ユニクロは、1988年売上高27億円、経常利益4300万円。
89年売上高41億円、経常利益4800万円になります。
順調に売上を伸ばしていきます。店舗数は22店舗に。
でも、ここではまだまだ、失礼ながら「田舎の中小企業」だったのです。
90年に、つまり時代は平成のバブル景気に移り、柳井社長も変わります。
誰も言ってないし、本にも書いていないことですが、
柳井社長が「田舎の中小企業経営者」から「世界企業の経営者」に
変革したスタートの年ではないかと思うのです。
私はその年がユニクロの本当の意味での「第二の創業」だと感じます。
自らその当時は「経営の素人」と言っていたところから、
その年から真の経営者に変わろうと努力をし始めます。
まず、数字から見て、売上は伸びているけど、利益は伸びていませんね。
先日ご紹介したように、バイイング・パワーをつけることによって
仕入コストを下げようとした。
でも、この経営者はなぜ利益が出てこないのか分からなかった。
必死になって勉強します。
このあたり、並みの青年実業家とは違うところです。
ではなぜ、そのあたりが分からなかったか?
これからお話しすることは税理士として読んでいて
本当に考えさせられました。
そんなことさえ分からなかったのも当然です。
売上高が41億円にもなっていながら、この会社に経理の担当者が
いなかった・・・。
この事実に対して、驚きですね。
でも当時としては、「地元の税理士の先生にみてもらうのは
当たり前」(本人談)のようでした。
いわゆる業界的に言えば「記帳代行」なのです。
しかも完全丸投げだったのではないでしょうか。
通帳のコピーと領収書から決算書を作るような・・・。
どんな先生が見ていたかは分かりませんが、今日成長して22店舗にも
なった会社です。
それも経常利益が4000万円も越える・・・。
関連会社が数社あったようですし、
これは会計事務所としては「おいしい」お客さんだったのでしょう。
でもそんな「丸投げ経理」では、管理会計なんかできるわけないですね。
確かに急成長企業としては、こんなドンブリ経営では本当に問題です。
でもこの社長のすごさはそれに気づいたことです。
「これではダメだ」と。
社長は経理担当者を募集し、経理を強化し、POSシステムを導入し
各店舗の標準損益を設定して、それを中心業務とする業務改善室を
作った・・・。
そうして、この90年から、上場公開を目標に掲げ、
次々と改革整備を進めていったのです。