょうか。

何となく想像がつくのですが、採算を度外視した職人気質の経営。
それでも老舗という大事なカンバンを守らなければならない・・・。
当時も今もある日本の典型的な承継問題だったのでしょう。

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かばんの真実 その3

2008年9月 2日

二代目一澤常次郎氏から帆布を本格的に作り始めました。
主に牛乳屋や大工、植木屋などの職人用のかばんを手がけ、
戦後にはリュックサックや学童用のランドセルなども作り出しました。

帆布(キャンパス地)とは綿や麻で織られた厚手の織物です。
それを職人さんが手作りで一つ一つ丁寧に作り上げていきます。
しかも製造直売で対面販売し、購入したお客さんの要望を聞きながら、
さらに改良も加えていっています。

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これはなんと!牛乳屋配達用に考案された「牛乳袋」です。
底が丸くこれで牛乳瓶が20本も入るように考えられています。
しかも、自転車のハンドルに引っ掛けて運ぶので、
側面を二重の布で補強もしてありますし、
持ち手はわざとロープにしています。
さらに牛乳瓶が割れた時(!)のために穴まであけています。

このようにお客さんの要望に一つ一つ親切に応えていますし、
本当に職人さんの愛情が感じられる作品です。

この牛乳袋一つ見ただけで、職人さんの心意気を感じるところですし、
一澤帆布の実に親切な仕事ぶりもよく分かります。

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かばんの真実 その2

2008年9月 1日

では、一澤帆布の歴史から説明していきましょう。
創業者 一澤喜兵衛氏は大変ハイカラな男だったようです。
まず明治19年に、京都で初めてドライクリーニング店を開業しています。

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また、文明開化の中、西洋バンドに憧れ、「京都バンド」を結成し興業でも
活躍しました。
この頃に家一軒くらいの値段だった(!)ミシンを買い、
天幕や帆布を作り出しました。これが明治38年、一澤帆布の創業です。

もうここまでで、「突っ込みどころ」満載ですね。
つまり、明治の「元祖ベンチャー企業」だった訳です。
しかも、いわば桑田圭佑が青山学院で学生ベンチャーを起こし
巨額の資金を投入して電子計算機を開発したような、(すこし変な喩えか・・・)
初代はなかなかの人物だったと思います。

事業承継の観点から大事なことは、京都という地域性に着目したいと思います。
日本の伝統文化を受け継ぐ土壌が備わったところです。
当然事業承継ということが重要視される土地柄でしょう。
また、明治の創業という「老舗」という呪縛も大事な点です。

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