
60歳で「社会に役立ちたい」と介護事業を立ち上げ
居室数7000室以上の介護大手企業に発展させた
「一生青春、生涯挑戦」の信条で次は第3の人生を
30歳で祖父から建設会社を継いだ。赤字受注の体質を改め、リニューアル事業で安定的な企業に育て上げた。60歳で還暦を迎えたとき、ふと「何かやり残している。社会に役立つ仕事をしたい」と一念発起して、介護事業に参入した。社員力、競争力、財務力、処遇の「4つのNo.1」を達成すると目標を掲げ、売上高466億円、居室数7000室以上の有料老人ホームを抱える大手企業に発展させた。自らつくった信条は、「一生青春、生涯挑戦」。建設業、介護事業、そして「次は第3の人生を目指します」と意気軒高だ。
八木美代子(以下、八木) 下村会長は、祖父から継がれた建設業を営んでおられたのが、60歳で介護事業への参入を決意され、大きな会社に成長させました。すごいことだなと思いますが、最初の建設業のほうは順調だったのですか。
下村隆彦(以下、下村) 私が30歳、祖父が80歳のときに、祖父が創業した下村建設のバトンタッチを受けました。今から50数年前の話で、私も若かった。夢と希望に燃えまして、会社を大きくしたいという思いがありました。
同業他社の社長連中と集まりますと、大阪弁で「あんたのところなんぼやっとんの?」と言って、売上がどれぐらい増えたかが話題の中心でした。当時は売上が大きい会社がいい会社という風潮がありました。
売上を伸ばそうと3カ年計画、5カ年計画をつくりまして、達成しようと頑張ったのですが、どうしても計画が未達になる。その場合は無理するわけです。結果的に赤字受注の工事を取ってしまう。それが決算のときに足を引っ張って、売上は上がるけれども、利益が出ないということがずっと続いた。
規模を求めた建設業にあって、量から質、ビッグからベストに転換
下村 38歳のときに「こんなことしていたら会社を潰してしまう」と考え直しまして、一大決心をしました。規模を求めた建設業でしたが、「量から質への転換」「ビッグからベストへの転換」に経営方針を180度変えました。もう売上目標は立てない。大型工事も取らない。競争入札にも参加しない。当時、建設会社の社長たちが忌み嫌っていた雑工事、かっこよく言えばリニューアル工事に徹しようと決めました。
雑工事は、1つの工事が何百万円と収入が大きくない。当然売上は上がらない。
方針を変えてから6年、7年ぐらいは売上がどーんと落ちて非常に苦しい時代が続きました。
八木 よく我慢できましたね。
下村 バブル経済がやって来たときは誘惑が多かったです。ちょうど私が50歳手前のときです。このころ、建設業はなんぼでも仕事があった。ゼネコンの方からは、「10億円の仕事があるけど、やってくれへんか」と言われた。それでも、私は頑なに「もう大きい仕事はできません」とお断りして、リニューアルの仕事に徹した。
そうこうしているうちにバブル経済がはじけて、私が知っている限りでも30社ぐらいはつぶれました。
規模をやみくもに大きくしない「555作戦」を実践
八木 バブル経済の崩壊は御社にはどんな影響がありましたか。
下村 私は「555作戦」という規模をやみくもに大きくしない経営方針を実践していました。
売上は50億円超えない、社員は50人まで、資本金も5000万円までという方針です。現実には資本金は3000万円で止めました。おかげで、バブル経済がはじけた影響をほとんど受けなかった。
当時、当社には剰余金が20億円ありました。それから2つの銀行を通して私募債を合わせて10億円分発行しました。合計30億円。この資金でバブル経済がはじけて暴落した不動産を買いました。
バブルのころだと120億円、150億円ぐらいの物件が30億円で買えた。買った不動産の賃貸収入だけで4億5000万円もあったものですから、50人足らずの会社ですし、建設業の方は無理をしなくても済みました。
残された人生で社会貢献ができる仕事がないかを考え介護事業に

60歳になって人生を
振り返ってみたとき、
何かやり残していることが
あるのと違うかと思った
八木 建設業が順調なのに、60歳で介護事業への参入を決意されたのはなぜですか。
下村 60歳を迎えたときに、ふと人生を振り返ってみて、残された人生を考えたときに、何か物足りない。「何かやり残したことがあるのと違うか」と思うようになった。残された人生、社会貢献ができて、もうひと頑張りできる仕事がないかと考えたんです。
そんな思いでいたときに、介護コンサルタントの人から、2000年に介護保険法が施行されて、民間会社も介護事業ができるようになったという話を聞いたわけです。
「これや」と思ったんですよ。介護事業は高齢者の皆様をお世話するわけだから、社会貢献になる。どんどん高齢者が増えていくので需要もある。「新しい事業をやるぞ」と決心したのが60歳です。そこから準備をして、2005年に奈良県の大和郡山市で第1号ホームとなる介護付有料老人ホーム「チャームやまとこおりやま」を開設しました。
八木 今期には運営ホームは114ホーム、居室数は7700近い。20年で売上が478億円。成功の秘訣は何ですか。

チャームプレミアグラン御殿山弐番館の外観(提供:チャーム・ケア・コーポレーション)

チャームプレミアグラン御殿山弐番館のエントランス(提供:チャーム・ケア・コーポレーション)
下村 高齢化が進み、ニーズがたくさんあることが一番です。それに加えて、介護事業はホームを建てたら、それで終わりじゃない。建設業は例えば3億円の仕事を取っても、建物が完成したらそれで終わりです。介護事業がストックビジネスであるという点は、建設業とは違って魅力的です。
50人のホームが満室ならば収入が3億円になるとします。満室を維持できれば、来期、再来期もずっとストックですから、売上が上がっていくわけです。
課題もあって、介護事業は利益面で見れば厳しい。持続的に成長させられるかがポイントになります。そのためには、経営トップのチャレンジ精神が試されます。
株式上場と首都圏進出が経営者としてのチャレンジ
八木 どんなチャレンジ精神ですか?
下村 持続的成長を実現するために2つのチャレンジをしました。株式上場と首都圏進出です。
1つ目のチャレンジの株式上場は社会の信用を得るためです。チャームケアは大丈夫な会社なのか、安心して入居できる老人ホームなのか、と皆様、吟味されるわけです。信用を得るためには、上場して社会的信頼を得ることが大事だと考えて、上場にチャレンジしました。2012年に、当時の大阪証券取引所JASDAQ市場に上場しました。2018年に東証第一部に市場を変更しまして、今は東証のプライム市場に籍を置いています。
二つ目のチャレンジの首都圏進出は、経営の安定のための規模拡大です。企業はある程度の事業規模を確保しておかないと、経営が安定しないし、お客様からも信用を得られない。もともと大阪の会社ですし、関西ではそこそこホーム数を増やしていました。もっと拡大するためには首都圏への進出が必要でした。
首都圏進出のきっかけは、一般社団法人全国介護付きホーム協会の理事になったことです。
全国で900以上の法人、また3000以上の介護付きホーム事業所が会員として所属している協会ですが、上はSOMPOケアなど大会社が入っているわけです。
大手企業の話を聞くと、スケールが全然違うわけです。大阪だけでやっていたら、絶対にメジャーになれないということで東京に進出することにしました。
ヒューリックの社長さんに助けられ、東京の第1号が大型ホーム

ビジネスをやっていると、
人的ネットワークが
とても大事です
八木 最初は苦労されませんでしたか。
下村 運が良かった。助けてくれる方がいました。
不動産大手ヒューリックの当時の社長、西浦三郎さんです。現在は会長をしておられる西浦さんから「下村さん、東京に進出するのなら石神井公園でホームを開設してみませんか」とお誘いを受けました。
すごくいいお話ですが、居室数が105室の大型ホームです。首都圏でまったく実績がないのに、最初から大型案件には手を出しづらい。西浦さんが「それなら当社が建てて下村さんのところに貸すから運営したらどうですか」と提案をいただいて、進出することにしました。
その第1号が、首都圏初となる介護付有料老人ホーム「チャームスイート石神井公園」です。2014年のことです。西浦さんに「やってみますか」と背中を押されたのが良かった。
八木 ビジネスをやっていると、人的ネットワークがとても大事ですね。

運が良いというのは、
人に恵まれた、節目節目にいろいろな方に手助けして
もらったという意味です
下村 「運が良かった」と私は言っているのですが、言いたいことは「偶然、運に恵まれた」ということではないのです。運が良いというのは、人に恵まれた、節目節目にいろいろな方に手助けいただいたという意味です。人に恵まれる、これが会社の成長の大きな要因になりました。
八木 新規開設だけではなくM&Aで既存のホームをたくさんお買いになっていますね。
下村 M&Aの一番大きなメリットは、時間を買うことです。うまくいっていない会社を買うわけですから、利益を出そうとすると大変に苦労はします。ただ、建物はある、入居者もおられる、スタッフの人もいる。それはメリットです。最近は建築費が高騰している。工事期間も長くなっている。一から作るよりも買収を考えたほうがよい経営環境になっています。
八木 当社も税理士法人のM&Aのお手伝いをさせていただいていますが、買収によってシナジー効果を最大化するのが大切ですね。御社の場合、買収を成功させる条件は何ですか。
下村 買収したホームを成功させる条件は、ホームの評判を高めて、入居率を高く維持することです。評判が悪いと、入居希望者が増えません。そうすると、入居率を維持できなくなってしまう。評判はとても大事です。
当社の既存のホームの入居率は95%ぐらいです。買収したホームも着実に入居率を伸ばしていますが、評判が良いからだと考えています。
2つ目は、やるべきことをやることです。業績が悪くなっているホームは本来やるべきことをやってない。うまくいっていないホームは入居者を増やす努力をしていない。入居促進しなければ、売上は上がりません。
あとは、これは経営の一番の一丁目一番地ですけれども、経営の根幹は売上を最大にしてコストを最小にすることです。ホームを満室にすることが売上の最大化になるのですが、介護事業は人件費(労務費)がコストの8割強を占めますので、運営を効率的に行うことが大事です。
サービスを低下させないのが絶対条件ですが、その前提の上に立って、数年前からデジタルの力も借りて、可能な限り少ない人数でできる少数精鋭の体制を築いています。
生成AIを活用したケアプランの自動作成などDX化は必須
八木 介護事業の場合、人手を効率化するのは難しくないですか。
下村 介護の仕事は2つに分かれます。1つは直接業務。例えば入浴介助とか排泄介助などは必ずスタッフがやらないとできません。効率化できるのは、間接業務です。例えば、役所に出す書類とか記録しないといけない文書とか山のようなデスクワークがある。これは徹底的にAIを駆使してDX化する。生成AIを活用してケアプラン(介護サービス計画書)を自動生成するシステムを開発中です。効率化し、省力化して人件費の削減を図れば、利益を出せるようになります。

これからはAI活用戦略が
不可欠になってきます
八木 これからはAI活用戦略が不可欠になってきますね。DX化ではほかにどんな取り組みをされていますか。
下村 正直言って私はDXの細かいところについては詳しくないのですが、今の時代、どんな業種でもDXを無視して経営なんてできませんよね。うちには介護DX推進室があって、積極的にDXを活用しています。スタッフ間の指示や伝達のコミュニケーション効率の改善に向けて、2025年12月までに109ホームにアプリ型インカムを導入しました。トランシーバーのように複数のスタッフが連絡を取り合えるメリットがあります。
ほかには、配膳ロボットは21ホームに24台が導入済みで、業務時間・配膳時間・待ち時間ともに、それぞれ58%・45%・50%削減しています。ほかにも、清掃ロボットを順次導入しています。先行導入したホームでは、月間90時間の時間創出と、約67%の清掃費用削減につながっております。
社員力、競争力、財務力、処遇の「4つのNo.1」を実現
八木 下村会長は「処遇No.1」など「4つのNo.1」を掲げていますね。
下村 「処遇No.1」が一番の目的ですけれども、6年ぐらい前かな、私は4つのNo.1を提唱した。1つ目が「社員力No.1」。社員のスキルを業界トップにしようと。介護のスキルはもちろん、接遇マナー、コミュニケーション能力も高めるように努力しています。
2つ目が「競争力No.1」。競争力というのは、我々のホームの周辺には他社のホームがいっぱいあるわけです。どの施設に入居するかは入居されるご本人が決めるというよりも、ご家族が選択するケースが多い。インターネットで検索したら、たくさんのホームが出てくるわけです。その中から当社のホームを選んでもらおうとする場合に、当社のホームの評判がよくないといけない。スタッフの社員力があってはじめて競争力が高くなるわけです。
3つ目は「財務力No.1」。当社は後発企業ですから、大手さんに売上高で追いつくというのは至難の業です。ならば売上高経常利益率を業界トップにしようということで、目標は10%以上です。
八木 経常利益率が2ケタというのは、高い目標です。
下村 建設業を営んでいた時代に京セラの故稲盛和夫さんの話を聞いたことがあります。稲盛さんは「企業たるもの経常利益率10%を出さなかった社長は失格や」とおっしゃっていた。この言葉がずっと頭に残っていましてね。介護が主力事業になって、2023年、2024年ともに12%台でした。ただ、前期は不動産事業が苦戦して経常利益率は8.6%。今後も10%以上を目標にしますが、私の知る限り、経常利益率はトップレベルにあると思っています。
社員力、競争力、財務力をNo.1にすることによって、「処遇No.1」を実現できます。これは社員の給料、これを業界トップにしようということです。私どもは平均年収で465万円です。大手さんは全部、給与を開示しています。そういったところを調べた範囲で言えば、業界トップレベルにきました。処遇No.1は今のところは達成できているんじゃないかと思っています。
家族を世話するヤングケアラーの支援で神戸市など各自治体と組む
八木 60歳になったらおやりになりたいとおっしゃっていた社会貢献活動ですが、その一つとして神戸市などで、大人に代わって家族の世話をするヤングケアラーの支援をされていますね。
下村 ヤングケアラーは、うちの社員が「会社でやりましょう」と言ってきたんですよ。高齢者をお世話していますが、真逆ですけど、若い世代も支援したいということで、「ほなやろう」とやり始めました。最初は神戸市で始め、京都市、兵庫県ともやりましたし、東京都品川区とも協定を結ばせてもらっています。いろいろな地方自治体から問い合わせをもらっていますので、支援の輪を広げていこうと考えています。
八木 具体的にはどんな支援ですか。
下村 「レスパイト(息抜き)」と言うのですが、ヤングケアラーか家族、もしくは両方が、当社が運営するホームに無料で泊まれるようにしています。ケアラーの若者が一時的に自宅を離れたい時を想定しているほか、ケアラーが自宅でゆっくり過ごしたい時には、お世話しなければならない家族に使ってもらっています。
もう一つが、奨学金を借りたけれども、返すのが大変というヤングケアラーのために、私どものホームで勤めてもらえば、その奨学金は会社が全部払います。3つ目が就労支援です。1時間でも2時間でも、柔軟な働き方でうちでアルバイトをしていただきます。
八木 最後に下村会長の信条を教えてください。
下村 私の信条は、「一生青春、生涯挑戦」と言っています。自分でつくった信条です。60歳までは建設業で第1の人生を過ごした。今は第2の人生で、今やっている介護事業を可能な限り続けるつもりです。そして、第3の人生に入ります。第3の人生は限りがありますけど(笑)、これが一生青春、生涯挑戦の3つの人生です。

1943年6月高知県生まれ、82歳。大阪工業大学工学部建築学科卒。1969年、祖父が経営する下村建設に入社。30歳のとき、祖父から下村建設を継ぐ。安定経営をしていたが、60歳のときに一念発起して関西圏で介護事業に進出。2004年チャーム・ケア・コーポレーション代表取締役社長、2005年第1号ホームとなる介護付有料老人ホームを開設、
2012年に、当時の大阪証券取引所JASDAQ市場に上場、2014年大阪から首都圏に進出。2020年代表取締役会長兼社長、2024年代表取締役会長兼CEO。
各業界のトップと対談を通して企業経営を強くし、時代を勝ち抜くヒントをお伝えする連載「ビジネスリーダーに会いに行く!」。第24回は、有料老人ホームを手掛けるチャーム・ケア・コーポレーションの下村隆彦代表取締役会長兼CEOです。60歳のときに「自分の人生、何か足りない」とお考えになって、そこから介護事業に乗り出したバイタリティーに驚きました。信条が、ご自身でつくった「一生青春、生涯挑戦」とお聞きし、年齢に関係なく事業を起こされる姿勢に学びました。

