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税理士コラム

吉田信康税理士事務所ブログ

成功は一日で捨て去れ(新潮社) その5
2009.11.30

ユニクロは、1988年売上高27億円、経常利益4300万円。
89年売上高41億円、経常利益4800万円になります。
順調に売上を伸ばしていきます。店舗数は22店舗に。
でも、ここではまだまだ、失礼ながら「田舎の中小企業」だったのです。

90年に、つまり時代は平成のバブル景気に移り、柳井社長も変わります。
誰も言ってないし、本にも書いていないことですが、
柳井社長が「田舎の中小企業経営者」から「世界企業の経営者」に
変革したスタートの年ではないかと思うのです。
私はその年がユニクロの本当の意味での「第二の創業」だと感じます。
自らその当時は「経営の素人」と言っていたところから、
その年から真の経営者に変わろうと努力をし始めます。

まず、数字から見て、売上は伸びているけど、利益は伸びていませんね。
先日ご紹介したように、バイイング・パワーをつけることによって
仕入コストを下げようとした。
でも、この経営者はなぜ利益が出てこないのか分からなかった。
必死になって勉強します。
このあたり、並みの青年実業家とは違うところです。


ではなぜ、そのあたりが分からなかったか?
これからお話しすることは税理士として読んでいて
本当に考えさせられました。

そんなことさえ分からなかったのも当然です。
売上高が41億円にもなっていながら、この会社に経理の担当者が
いなかった・・・。
この事実に対して、驚きですね。
でも当時としては、「地元の税理士の先生にみてもらうのは
当たり前」(本人談)のようでした。

いわゆる業界的に言えば「記帳代行」なのです。
しかも完全丸投げだったのではないでしょうか。
通帳のコピーと領収書から決算書を作るような・・・。

どんな先生が見ていたかは分かりませんが、今日成長して22店舗にも
なった会社です。
それも経常利益が4000万円も越える・・・。
関連会社が数社あったようですし、
これは会計事務所としては「おいしい」お客さんだったのでしょう。
でもそんな「丸投げ経理」では、管理会計なんかできるわけないですね。

確かに急成長企業としては、こんなドンブリ経営では本当に問題です。
でもこの社長のすごさはそれに気づいたことです。
「これではダメだ」と。
社長は経理担当者を募集し、経理を強化し、POSシステムを導入し
各店舗の標準損益を設定して、それを中心業務とする業務改善室を
作った・・・。

そうして、この90年から、上場公開を目標に掲げ、
次々と改革整備を進めていったのです。



成功は一日で捨て去れ(新潮社) その4
2009.11.27

ユニクロは本当に10年で利益が10倍になるかどうか
私としての予想は最後にします。

ユニクロがなぜこれほどまでに飛躍したか、これは中小企業にとって
本当に参考になるお話です。
このネタは私は今後言い続けるかもしれません・・・。

1984年(昭和59年)6月、ちょうど私が社会人として歩み始めた年に
広島市で「ユニーク・クロージング・ウエアハウス」としてスタートしました。
その名前が省略されて、後に「ユニクロ」になるわけです。
柳井氏はこのとき35歳。
会社は個人経営のメンスショップを法人なりした「株式会社小郡商事」。
その年でその社長を引き継ぎます。

コンセプトは 「週刊誌みたいにカジュアルウエアを買える店」
商品は1000円と1900円の2プライス中心。
もうすでにユニクロの原型みたいですね。

まず注目すべきは、若干35歳の新社長の決断力です。
メンスショップ小郡商事はもともと名前の通り、紳士服の店でした。
「VANブランド」ってご存知でしょうか。
私の年代のおじさんでないと知らないでしょうね。
アイビーブームで一時流行した・・・。

でも、この新社長は早くも紳士服に見切りをつけていきます。

「紳士服は接客しないと売れない。同じ商品でもうまく勧めれば
売れるが、勧め方が悪ければ売れない。セールストークから
採寸まで、技術や熟練が要求される・・・。」

それに対してカジュアルウエアは「接客せずに売れる」
「もしそのまま紳士服を売り続けたら、潰れていただろう」と
その後本当に言っています。

ちょうどその頃は「紳士服の青山」など、郊外型の紳士服チェーンの
勃興期です。
当時証券マンだった私もよく覚えています。
デパートや専門店で買うような商品が、郊外の大きな店で
品揃えと安さで拡大していきました。
その波にユニクロも乗れたのでしょう。
FC展開して売上を伸ばしていきます。

経営学的になぜチェーン展開するかお分かりになりますか。
もともとユニクロは安い商品を売る店ですね。
当然大量仕入することによってコストを下げたかった訳だと
誰でも想像がつきますね。
大量仕入できる力=バイイングパワーをつけたかったのです。

一方で自社企画商品を作ろうともします。
オリジナル商品を手がけようと、メーカーに製造委託をし、
香港に現地法人を設立していきます。

30台の若手社長、やはりなかなかのやり手です。
店舗も増えていき、87年には13店舗、売上高22億円、
経常利益6500万円になっていった。

ただ、そのうち7店舗はまだ紳士服の店で
当時としては、よくある田舎の(失礼!)中小企業だったのです・・・。



成功は一日で捨て去れ(新潮社) その3
2009.11.26

「2010年に売上5兆円! 経常利益1兆円!!」
これはきっとこの本を読まない限り、意味が分からないかもしれません。
数字的に見れは現在の売上7倍、経常利益はなんと!10倍にもなります。

普通はこの数字だけ聞けば

「そんなバカな! アパレル業界で売上を10年間で7倍なんて
絶対にできる訳ないさ!」
「10年で経常利益を10倍に??? アパレル業界の利益率を
分かっていないのではないの!」

こう必ず突っ込まれるでしょう。
アパレルの会社の顧問税理士でもある私としても本当にそう思います。

でも、この柳井社長のポジティブな考え方は業界内の人とは全く違います。

この本には
「衣料品小売業界内の人とぼくの考え方が一番違うのは、
 チャンスは既存のこの業界内には無いと考えている」

とハッキリ言っています。このままでは
「狭い市場の中の同じサイフの奪いになるだろう」と。

そうでしょうね。
いくらユニクロが売れに売れても、やがて回りの人が
全部ユニクロを着ていたら・・・と思いませんか。
例えば、子供服でも将来、学校行ったら、
クラス全員がユニクロだった・・・。
そうは確かにならないと思うのですね。
そのあたり、しごく当たり前というか、冷静にお考えになっていると思います。

ではこの社長さんは、どうやって売上高5兆円にもしようと考えているの
でしょうか。
本の中でも、昨日の日経新聞でも掲載されていましたが
実に恐ろしいことをお考えになっているようです。

海外の大手アパレル会社と当然競争したいというのは分かりますが
他の業態とも競争したいと考えているのです。
今後M&A戦略を強烈に推し進めるのではないでしょうか。

具体的に上げているのは、携帯電話とインターネットです。
10年後にユニクロは大きく変わるかもしれないですね。

AUあたりを買収して「ユニクロ・フォン」?になっているかもしれないですし
楽天あたりも買収して「ユニ・天」?になっているかもしれないです・・・。

これは恐ろしいことを考えているお方だと本当に思います。
10年後にはアパレルというカテゴリーには属さない大企業グループに
しようと考えているのですね。

多分10年後には、きっとフリースなんか売っていませんよ・・・。


成功は一日で捨て去れ(新潮社) その2
2009.11.25

急成長した「ユニクロ」。でも誰でも
「知っているよ。中国で安く作らせたあの激安のフリースで有名な・・・。」
そう言うでしょう。
10年前のユニクロは確かにそうだったけど、
今やもうそれだけではない会社なのですね。
真面目にこの本を3回読み直してみました。
「なぜユニクロが躍進したのか」
その答えを知りたいがために・・。

実はこの本の前に、6年前に柳井社長が「一勝九敗」という本も
出していて、その続編なのですね。

一勝九敗.jpg

単行本だけでなく文庫で出ていますから、ぜひ比較して呼んで下さい。
柳井哲学が良くわかります。

6年前のユニクロの状況はご存知ですか。
フリース・ブームが一段落して、柳井社長が53歳ながら
急に社長交代を宣言した状況でした。
次期社長に若干40歳の慶応大卒のイケメン・ラガーマン玉塚氏を
抜擢したのですね。
皆驚いてこの成長企業を見ていたはずです。
その直後に、先ほどの「一勝九敗」が出版されました。
それまでのユニクロの生い立ちから何から書いてあります。
一勝九敗の題名どおり、ユニクロは失敗をし続けた
ベンチャー企業そのものであったと・・・。

ところが残念ながら、わずか3年ほどで期待の玉塚社長はなぜか
ユニクロを離れることになる。
それでまた、柳井氏が社長に復帰し、これまた大躍進・・・。

「でも一人勝ちではないよ。社員よ、おごるなよ。
 我々の目標は日本一なんかではない。世界一なんだよ。」

そう言いたいのでしょうね。
それがこの題名「成功は一日で捨て去れ」によく現れています。


先ほどの玉塚氏がなぜユニクロから離れたかから
この本は始まります。

要するに、柳井氏のお眼鏡に適わなかったということなのでしょうか。

「彼の人柄や育ちの良さのせいか意外と安定成長志向である。」

そう言いきっています。

「突っ込んでいかなければいけないようなシャンス時に、
思い切って挑戦しなかった・・・」

すごいですね。
アパレル業界に多少今足を突っ込んできた私としても
本当にそうなのか疑ってしまいます。
この経済環境下、業界的には本当に厳しいと
感じています。

でもこの柳井氏のパワーには脱帽です。
この不景気の中、巨大戦艦「ユニクロ号」と、さらに日本経済までをも
強引に進める馬力を柳井氏から強烈に感じます・・・。
この本にも書いてあるのですが、今朝の日経新聞でも言っていますね。

「2010年に売上5兆円! 経常利益1兆円!!」


成功は一日で捨て去れ(新潮社) その1
2009.11.24

ご存知、今や「一人勝ち」のユニクロの経営学。

成功は一日で捨て去れ.jpg

週末に「60周年記念セール」のチラシご覧になった方も多いでしょう。
限定特売のために、朝6時!から並びましたか?
60周年とは知らなかった方も多いのではないでしょうか。
60年前に現社長の柳井正氏のお父様が山口県宇部市で創業したのが
そのルーツだそうです。
そのときはただの田舎の洋服屋(失礼!)だった訳で
実際に今の「ユニクロ」として第一号店が広島に1984年に出店されたので
60周年というより、25週年くらいが妥当かもしれませんし、
一般の方がユニクロを知ったのはあの「フリース・ブーム」からでしょうから
おおよそは10年ほどでしょう。

その新興企業が、あたかも老舗企業のように60周年と言い張り、
しかも、朝6時から特売品を売っているのは、
この柳社長の実にしたたかな経営術であると、
この本を読むと良くわかります。

個人的なお話ですが、最近アパレル関係のお客様が増えてきました。
そんな関係で、以前からアパレル業界の急成長企業である
このユニクロには注目してきました。
本も何冊か出ているので、それを買って読んでいたのですが、
どうもよく分からない。
多分評論家や経営コンサルタントの方の勝手な解釈で
この柳哲学を想像で書いていたから、よく分からなかったのですね。


この本は、柳井社長の経営哲学が実によく分かります。
どうしてかというと、これは柳井社長直筆の本であるからなのです。
何冊も経営者本をこのブログでご紹介してきましたが、
通常は代筆がほとんどです。
忙しい経営者のこと、なかなか本を執筆する時間などない訳で
たいていの経営本は、ライターさんが取材を元に書いているそうです。
これは出版社の方から聞いたお話なので本当なのでしょう。

しかしこの本は明らかに違います。
まず文中に、柳井氏の全社員へ宛てたメールが5回も出てきます。

ユニクロは毎年1月1日に全社員に社長から、その年の経営方針を綴った
実に長いメールを送っているそうです。
元旦早々、社長からメールを送りつけられる社員の方々は
大変でしょうけど、「それを全員熟読している」と社長は断言しています。

そのメール文と、この本文がまるで同じ文体で同じ主張なのですから
間違いなく柳井社長自ら書いているのでしょう。

よって「ユニクロ哲学」がこの本にすべて書いてあります。
巨大戦艦「ユニクロ号」がどこへ向かうかを知っておくことは
アパレル業界に限らず、これからの経営者として必要なのでしょう。

ただ、どことなくかつての巨大戦艦「ガリバー野村号」と同じように
思えるのは私だけでしょうか・・・。


夢をかなえるゼイ 続・脱サラ編 その13
2009.11.20

横浜というところは坂が多い街です。
でもその坂を上りきった見晴らしの良い高台には、必ず屋敷街があって
会社経営者など資産家が多く住んでいました。

その大金持ちを目指して、休みの日に株式の資料をたくさんカバンに入れて
その坂道を登って外交しました。
横浜港に有名な「中華街」がありますね。その裏手の山を登っていくと
「港の見える丘公園」があって「外人墓地」もあります。
だれでも知っている有名なデートコースですね。
実はその先にこれが「格差社会か」と本当に実感できるような
超高級なお屋敷が、当時並んで建っていました。

楽しげなカップルを横目に、背広を着たセールスマンが大汗を拭きながら
重いカバンを持って回っていました。
「こんにちは。野村證券の吉田です。」
休みの日に来られても、ほとんどが相手にしないか、居留守を使われます。
でもそんなことは最初から覚悟の上で、資料をポストに入れ、
翌週また電話するのです。
「資料読んでいただきましたか?」と・・。
その繰り返しの中で新規顧客開拓を目指しました。
そう簡単には成果がでませんでしたが、毎週末「丘営業」を繰り返しました。
その頃は、もう観念して、株式の営業は「夢を売る営業」なのだと
思うようにしていました。

そんな古典的な営業を数ヶ月した頃でしょうか、
ある大邸宅で「若いのに熱心だね」と老経営者が
扉を開け私を家に招いてくれました。
その時は自分が公務員を脱サラして会社を起こしたことと
苦労して大きな企業グループにしたことを話してくれました。
今思えば自分が脱サラして努力していた頃を思い出しても
いたのでしょうか。

それから数週間何度か訪れたあと、鉄鋼株の株価が急に上昇してきました。
意を決し、老経営者に電話しました。

「社長!東京ウォーターフロントの夢を買いませんか!
50万株買ってください!!」
一世一代のセールス・トークだったかもしれません。

「分かった。いくら必要?」
思いがけずそう言われて、電卓を叩く手が震えていました。
支店中が急に静まり返って、私の電話を聞いているようです。
「×億×××万円です。あ、ありがとうございます。」

電話を切った瞬間、支店中がスタンディング・オベーションです。
金太郎支店長が飛んできて、いきなり握手を求められました・・・。


20年経っても忘れられない、私の短いセールスマン人生で
絶頂の瞬間でした・・・。


夢をかなえるゼイ 続・脱サラ編 その12
2009.11.19

営業の何がキツカッタかというと、株式の営業です。
やはり何度も悩んだように、株そのものが好きになれない・・・。
そういう営業マンが株を勧めてもやはりダメなのですね。
これはどうしようもないことでした。
でも金太郎支店長から毎日のようにゲキです。

当時野村證券では株式を「大量推進販売」という手法で売っていました。
これも証券不祥事のあと、これも問題視もされ、
今では無くなってしまった販売手法です。
ガリバーといわれるほどの大証券会社が
特定の銘柄を勧めるのですから、かなりの確率で大幅に上がります。
でも「野村證券が勧めるから株が上がる・・・」
どこか変に思ってはいました。
せっかく本社のトレーダーにまでなって株を勉強したのに
そんな幼稚な理由で株を勧められないのですね。
納得できないものを売るのは正直つらいのです。

当時野村證券が取り上げていた株式は鉄鋼株でした。
「東京ウォーターフロント銘柄」といって、
「東京湾岸に工場を持っている鉄鋼会社は土地の含みがあるので
今後莫大な価値が出てくる・・・」
確かそんなシナリオだったと思います。
ですので別名「シナリオ営業」とも呼ばれていました。
社命で株を勧めるのですから、これは自ら洗脳しなければならない。
東京の有明や千葉の幕張など3回ほど見学にいったでしょうか。

「これは鉄鋼株は大幅に上昇する・・・」
そう自ら洗脳しようと努力しました。
会社に生き残るには、当然営業成績をあげなければなりません。

今思えば洗脳しようとしたものの、どこか冷めている自分がいました。
結局休みの日もその鉄鋼株の資料をたくさんカバンに入れて
横浜中を営業していました・・・。
本社では自分の特性を見つけ喜んで働いていたのに、
正直働かされている感じがしていました。
本当にイヤイヤやっていたのかもしれません。

だからこそキツカッタのでしょう。
結局サラリーマン生活は8年ほどしかしませんでしたが
この横浜での営業マン時代が一番つらく苦しいときでした・・・。


夢をかなえるゼイ 続・脱サラ編 その11
2009.11.18

横浜に赴任した時、支店長の顔を見るなりすぐ感じました。
「金太郎だ・・・」
やはり、丸顔で小太りで、眼鏡をかけていて
それで七三に髪の毛を分け、ギロッとした目、
そして声がやたらでかい・・・。

その「金太郎支店長」は私にこういいました。
「本社で少しなまっているだろうから、現場で頑張ってください」
厳しいゲキで迎えてくれました。

その金太郎も、まだ30代の若手バリバリ。
営業課長から支店長になったばかりで、もうやる気マンマンでした。
当時は30台でも、多くのトップ・セールスマンが支店長になっていました。
ちょうど、ある支店で、入社10年目の支店長が抜擢されて、
「異例の人事」としてマスコミで話題にもなっていたときでした。
会社全体として「キープ・ヤング」という言葉があって、
とにかく「若手の抜擢を」という社内風土もありました。

ただ、その「キープ・ヤング」ということは、
その後の証券不祥事のあと問題視もされ、
やがて言われなくなってしまいましたが・・・。


金太郎支店長は私の顔を見るなり、
「支店の窓口の店頭係をやってもらおうと思っていたけど
キミは営業マンの顔だね。さっそく営業課に担当換えしよう。」

といって3年も年次が上の先輩をいきなり
私と交代させてしまいました。
「そんな・・・」

一方で入社5年目というのは、もう会社では一人前の扱いなのです。
野村證券では当時、(多分今でもあると思いますが、)
インストラクター制度というのがあって、入社数年経つと
新入社員の教育担当としてメンドウを見ることになっていました。

当然、入社5年目の「中堅」営業マンとして成績もあげなければなりません。
担当先が2000件くらいあって、支店の収益も稼がなければならないし
しかも新人君2名のメンドウもみる・・・。

まさにキツカッタのです・・・・。


夢をかなえるゼイ 続・脱サラ編 その10
2009.11.17

ここで野村證券の昔話を長々アップする前に、
少しお断りを申し上げておきましょう。
特定の企業の暴露話や批判などするつもりもありません。
以前アップしましたが、私は野村證券に高校生の頃から
入社したかったのです。これは本当なのです。
だからこそ大学では証券論も専攻した・・。
野村證券に世話になったと思っているし、今でも「愛して」おります!?
こんな人は、今の社員の中でも少ないでしょう。

それなのに
「なぜ私は野村證券を辞めたか」
「なぜ税理士を目指したか」
を説明したいからこそアップしているのです。
どうぞその点ご理解ください。

でも書きながら、昭和の時代の「野村證券の経営術」も、
ある意味で参考になるかなと思ってきました。
今思えば、「昭和の時代の成果主義」ではないかと・・・・。


「金太郎アメ経営」と「ダイヤモンド経営」

こんな言葉を今時、経営コンサルタントの方も言わないでしょうね。
実は、ご存知かもしれませんが、野村證券はその後、バブルを経て、
損失補てんや総会屋事件など、スキャンダラスな証券不祥事を
次々に引き起こし、結果的に大きく変わりました。
よくマスコミは、「金太郎アメの功罪」として書き立てていました。
そこで、この「ダイヤモンド経営」という言葉を引き合いにして
「ダイヤモンドがいつの間にか、つるつるの球体になってしまった」
「金太郎アメが証券業界を変えてしまった」
などと言われ続けました・・・。

でもかつていた社員として、正直に申し上げます。
あの当時「金太郎アメ」が全てでした。
ご紹介したとおり、社員が皆「セブン・イレブン」で働いたのです。
新入社員は全員独身寮に入れられ、激務のあとも毎日のように
深夜でも先輩たちと酒も飲みました。
おまけに休みの日にも同僚とゴルフです。
野村證券こそが生活そのものでした。
四六時中一緒の生活です。
その中で考え方まで「洗脳された」というといい過ぎでしょうか・・・。

だから、入社して5年も経つと、誰でも酒のせいで「小太りになり、」
市況を画面で毎日見るから、「眼鏡をかけ、」セールスのせいで
「大声を出すように、」なって、結局は皆同じような顔になってしまうのです。

さらにいうと、社員は誰でも
「酒は強いし、カラオケがうまくて、ゴルフが得意・・・」
そういう、「金太郎アメ」に自然とならざるを得なかったのです・・・。



夢をかなえるゼイ 続・脱サラ編 その9
2009.11.16

横浜での支店営業のお話の前に、その当時の野村證券のことを
少しだけご説明しておきましょう。

私が入社する前の大昔のことですが、野村證券の中興の祖と
言われた奥村綱雄という有名な社長さんがいました。
その奥村元社長が標榜した
「ダイヤモンド経営」
という有名な言葉があります。
これは、多面体にカットされたダイヤのように、
多様な人材がそれぞれ個性を発揮して光り輝く経営を
目指したことでそういわれます。
確かに、私が入社した頃は個性的な経営陣が
多かったと感じています。
本当に私が就職が決まった時の役員面接は
役員からオーラを感じました・・・。

でも、その「ダイヤモンド経営」に相対する言葉として
これも野村證券を象徴する有名な言葉として
「金太郎アメ」
ということがいつ間にか言われるようになりました。
どこを切っても同じような顔が出てくる金太郎アメだと・・・。

これから、私のお話はバブル時代に突入しますが、
当時はすでに業界内で「ガリバー」と呼ばれるほどの
大証券会社でした。
国内では本当に敵がいない。そう社内でも皆思っていました。
今から思えば、個性的な多様な人材がいるより、
経営者の言うことを素直に聞く、金太郎アメの人材の方が
巨大戦艦の舵取りが楽だったのかもしれません。


事実こんな経験がありました。
結婚してすぐの頃、支店対抗野球大会がありました。
それに奥さんを連れて行ったとき、ビックリして
私にこういいました。

「支店長の顔がほとんど同じ・・・。」
そうなのです。
確かに当時の支店長は、丸顔で小太りで、眼鏡をかけていて
ギロッとした目、それで七三に髪の毛をピチッと分け、
そして声がやたらでかい・・・。

そんな判で押したような支店長が多かったと思います。
これがまさに後日、世論で指摘された、「金太郎アメ」だったのでしょう。

赴任した支店にも、その「金太郎アメ」が私を待っていました・・・。



夢をかなえるゼイ 続・脱サラ編 その8
2009.11.13

相場が良くなると本社スタッフを増やし、相場が悪くなると
営業をテコ入れするために支店の営業マンを増やす。
戦後証券会社はそれを繰り返してきたのかもしれません。
暴落のあとで、私は本社から支店の営業に戻ることになりました。

ただ、私にとって、せっかくの本社勤務が一年で終わることに
ショックを受けました。
ようやく、自分の適性にあう、安住の地を見つけたのに・・・・。
コンピュータを駆使して資料作りをするという
最先端の仕事に喜びを見つけていました。

次の赴任地は横浜のある支店です。
「また営業か・・・・」
そう正直思いました。

商売は営業が基本です。
どんな会社でもそうでしょう。
証券会社でも当然営業は基本中の基本です。
当時は営業で頭角を現したものが出世をするのが決まりでした。
よって、営業課長、支店長という出世コースを登らなければ
会社にいる存在価値がないようにも思われていました。

私も入社して5年目。それなりに会社におけるポジションが
分かりつつある時でした。
でも正直言って、5年で4回の異動は多すぎました。

「自分の適性を会社は見てくれているだろうか・・・」
そういう不信感はその後ずっと残りました。
証券会社特有の相場に左右されるという宿命と
それに振り回されている自分を感じました。

このときは、「脱サラ指数」は急激に上がりましたが
ただここで辞めようとはまったく思いませんでした。

それを踏みとどまらせたのが何かは、もうお分かりですね。
前にご紹介した
「子はかすがい理論」
です。
物心つきだした娘は、まさにかわいい盛りの2歳くらいでした。

「この子や家族のためにも辞められない」
そう思いました・・・。

「またここで頑張ろう!そしていつか支店長になろう!!」
そう意気込んで支店に赴任しましたが、
やはりトンでもないことが私に待っていました・・・。


夢をかなえるゼイ 続・脱サラ編 その7
2009.11.12

昨日つい筆を滑らせてしまいましたが、
「朝の7時から夜中の1時までのセブン・ワンで働きました。」
何て書くとマズイですかね。

税理士という商売をしていると、労働法など勉強することもあります。
でも20年前のあの頃は、不思議とそんなことはどうでもよかった。
「滅私奉公型の労働」というのですか。
日本の高度成長を支えたのは勤勉なサラリーマンだった訳です・・・。
確かに基本給より残業代の方がはるかに多かったかもしれません。
(これも内緒かな・・・)
ただ残業代が欲しくて遅くまで働いた訳でも、
また強制的に働かされた訳でもなかったのです。

朝から晩まで机に向かって、資料作りしたり、文章を書いたり、
コンピュータに向かうことはまったく苦にはならなかったのです。
「これが自分の得意分野だ・・・」

自分の会社の中で生き残る場所を見つけたようで
喜んで働いていました。


実はあとから知った話ですが、このとき会社は私に対して
「吉田は背も高いし声がでかいので、場立ちを経験させて
もっと株を勉強させた方がいい」
そんな声があったそうです。
「場立ち」とは、取引所内で身振り手振りをして売り買いを成立させる、
あの職業です。
手のひらを向こうに向けると「売り」でこっちに向けると「買い」
有名なのは、三本指を立てて頭を越すポーズをとると「三越」です・・・。

今では証券取引所がすべてコンピュータ化されてしまったので
もう無くなってしまった職種です。
やはり証券会社にも、当時も「株屋的な」体質が根強く残っていて
株を理解するには現場が一番のような雰囲気が実際にありました。

場立ちの職業は朝5時すぎに会社に来て、情報収集打ち合わせ、
そして午後3時の取引所終了とともに仕事は終わります。
まるで毎日、早朝勤務の「港湾労働者」みたいなものです。(失礼!)
本質的に株がキライな私は、正直そんな仕事は絶対にやりたくなかった。

しかも何より、このアナログの前近代的な職業は
いつかなくなるような気が本当にしていました。
これからはコンピュータの時代だ。そんな予感もあったので
嬉々としてコンピュータによる資料作りに精を出していました。

でも会社勤めとは思うようにならないものです。
やっと見つけた安住の地から、早くも半年ほどで
また異動をすることになります。
まあサラリーマンとはこんなものですね・・・。


夢をかなえるゼイ 続・脱サラ編 その6
2009.11.11

「脱サラして良かったですか?悪かったですか?」
よくその結果だけをいきなり聞かれることがあります。
本当に良かったかどうかは、その人の考え、生き方によって違いますね。
それこそ、その方が死ぬまで分からないのではないでしょうか・・・。
もう少し脱サラ編を続けます。

入社4年目の1987年10月、ブラック・マンデーの大暴落を
私は経験しました。

「それで株がキライになって証券会社を辞めたのですか?」
そう思われる方も多かったのでしょう。
確かに株の怖さを知ったのは事実ですが、でも、ここでもしそれだけの
理由で辞めていたら野村證券に入った意味がなかったのでしょう。

せっかくサラリーマンになったからには、いろいろ経験してから
脱サラするべきだと、これは「脱サラ評論家」としての持論です。
本当に「仕事の経験」と「人脈作り」が大事だと感じます。

また今となっては思いますが、あの時は大暴落で大変でしたが
大暴落が私の人生の転機となったのもまた事実です。
そういう意味で大暴落があって良かったのかも知れません。

なぜなら、その後すぐ、会社として当然かもしれませんが、
証券会社の本社にも大幅な機構改革がありました。
せっかく「花形ディーラー」になる可能性があったのに
その道が立たれた訳ですが、次に配属された部署で、
自分の特性を知ることができたのです。

実は、そのあとは、本社の中の企画のような部署に
回されました。
暴落後の反騰相場と結びつくような資料作りが
主な仕事でした。

昭和の時代ですから、まだ今のようなパソコンなどありません。
それでも会社の片隅には高価なコンピュータがあり、
そのコンピュータで東京証券取引所と連動したデータを
引っ張りだして、来る日も来る日も資料を作り続けました。

「こんな暴落はありえない。必ず反騰相場が来る!」

要するにそんな資料でした。
そんな資料を朝の7時から毎日終電の1時くらいまで作り
続けました
あの当時、よく証券会社は「セブン・イレブンで働く」といわれましたが
セブンイレブンどころか、「セブン・ワン」でした。

あの頃は若かったし体力もありました。
でも何より、「こういう仕事も面白い!」
自分で自分の適性を発見した喜びのほうが大きかったかもしれません。

まだエクセルもない時代です。確か「ロータス 123」(これも古い!)という
ソフトをあれこれ悩みながら操作していたのも思い出します・・・。


社長が変われば会社は変わる!
2009.11.10

小山経営学を語るには、どうしてもこの本をご紹介しなければいけませんね。
ご存知ですか。昨年のベストセラーです。

社長が変われば、会社は変わる!.jpg

もっと早く取り上げたかったのですが、昨年の古いネタかなと
思って少しためらっていました。

昨年この本が大ヒットしたおかげで、逆に小山さんの本も
つられて売れたのではないでしょうか。
小山さんの本を何冊も読むより、この本一冊を読んだ方が
小山経営学が良くわかります。
しかも、この作者「ホッピーミーナ」こと石渡女史は、
実に文章がうまいですね。
元祖ブロガーらしいですが、それにより企業業績をあげた理由も
確かに垣間見えます。

しかし、ホッピーは今結構流行っているのですが
個人的にホッピーは飲まないのですね。
せっかくの焼酎を、またさらに割るのに抵抗があります。
同じ理由で、サワーとか酎ハイといのも、あまり飲みませんね。

どうも私の年代では、駅近の路地裏の安い居酒屋に
「ホッピーあります」の看板を思い出してしまいます。
労働者向けの安いお酒の代名詞ではないでしょうか。(すいません)

でも最近はなぜかホッピーブームですね。
ホッピーが急に飲まれるようになったのは
「プリン体ゼロ」の健康ブームに乗れたことと、
やはりこの「ホッピーミーナ」の功績なのでしょう。

創業100年の老舗企業の三代目として、
それもこの小山氏の明確なアドバイスのおかげで、
変革をやりとげるというサクセスストーリー仕立てになっています。
古参の工場長が辞めたときや、製品に異物が混入して自主回収と
なったときなど、まさにありがちな会社の危機的状況の際に、
師匠のアドバイスからたち直ることができるですね。

小山経営学はこういう老舗企業ではちょうど合うのでしょう。
先日は小山流が古いのではないかと、つい指摘してしまいましたが
古参の経営幹部がいるような老舗企業にはマッチするのでしょう。
でもホッピーミーナの経営者として苦労しながら成長していく姿に
やはり感動してしまいます。

読んでいて、正直このホッピーミーナの応援をしたくなる
本ですし、それとやはり、ホッピーを飲んだことのない人も
必ずホッピーを飲みたくなります。
さらに小山経営学も知りたくなります。
こういう本は本当に宣伝効果高いのでしょうね。

最後に、この題名がいいですね。
実は顧問先の社長に怒られるのを覚悟で買って差し上げた
経験があります・・・・。

秋の夜長にホッピーでも飲みながらぜひ読んでください・・・。


いいぞ!松井 いいぞ!ジャイアンツ!!
2009.11.09

ジャイアンツ・ファンには至福の週でしたね。
ファンであって良かったと本当に思えました。

松井の世界一の活躍は、日本の野球ファンとしても誇りに思えましたが、
気になるのは今後の去就ですね。
楽天がもし日本一になっていたら、間違いなく野村監督の契約更新は
されたと思うのです。
そうでなかったらファンが黙っていないはずです。
「義理人情浪花節的な」日本野球に対して、
どんなに松井が大活躍しても「契約は契約だよ」そう考えるのが
アメリカンですね。
このあたりでも「日米野球摩擦」を感じます・・・。

日本に帰ってきて欲しいと日本の野球ファンは思っているでしょうけど
あの膝の状態では、あまり活躍できないかもしれないですね。
ピンストライプのユニフォームを、そのまま脱いで引退した方いいという
野球選手としての美学を唱える人も多くいます。
でも、ジャイアンツに戻ってきて欲しいと思うのは私だけでしょうか・・・。

ジャイアンツの日本一も感動しました。
最後の第六戦も良かったですが、やはりあの第五戦ですね。
あの阿部のサヨナラホームランは見ていて、鳥肌が立つような
感じがしましたが、でもジャイアンツ・ファン暦の長い私は
なぜか打つような予感がしていました。

でも本当に感動したのは、8回の大道選手の代打タイムリーヒットです。
バットを短く持って
「死んでも打ってやる!」
その気迫がテレビから伝わってきました。
打った瞬間、万歳して涙しているのが見えましたね。
余程嬉しかったのでしょう。

翌日の新聞で
「22年間野球選手としてやっていて一番の瞬間でした・・・」
それもそうでしょうね。
彼は20年も在籍したソフトバンクを3年前に戦力外通告されてから、
無償トレードでジャイアンツに移ったのです。

その40歳の崖っぷちの選手が
「ソフトバンクを見返してやる!」
そんな気持ちがあのヒットを生んだのでしょうね。
ファンの間には長く語り継がれるプレーでしょう。

これは「ベンチャー・スピリッツ」に通じるものがありますね。
脱サラして起業する方を多く見てきました。
異業種に飛び込むより、やはり同業の企業を起こすことが多いです。
「古巣の企業を見返してやる!」
皆そう思うものです。

大道選手のように真面目にやっていれば
どこかでそんな見返すチャンスが来るのです。
「この仕事をやっていて良かった」
そう思って涙する時が必ず訪れます・・・。


経営の見える化(中経出版) その4
2009.11.06

小山節は個人的には好きなのですが、正直に申し上げて
どうも「古い」のでは?と思ってしまう点があります。
8年前にこの小山流経営学を知りましたが、当時は感動しましたの
ですが・・・。
このやり方で30年もやってきたのですから、これは致し方ないかとも
感じます。
この本を読んだ方はどう感じるのでしょうか。

またブログで批判することは避けますが、個人的な「感想」を
「見える化シリーズ」の最後に述べておきましょう。

まず、私の専門の経理の立場でこれは面白いと考える「見える化」を。
小山さんの会社では、「元気が出るシステム」という月次の損益を
表示するソフトを導入しているそうです。
部門ごとの損益を毎日更新するソフトだそうですが
これは面白いですね。中小企業では間違いなく有益でしょう。

これを毎日入力している経理の方は大変だと思いますが、
社内でこれだけのシステムがあれば理想形ですね。
会計事務所に普通に経理を代行しているような会社は
普通そんなことを考えもしないですからね。

ついでにいうと、小山さんは税理士や会計士をあまり重要視していない
みたいです。どの本にもそう感じます。
それだけ、ご自分で会計が分かっているのなら、経理を外注する必要は
ないからですね。
これは私としても今後真似して、会計事務所として「元気がでるシステム」を
考えてあげればいいと思っています。
通常の会計ソフトなら、どれでも部門管理はできます。
それを全社員が見れる「共有フォルダ」に入れておけば
結構簡単に可能なのでしょう。
社内にここまで公開している企業は少ないでしょうが・・・。


最後にちょっと「やり方古いのでは」と思う点を。

「実名で賞与の額を公表したり、それを現金手渡しするシステム」

これは今批判を浴びている「成果主義」の権化みたいなやり方ですね。
社員にそれが受け入れられているから成立するのでしょうけど、
成績のビリの人が現金の袋詰めをさせられるとは・・・。
これは実際に現場の営業マンとしてはつらいでしょうね。
香山リカさんではないですが、これは行き過ぎると
それこそ「うつ病」の原因になるのでしょう。
多分小山さんの会社ではうつ病になる前に
きっと辞めてしまうのでしょうが・・・。

結局、小山流の経営術はいいと思う点だけ真似すれば
私はそれで良いと思っています・・・。


経営の見える化(中経出版) その3
2009.11.05

経営計画の発表会をわざわざやるかやらないかは
さておき、社長の意思をどう従業員に徹底するかこれが重要ですね。

小山さんが経営計画書に実印を押して「魂」を入れるそうです。
これも実印を押すかどうかどうでもいいことで、社員がそれを
素直に実行してくれることが大事なのでしょう。

ただ誤解のないように書いておきますが、経営計画書は書けるなら
本当に書いて欲しいと思います。
ただ、このご時勢では計画通りなかなか行かないのですね。
だからこそ書くべきなのでしょうけど・・・、
書いても計画通りに行かなくて、余計がっかりしてしまったり・・・。

でも中小企業は社長がすべてですから、社長自ら行動し
それを従業員に周知徹底させる、これがやはり重要なのですね。


その社長の思いを徹底するお話ですが、小山さんは毎朝7時30分から
1時間かけて朝礼をするそうです。
従業員の方も大変ですね。あの社長のお話を毎朝聞かされるのですから。
そういえば、楽天の三木谷さんもワタミの渡辺社長も朝会をやっていました。
伸びる企業はどうやら、朝会をやって社員のとの意思疎通を図っている
みたいですね。
楽天は毎週月曜日に朝から掃除というのもご紹介したとおりです。

でも中小企業の現場から一言。
最近だと朝早く来ることも「サービス残業」の一種なのですね。
昔は朝早く来るのは当たり前のようにいわれていましたけど
採用の段階で
「始業時間は何時ですか。その時間に来ればいいのですね。」
「朝早く来てトイレ掃除なんかないですか。」
そう本当にいわれるのですね。
私もおせっかいながら、顧問先の採用の面接に立ち会うこともあるから
よく分かるのですね。

「始業時間が9時からなので7時30分に来ると1時間30分の残業代は
もらえるのですか」
「今日はデートなので朝からトイレ掃除なんかしたくないのですが・・・」

そういわれないように経営者は頑張るしかないのですね。
(またおっせっかいか・・・)


経営の見える化(中経出版) その2
2009.11.04

まず最初に、この小山さんが必ず言う「持ちネタ」から。

「経営計画書を作ろう!」
これ小山さんの大方どの本でも言っていますね。
これを理解すれば小山さんの主張の大筋を理解できます。
昨日申し上げたセミナーでもこのお話に終始していました。

ただ経営計画書を作ろうという話は、この小山さんが発案ではないと
思いますが、この経営計画書にかなりのエネルギーを使っていますね。
それだけ効果があるということなのでしょう。

本の副題のとおり、
「9割の社長・幹部は自分の会社のことを知らない」
そうです。
確かにそうでしょうね。
日頃多くの中小企業の経営者に接していますが、
まずこの自分の会社のことを冷静に分析する機会は
少ないのではないでしょうか。
だからこそ、
「年に一度、経営計画書を作ることによって、己を知ろう!」
ということなのでしょう。


実は、この経営計画書を作るセミナーは小山さんに限らず
全国各地で行われていて、結構流行っています。
講師の大方は税理士か会計士が多いですね。
好奇心旺盛な私としてもいくつか出席してみたことがあります。

皆講師は同じことを言っています。
ただ大企業を経験した私としても、どうも大企業が普通やるようなことを
真似しているだけではないのかと思いますね。

好評シリーズ?の「夢をかなえるゼイ」で多分あとでご紹介しますが
私も大企業の企画の経験があります。
まさにこの「経営計画書」の作成をやったことがあるのですね。
代表者とホテルに泊り込みで原稿を書いたのも懐かしい思い出です。
大企業であれば、従業員の意思疎通を図り、巨大組織の末端まで
経営者の意図を浸透させるために
この経営計画書を作成することは必要でしょう。
また各組織ごとに予算案を出させることも上場企業として
当然のことなのでしょう。
また実際に経営計画を従業員に発表する場もありました。

でも相手は中小企業ですからね。
社長が朝大声でどなって指示すればそれで、社長の意思は従業員に
十分伝わるはずですね・・・。
何もそのためにホテルを借りて発表会までやらなくてよいのでは・・・。
まあ、100名規模のそれなりの中堅企業になってきたら、
これは必要だと私も思います・・・。


経営の見える化(中経出版) その1
2009.11.02

昔話をやりだすととまりませんね。
20年以上も前の暴落のお話や、証券会社の話など興味がない方も
いるののでしょうね。でも、また不定期にアップしていきます・・・。

読書の秋でまた本を読みまくっていると、どうしても取り上げたい本が
ぞくぞく出てきました。
まずはこれ。

経営の見える化.jpg

小山昇さん。有名な経営コンサルタントですね。
たくさん本もお書きになっています。
この方は講演会もよくやっていらっしゃるのもご存知ですか。
年間120回もセミナーをやっているそうです。
自分の会社の経営をやりながらですから、そのこと自体すごいことですし、
赤字経営の会社を年商35億円まで育て上げた実績からの
コンサルはかなり説得力あることだと思います。

もう7、8年前のことでしょうか。私が開業して数年たってあれこれ
試行錯誤していたときです。
ちょうど東京税理士会の研修講師になったときでもありました。
「本当の経営コンサルタントはどうやって指導しているのだろう?」
「売れっ子の研修講師とは、どんなセミナーをやるのだろう?」

それを知りたくてこの方の講演会に出席してみました。
確か1時間半ほどのセミナーだったのですが、会費はなんと1万5000円!
もう「売れない」演歌歌手のクリスマス・ディナーショウの値段ですね。

「人気コンサルタントはこんなに高いのか!」
その値段だけでかなり感動しましたが、その当時はどうしても
そのノウハウを知りたかった訳です。

でも確かに出席してみて感動しました。
この方の話し方というのは流石です。本当に聞き手を飽きさせません。
その後の研修講師としてのかなり参考になりました。
高い値段の価値は確かにありました。

その後この方の出される本はほとんど買っています。
それで今回この本を取り上げた次第ですが、内容は
「小山ウオッチャー」としては、実はほとんど聞いたことのあるネタです。
結局は焼き直しがほとんどなのですが(内緒・・)
またこの題名のつけ方と内容の簡易化に、「出版のベストセラー化」を
垣間見るような気がします。

でもやはり私はこの「小山節」は好きです。
経営ノウハウを分かりやすく伝えてくれます。
顧問税理士として中小企業をどう指導するか参考になるし、
考えながらよく読みます。

秋の夜長に、この本を読んで、自分の経営を見えるようにしましょう・・・。


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