
父馨氏から受け継いだ「がんばらない経営」
64期連続の増収は、無理をせず客に愛された証
現在は父馨氏の創業精神を広める活動にいそしむ
全国で500店舗以上を運営する家電量販大手ケーズホールディングスの加藤修一名誉会長。創業者で父の馨氏の教えである「がんばらない」「無理をしない」を実践し、創業以来64期連続の増収を果たした。当時のヤマダ電機、コジマとの激烈なシェア争いでも「お客様に対する親切」を一番の売りにして戦い抜いた。現在は、家電量販店の経営は後進に譲り、創業者の精神を広めるための会社・加藤馨経営研究所のトップとして「がんばらない経営」の真髄を語り続ける。
八木美代子(以下、八木) ケーズデンキの基本的な考え方である「がんばらない経営」の理念についてお話を伺いに来ました。加藤修一名誉会長は、がんばらない経営を貫いて2011年3月期まで64期連続の増収という途轍もない実績を残されました。普通は、がんばったから連続増収できるはずなのに、逆を行っておられる。とても不思議です。
加藤修一(以下、加藤) 経営はがんばらないほうがいいんですよ。世の中は、何でも「がんばれ」と言いますよね。がんばった結果、力んじゃって、失敗をしてしまう。スポーツ選手で、本当は金メダルが取れそうな人が、力んでしまって取れなくなる。もっと楽に行くべきだと思うのが、私の考え方です。
八木 どうしてがんばらない経営になったのですか。何か原体験がありますか。
加藤 私が子どものころ、走るのが好きで、朝早くから田んぼを走って、とことん練習してマラソン大会に出た。勝つ気満々でマラソン大会で1位独走していたけど、残り数百メートルになって追い越されて3位になった。次の年も、その次の年も3位。
あと数百メートルで1位というところで、後ろが気になって何度も振り返るうちに抜かれてしまった。1位にこだわった結果が、これですよ。この時、力んではだめ、ということを思い知らされました。
アフターサービスに出向けない地域には売らない姿勢を貫く
八木 スポーツの話で力んじゃだめというのはわかりますが、小売業も同じですか。
加藤 小売業で売り上げを無理やり上げようとするとしますよね。そうすると、無理をしないと売り上げが上がらない、そのうち、どうやってお客さんをだますかまで考えるようになってしまう。そのときはお客さんをだませても、商売は長続きしません。
この業界でがんばるというのは、目の前の数字、今月とか来月の売り上げをつくろうとすることです。それをやったら永遠にだめです。
八木 がんばらない経営という考えの対極に、「力む」という言葉があるわけですね。無理をしないで楽にやれば伸びるというのは創業者で父親である加藤馨さんから学んだのですか。

あちこちに売ってしまうと
買ってくれたお客さんに
良いサービスができない
加藤 無理をしないことは親父から学んだね。店舗が1店舗しかなかった時分、親父は県庁に行って昼休みに展示して売った。結構売れました。なのに、親父は県庁に行って売るのをやめたんですよ。県庁に勤めている人がいろいろな地域から出勤しているために、売れるけど、届ける範囲が広がってしまって大変になった。だから県庁で売るのをやめた。
八木 売れるのだから、もったいないですね。
加藤 僕も「もったいないなあ」と思ったけど、後から親父が言うのは正しいと思ったね。まだ商売の範囲が小さいのに、あちこちに売ってしまったら、買ってくれたお客さんに良いサービスができなくなる。アフターサービスが行き届かないから、お客さんが不満に思ってしまうわけです。
当時、広告を出して売るときに、広告で想定した地域より外から買いに来た人には売らないというのも守っていました。
八木 お客さんが買いに来ても売らないのですか。
加藤 うちの店が評判を呼んで、店から1時間半くらいかかるところに住んでいる人がテレビを買いに来た。「テレビを売ってくれ」と言われたけど、住んでいる住所が遠いことがわかって、「売りません」と丁寧にお断りした。
八木 お父様が県庁で売るのをやめたのと同じ理由ですね。
加藤 そのころのテレビは年に2回くらい壊れた。あなたに売って届けるのはできるけど、壊れて、呼ばれて修理に出かけていては、仕事にならない。「あなたのそばに店ができたときに買ってください」と断った。
後日談があって、ある時、インターネットに、「昔、お客さんの家は遠いから売らないと言われたことがあったけど、最近、近くにケーズデンキの店ができてやっと買えました」みたいな投稿が載っていた。俺はすっかり忘れていたけど、お客さんが覚えていた。
ライバルは人口の集まる地域に出店、自分たちは地続きにしか店出さず
八木 御社は、勢いはあっても、次々とお店を増やしませんでしたね。
加藤 1991年に福島県を地盤とする「よつば電機」を子会社化するまでは、関東以外の遠いところには店を作らなかった。水戸市内に第一号の支店である駅南店を作ったのが1972年。私が親父から社長を継いだのが1982年。茨城県外に初めて出店したのが1987年。一つの支店を作ると、次の支店はすぐ近くに作った。地続きにしか店をつくりませんでした。
ヤマダ電機(現ヤマダホールディングス)やコジマは、県庁所在地のような人口が多い場所に飛び地で出店していたけど、うちは地続きしかやらなかった。
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仕組みづくりを徹底してコストを下げるのが店舗運営の基本
八木 なぜですか。
加藤 当時、経費の内訳をみると、人件費が一番多くて、次が販促費、3つ目が店舗費用でした。同じ市内に店舗をたくさん作ってエリアを被らせれば、売り上げの伸びに対して販促費の伸びは抑えられると考えたからです。
「500店舗作るぞ」なんてすごい目標を掲げていたら、無理して飛び地で店舗を作らざるを得なかっただろうね。大きな目標に対して力んじゃうわけだ。目標を高く掲げるよりも、目標が無理ではない状態を作ることに専念した。仕組みづくりを徹底して、コストを下げていく。それが店舗運営の「がんばらない経営」の基本です。
全国の中堅量販店との勉強会が全国展開の契機に
八木 よつば電機の買収は経営の大きな転換点でしたね。13億円もの債務超過の家電量販店を救済するのは大胆な決断です。
加藤 販売エリアを絞って着実に成長していくつもりだったのが、売上高100億円のよつば電機がつぶれそうになって、助けなきゃいけなくなったのは、大きな転機だった。当時、売り上げが200億円の我が社が100億円の会社を助ける決断は重かったね。
よつば電機の救済はその後があるんですよ。長引く平成不況に耐え抜くために売り上げが20億円、30億円の家電量販店8社と勉強会を始めました。僕から声をかけたんだけど、将来、どこかと組まなくちゃならないかもしれないと思ったから、中堅のいいところと仲よくなっておこうとしたんだ。
勉強会を始めて1年経ったころ、勉強会の8社の中から我が社のフランチャイズになって、傘下でがんばりたいという話が持ち込まれた。最初は新潟県だったけど、次は香川県と続いて、勉強会のメンバーのうち7社とフランチャイズ契約を結んだ。その後もフランチャイズ店舗を増やすことで全国展開することになったわけです。
八木 今では全国に556店舗を抱える企業に発展しました。カトーデンキ販売からケーズデンキに社名を変えたのは、全国展開を果たしたころですね。
加藤 うちもカトーデンキ販売という「カトー」という個人名を捨てるから、フランチャイズの皆さんも店名を変えてくださいと提案して、今のケーズデンキになった。
八木 そのころ、コジマが隆盛し、トップの座を争ってヤマダ電機と熾烈な激安競争になりました。
1円パソコンとか5円テレビまで登場した激しいシェア争いでした。ケーズデンキも入れて「YKK戦争」と呼ばれました。群馬県のヤマダ、栃木県のコジマ、茨城県のケーズの争いだったので、「北関東家電戦争」とも言われていますね。結果はヤマダ電機が勝ち、コジマはビックカメラの傘下に入ることになりますね。
ケーズデンキはどう戦ったのですか。
売りは客への「親切」、親切は従業員が頼み
加藤 2社が安売りを仕掛けてくる。値段を同じにしないと勝負にならないから販売価格は2社に負けないようにして防戦しました。YKK戦争が始まって、安さだけがクローズアップされたけれど、我が社が一番力を入れたのが「親切」だった。我が社の店舗は「安い」「品揃えがいい」「親切」という三拍子がそろった店にしようと心がけていたからね。

専門用語を並べたら
わからない。お客様より
ずっと目線を下げて、
わかりやすく話すことが
大事です
八木 加藤さんがおっしゃる「親切」は、どういうことを意味しますか。
加藤 親切はマニュアル化できない。社長のころ、毎朝の朝礼で「マニュアル化できないから、みんな、頼むよ」と従業員に頭を下げた。お客さんは千差万別だから、お客さんによって親切の中身が違う。年配のお客さんだったら駐車場まで買ってくれたものを持っていくのは親切だけど、若い人なら重いものはご自分で持てるでしょ。お客さんはケースバイケースだから、従業員がその場で考える「親切」を実行してほしいと頼んだ。
家電製品の説明の仕方も親切かどうか分かれる。自分だけが知っている専門用語で話しちゃだめですよね。オーディオが売れる時代に「周波数の特性がこうだ」とか言ってしまう。社員は説明しているつもりでも、お客さんは何を言っているか分からない。これ不親切でしょ。
八木 共感できる話です。専門用語を並べたら、お客様はわからない。中小企業のオーナーに税理士を紹介するときに、PL(損益計算書)がこうだとか、BS(貸借対照表)がこうだと話しても、会計用語がわからないオーナーさんは結構いらっしゃる。その人にあった話し方が大事ですね。
加藤 損益計算書や貸借対照表、僕だってわからなかった。何十年と見るようになって分かるようになった。慣れない限りは分からない。
八木 お客さんよりずっと目線を下げて、わかりやすく話そうという教育をしてきました。社員はどんどん知識を高めていくと、上から目線になってしまいがちです。お客さんに対して親切に対応するということがどういうことなのか、常にチェックする必要がありますね。
ところで、若いころに経理学校に通われた経験があるそうですね。
創業期に考えた「25%成長すれば10年で10倍になる」を実現
加藤 大学を卒業したときに、親父に経理を覚えておいた方がいいと言われて、3カ月間だけ経理学校に行った。小さな経理学校です。3カ月、商業簿記を勉強しました。そのあと、工業簿記に移るというので、そこでやめました。
そのときに暇だから、売り上げをどう伸ばしたらいいか、考えてみることにした。
毎年、売り上げが5割伸びるとして計算すると、雇う人が地球人だけじゃ足りなくなるし、お客さんの数がすごくなりすぎてしまう。
毎年25%成長なら、3年で2倍になる、6年で4倍、10年で10倍になる。毎年25%以上は伸ばさないようにしようと決めたのは、このころです。
八木 今の時代、25%成長ですら難しいです。
加藤 当時は、世の中が10%ぐらい成長していました。家電業界はもっと成長していたから、ちょっと努力するだけで20%ぐらい伸ばせました。
八木 すごい時代ですね。
加藤 結果として10年で10倍になった。1億円の売り上げが10億円になった。20年目で100億円になった。30年でぴったり1000億円になった。だから、大学を卒業して経理学校に通ったときに考えた25%成長は、30年間続いたんですよ。
八木 30年で売上1000億円を計算通りに達成したのが、偉業です。今では、連結の売上高が7380億円、臨時従業員を含めて従業員1万6000名近い大企業になりました。
加藤 創業者の親父がラジオ受信機の販売・修理の事業を始めたのが1947年。1955年に有限会社の「加藤電機商会」をつくって、それから30年が過ぎた1988年に店頭公開しました。売り上げが伸びすぎたので、店頭公開した段階でペースを15に落とそうとした。15%成長ね。
創業者に「ゆっくり大きくしろ」と言われて、成長ペースを落とす
八木 うらやましいお話ですが、出店ペースを速めても良いことはないという基本的なお考えがあるのですね。
加藤 親父から言われた中に、「ゆっくり大きくしろ」というのはあったね。急ぐと寿命が来てしまうから、なるべくゆっくり大きくしろと。そのゆっくりが25%のペースで成長することでした。
八木 加藤さんの経営の中には、お父さんの言葉が結構生きていますね。
加藤 生きています。だって、俺の先生だもん。親父が言った言葉をときどき思い出す。
「我社の信条」、「親切と愛情を以って働きましょう」を生かす

直接、経営と
関係がない信条。
そこにはお父様の思いが
込められていますね
八木 お父様が作られたのが「我社の信条」です。冒頭に「我等は今日一日を」という枕詞があって、そのあとに5つの信条をつづっています。例えば、「我等は今日一日を、感謝の気持ちで働きましょう」とか「我等は今日一日を、親切と愛情を以って働きましょう」とか。生産性の向上を5項目に入れてありますが、それまでの4項目は「感謝」「健康」「親切」「愛情」「誇り」と直接、経営との関係がない信条が並んでいます。
加藤 自分の父親をほめて恐縮ですが、「我社の信条」は内容が洗練されていると思うんです。1店舗だけなら、朝礼で目の前の従業員に会社がどうあるべきか、皆さんがどうあるべきかを伝えることができる。しかし、1972年に初めての支店を作ることになり、自分のいないところで仕事をしてもらう従業員に同じ気持ちで仕事をしてほしいという願いを込めて、この信条が作られた。
八木 お父様が「我社の信条」に込めた思いは何だったのですか。
加藤 親父は第二次世界大戦後、水戸市でラジオの販売・修理業を始めた。戦時中に故障したまま放置されていたラジオがたくさんあった。なので、ラジオを販売するというよりも修理が主な仕事になりました。
お客さんのお宅に出向いてラジオを修理する。「ほかに修理するものはありませんか。もう一つまでならタダで修理しますよ」とサービスして、大変に喜ばれた。その時の経験から、商売は1回で終わるものではない。お客さんを大事にすれば、信用がついて、商売を続けられる。その思いが「我社の信条」になったのです。5つの信条の中でも3番目の「親切と愛情を以って働きましょう」を親父が一番大切にしたのは、そんな経験があったからです。
創業者精神を広めるため加藤馨経営研究所で語り部を続ける
八木 このインタビューは、ケーズデンキの本社ではなく、加藤馨経営研究所でお話を伺っています。この研究所の役割は何ですか。

「がんばらない経営」の
精神を世の中に
発信し続ける
加藤 創業者である親父の創業精神を研究し、世の中に広めるために作った研究所です。この場所は、親父が初めて取得した土地の上に建物を建てて、長年、本社として使っていた場所です。
ここに親父の手紙とか創業精神を知る資料を集めていて、ここから親父の考え方、「がんばらない経営」の精神とは何なのかを世の中に発信しています。
八木 加藤馨経営研究所(https://kato-keiei.com/)のホームページを拝見すると、ケーズデンキ2代に渡る経営の真髄みたいなものに触れることができて、大変勉強になります。
加藤 ここにいろいろな経営者とか経営幹部の人に来てもらって、私が話をしています。少しでも親父の考えを理解してほしいと思って活動をしています。
八木 生成AIが登場したり、仕事もリモートで済んだり、会社の中でも人との関わり方が薄くなってきていると思うんです。そういう中で中小企業のオーナーに、何かアドバイスみたいなのがあれば聞かせていただきたいです。
加藤 優秀な人がちゃんと集まってくる会社にすることが大事です。優秀な人がいて、優秀な考え方をしてくれれば、企業はいい会社になる。
優秀な人って学歴じゃないよ。会社が小規模だった時から知能テストのような問題を出して、頭のいい人だけ採っていたね。中学しか出てない人が来ていたけど、頭のいい人が集まっていた。そのころの人は優秀だったから、後に子会社の社長なんかできています。採用に力を入れて、辞めないように無理させない。そうしたら会社は伸びますよ。
1946年4月7日茨城県水戸市で、加藤馨氏の長男として生まれる。1969年東京電機大学工学部卒業後、父・馨氏が設立した加藤電機商会(現ケーズホールディングス)に入社。1982 年、父の後を受けカトーデンキ販売代表取締役社長に就任。1997年に株式会社ケーズデンキに商号変更。
自ら掲げた「社長定年制」に則り、65歳を迎えた2011年に社長を辞して会長兼CEO(最高経営責任者)に就任。70歳になった2016年に取締役を退く。現在はケーズホールディングス名誉会長 兼 株式会社加藤馨経営研究所代表取締役。
各業界のトップと対談を通して企業経営を強くし、時代を勝ち抜くヒントをお伝えする連載「ビジネスリーダーに会いに行く!」。第26回は、ケーズホールディングスの加藤修一名誉会長です。お会いした場所は、水戸市の加藤馨経営研究所の事務所でした。創業者が初めて建てた事務所で長らくケーズデンキの本社でした。創業者の写真や資料がたくさんあり、加藤名誉会長が多くの経営者や経営幹部に創業者精神を教えるのにふさわしい場所でした。また、2度の東京オリンピックで聖火ランナーを務めた加藤名誉会長の勇姿のお写真がありました。帰り際、立石泰則著『正しく生きる ケーズデンキ創業者・加藤馨の生涯』(岩波書店)の本をいただきました。親子2代の歴史の詳細がわかる素晴らしい本です。

