
【相続 後編】遺言書はいわば「保険」 不安を感じたときに書いておくべき
税理士法人西川オフィス神戸 代表社員 山口岳史氏遺志を実現できる遺言書
山口 前編では遺言書のなかった相続を紹介しましたが、もちろん亡くなった方がしっかりした遺言書を書かれていた事例も、多くありました。印象に残る事例に、ある企業の重役だった方が、「妻に全財産を譲る」という内容の遺言書を用意していた相続があります。そういう地位にあった方ですから、当然多くの資産をお持ちでした。
――他にどんな相続人がいらっしゃったのでしょう?
山口 子どもはおらず、自分の両親もきょうだいも高齢で亡くなっていて、きょうだいの子ども、すなわち甥や姪が相続人でした。それが、合わせて10人近くいたのです。
被相続人の遺言書がない場合、遺産は遺産分割協議で、原則として法定相続分に従って分けることになります。こうしたケースの法定相続分は、配偶者である妻が3/4、甥姪は合わせて1/4です。甥姪それぞれの取得割合は低いものの、母数の資産が大きかったため、1人当たりにしても数百万円にはなりました。
――それだけのお金をもらえるとなると……。
山口 甥や姪となると、必ずしも近しいとはいえない人たちですから、いろんなことが考えられます。そもそも、ご主人にとっても、親族とはいえ甥姪というのは、ちょっと距離のある存在でしょう。もし、そこでトラブルが発生し、遺産分割協議が長引くようなことがあれば、奥さんも速やかに遺産を受け取れなくなってしまいます。そういう事態を避けるために、ご主人は「妻に全財産を」という遺言書を残したわけです。
――遺産の受取人を奥さんだけにすれば、争いごとなどは回避できます。
山口 ここでポイントになるのが、遺留分です。一定の相続人には、被相続人の遺言にかかわらず、最低限受け取れる遺産割合が認められています。例えば、今のケースで相続人が甥姪ではなく子どもだったら、法定相続分1/2の半分の1/4が、遺留分として認められるんですね。
しかし、被相続人の兄弟姉妹、甥姪には、遺留分はありません。遺言書のとおり、遺産はすべて奥さんが受け取ることになります。
――ご主人は、そこまで理解して遺言書を書いたわけですね。
「自筆」か「公正証書」か

山口 ただ、遺言の内容を確認するまでは、少し心配もありました。ご主人が自筆の遺言書を残されていたからです。遺言書には、自分で手書きする「自筆証書遺言書」や、公証役場で公証人に代筆してもらう「公正証書遺言書」などがあるのですけど、このケースは前者でした。
自筆の遺言書は手軽に作れるのがメリットなのですが、半面、日付や署名、押印などを忘れたりすると遺言自体が無効になってしまう、というリスクがあります。
また、相続になってからの手続きも、けっこう大変なんですよ。まず、法定相続人が本当に「妻と10人近くいる甥姪」なのか、確定させなくてはなりません。その手続きに3ヵ月くらい。そのあと、奥さんと私で家庭裁判所に出かけて、遺言書を開封しました。これを裁判所による「検認」といいます。
――自筆の遺言書を勝手に開封するのは、NGです。
山口 中身を確かめてみたら、さきほどの要件も満たした法的に有効なもので、ほっとしました。遺産の内容や分割の指示なども的確で、さすがだな、と。
そうやって、遺産は100%奥さんが受け取って相続は終わったのですが、彼女は夫の甥姪に、少しずつ「心づけ」のお金を渡したそうです。
――そういうフォローをしておけば、他の相続人がわだかまりを抱くようなこともないでしょう。ところで、自筆の遺言書に関しては、法務局に持参して預かってもらえる「自筆証書遺言書保管制度」ができました。この制度について、先生はどう評価されますか?
山口 遺言書の書式などを法務局の担当者が確認したうえで預かってくれるというのは、けっこう重要かなと思います。せっかく書いたのに、形式的な要件を満たさなかったために、被相続人の思いが無になるようなことが防げますから。法務局で保管してくれるということも含め、「自筆」の安全性を高めた、いい制度だと感じます。
ただし、法務局でチェックしてくれるのは、あくまでも「形式面に問題がないかどうか」に限られることには、注意が必要です。遺言の内容については、書いた人が責任を持たなくてはなりません。
――例えば、相続人の遺留分を侵害する遺産分割になっていても、その点を注意喚起してくれるようなことはないのですね。
山口 そうです。実は、今の相続でご主人の遺産を受け継いだ奥さんは、公正証書遺言書を書きました。私は遺言執行者(※)になっているんですよ。私の考えとしては、亡くなった後に自分の思いを確実に実現しようと思ったら、やはり公正証書遺言書に分があると思うのです。
※遺言執行者 被相続人が残した遺言書の内容を実現するため、相続財産の管理その他遺言の執行に必要な一切の行為を行う権限を有する者(民法1012条1項)。多くの場合、遺言書で指定される。
形式面のリスク回避もさることながら、公正証書の遺言書を作ろうとしたら、多くの場合、税理士などの専門家に相談するでしょう。その際、遺言の内容に関して、プロの目から見たアドバイスを受けられるわけです。
――なるほど。自分では完璧だと感じていても、第三者の目から見ると改善点があるかもしれません。
山口 遺留分の侵害までいかなくても、偏った遺産分割になっていたら、不満が出る可能性は高まるはず。例えば、そうした点を客観的に助言してもらえるのは、大きなメリットだと感じます。
遺言書がトラブルを招くこともある
山口 あえて申し上げておけば、遺言書は円満な相続の武器になりますけど、内容が不十分だとその役割を果たせないばかりか、逆に争いの原因になったりもします。
こんなことがありました。被相続人は母親で、息子と娘が相続人。息子さんは、会社経営の傍ら高齢の母親と同居して面倒をみていました。
そういう事情もあって、お母さんは、息子に多めに財産を渡す旨の自筆の遺言書を残していました。形式などに問題はなく、相続は「無事」に終了。息子さんと「ひと段落ですね」という話をしていたのですが、ある日、娘さんの弁護士から遺留分侵害額請求(※)が届いたのです。
※遺留分侵害額請求 遺留分に相当する財産を受け取ることができなかった遺留分権利者が、贈与または遺贈(遺言書による財産分与)を受けた者に対し、その侵害額に相当する金銭の支払を請求すること。
――遺言書が遺留分を侵害していたのですか。
山口 そうなのです。私はこの相続自体に関与していたわけではないので、事前には気づかなかったのですが。
息子さんも、「まさか」という感じでしたね。もともと、あまりしっくりいっていなかったきょうだいだったのですが、そこから裁判になり、けっきょく娘さんの勝ち。息子さんは、親からもらったはずの賃貸アパートを売り、娘さん側に遺留分相当額を支払わざるをえなくなりました。
――相続には、そういうことが起こる恐ろしさもあります。
山口 遺言書を書く人の思いは大切です。ただ、同時に受け取る側の気持ちもよく考えておかないと、思いが果たせなくなってしまうこともあるわけです。
付け加えれば、遺留分というのは、あくまで権利です。侵害されている人が「それでもいい」と同意するのなら、問題なし。遺留分の問題に限らず、相続人同士の関係というのは、非常に大きな意味を持ちます。
――生々しいお話ですが、実際そうだと思います。
山口 ですから、もし今自分が亡くなったとして、親族が残された財産で揉める可能性が強いと思われるようなケースだったら、やはり「このように分けてほしい」という遺言書をしっかり残すべきでしょう。よく「何歳になったら書けばいいのですか?」という質問も受けるのですが、そういう不安を感じるのならば、年齢に関係なく行動に移すのがベストだと思います。
私は、遺言書というのは、「保険」のようなものだと思うんですよ。万が一のことが起こった場合に、家族が困らないように手当てしておく。これがあれば、自分も家族もある程度安心できるはずです。
遺産相続では、税金のことも考える
――遺言書についてお話をうかがってきましたが、それ以外に相続で特に注意すべきだと感じることはありますか?

山口 そうですね。経験上、気をつけてほしいと思うのは、1つは不動産の共有です。分けづらい不動産を相続人の共有の持ち物にすれば、とりあえず平等性は確保できるかもしれません。しかし、売却などに所有者全員の合意が必要になるなど、後々困ったことが起きます。
遺産に不動産が多い場合には、納税資金にも注意が必要です。受け取る不動産はモノですが、納税は現金一括払いが原則です。
逆手に取るわけではありませんが、高額の不動産がある相続では、私は揉める前に、税金についてのリアルな説明をするんですよ。例えば、「今回の相続では、相続税の税率が35%になります。1億円の物件をもらったら、税金は3,500万円かかります」と。
――遺産ばかりに行っていた頭を現実に戻して、冷静になってもらうわけですね。
山口 税理士である以上、節税のニーズにお応えするために働くのは、いうまでもありません。同時に相続については、相続人が揉めることなく、被相続人の願いを叶えるのが第一。そのために税の知識や今までの経験を生かしつつ、まとめていくのも私たちの使命だと思っています。
――本日は、参考になるお話をありがとうございました。最後に貴社のこれからの展望をお聞かせください。
山口 顧問のお客さまに対して、記帳や税務申告だけにとどまらず、数字に強い経営者、人材の育成に向けた財務アドバイスのサービスを強化しているんですよ。そうしたことを通じて、お客さまに喜んでいただくことが、当事務所の成長につながっていけばいいな、と考えています。
今回お話しした相続についても、引き続き実績を重ねて、よりよいアドバイスなどができるよう、頑張りたいですね。
――今後のますますのご活躍を期待しています。
注:記載の「事例」に関しては、情報保護の観点により、お話の内容を一般化したり、シチュエーションなどを一部改変したりしている場合があります。
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