今日の言葉
2009.09.16


    「先憂後楽」    (笵仲淹)


 字面からは、先に苦労しておけば後で楽しいことがあるよなんて蟻とキリギリス
の寓話みたいに捉えられるかも知れませんが少し違います。原意は、優れた為政
者は世人に先駆けて心配し、世人に後れて楽しむものだというものです。

 この言葉は為政者に限らず経営者、夫、妻、全ての責任ある立場の人に必要と
されるものと思えます。老人には安心を、若者には希望を、というのが我々が等し
く求めてきた社会ですが、年金問題、派遣切りを見ても我々の社会が思わぬ方向
に行こうとしていように感じます。政治批判は拙稿の趣旨ではありませんが、天下
りに汲々とするお役人にこのような精神が残されているようには見えません。

 割に合わないこと、得にならないことは一切しないという時代精神は一見合理的
ですが、社会全体としては何の役にも立っていません。誰も気付かないところで割
に合わないことを黙々とこなしている人々によってしか社会は成り立たない気がし
ます。大方の公務員は高い能力と、使命感とまでは言わないにしても誠意を尽くし
て仕事をしていることも知って頂きたいと思います。

 私の身の回りでも派遣切りに遭った若者を目にすることが増えています。彼らの
社会に裏切られたという気持ちは、社会にとっては取り返しのつかない損失であっ
たように思われます。派遣とは雇用と使用の分離と言われますが、それは取りも
直さず労働の商品化、必要な時に調達し不要になればゴミ箱へという制度です。
 いざなぎ以来の景気で一部企業が空前の利益を計上し、新地の飲み屋は派遣
業者の貸し切りであったと風の噂で聞いています(私は知りませんでしたが)。しか
し、若い人たちに希望を与えられないような企業こそがゴミ箱へ直行すべきであっ
たのだと思います。

 社会には若い人たちを育てる責任がありましたし、若い人たちにも自らを鍛え成
長させて明るい未来を切り開いて頂きたいと切に願います。



今日の言葉
2009.09.12


   「我々がある人間を憎む場合、

    我々は彼の姿を借りて

    我々の内部にある何者かを憎んでいるのである。」


   ( ヘルマン・ヘッセ)


 相続を巡って骨肉の争いが起こることがあります。罵詈雑言を交わす
双方の主張にはそれなりの説得力があるのですが、大方は金銭に化体
した感情のぶつけ合いの場合が多いように思えます。

 自分と全く価値観の異なる人間に対しては、訳が分からないので敬し
て遠ざけようという心理は働いても腹を立てることは少ないように思わ
れます。相手の思考が分かるからそこまで腹が立つ、つまり似ているの
です。

 ドーキンスだか竹内だかわすれましたが、遺伝学的には兄弟姉妹は
他人の始まりだと読んだことがあります(全く不正確な引用でゴメンナ
サイ)。天の配剤で兄弟姉妹にはあまり似た性格は現れない(さらに不
正確で科学的根拠は全くありません)としても、そこに配偶者を加える
と相当頻度で思考形態を部分的にも共有する組み合わせが出現して
悲劇を生むのかも知れません。
 さらに言えば、青少年の反抗期というのも自分と似たもの(=ようや
く理解できるようになった事象)に対する受容拒否という面があるのか
も知れません。

 なんだか何を言いたいのか分からなくなりましたが、人間は自分と全
く異質な遺伝子に恋をするようにできている気がします。それはそれで
新たな試練をもたらすだけのように思えますが、人間という「種」の成長
(?)のための幸せなステップという気がします。そこで自分の偽コピー
のような存在が現れた時にそれを抹殺したい衝動に駆られるのかも知
れませんがそれは鏡に映った自分の姿、「こんなの私ぢゃない!」と鏡
を打ち割るのではなく自己の成長のためのモデルと捉えることもできる
のではないでしょうか。



今日の言葉
2009.09.06


    「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」


    (空也上人)


 強迫神経症の時代だと感じています。人生で成功しなければならない、
負け組になってはならない、人に悪く思われているのではないか、バカだ
とバレるのではないか、上手くやって金を儲けなければ、現代人は有りと
あらゆる強迫観念に振り回されているように思えます。

 我々の子供の頃って、勉強も競争ではなく、ただひたすら面白いことだ
けを追い求めていた気がします。「成功」なんて薄っぺらい概念は誰かが
外国から輸入してきた流行り病のようなもので、そんなものを追いかける
ことを人生の目標に決められてはたまったものではありません。

 小学校の水泳で水の上に浮くワザを教えてもらいましたが、これはど
こかに力が入っていると上手くいきません。沈んでなるものかと手足に
力が入るとかえって沈んでしまうのですが、もうどうなってもいいや、とい
う一種あきらめの境地になってしまうと人間の体って自然に浮くようにな
っているのですね。

 これって人生に通じます。近頃は安っぽい成功ノウハウ本が大はやり
ですがアホらしい、オレの幸せはオレが決める。どうせオレはバカだし、
カネなんて食べられるだけ稼げれば良い...いや、ヤケクソになってい
るわけではありませんが、力んでばかりで何かが達成できるものではな
いと思うのです。


今日の言葉
2009.09.01


   「惨めな気持ちになる秘訣は、自分が幸福であるか

    否かについて考えるひまを持つことだ。」


   (バーナード・ショウ)


 忙しいということはそれだけで幸せだということなのでしょう。ここまでシニ
カルに言わずとも、もうすこし日本人的に率直に表現して頂くと


   「人格は日々の労働を通じて向上させることができる」
  

   (稲盛和夫)


 労働を、貨幣を得るための手段と捉えてしまうと、人生の目的も貨幣を得
ることになりかねません。


   「最後の木が枯れ草が無くなってから、人は金が食べ

   られないことに気付く」


   (どこかのことわざ、引用不正確)


 現役時代には定年後の悠々自適の生活に思いを馳せるのですが、仕事
を無くすことは予想に反して寂寥感に襲われるもののようです。むしろ、人
生の大部分を費やす仕事を受け身の奴隷的労働と捉えてしまうことの損
失と、自らを高めることができる機会にすべきということが語られているの
だと思います。