遺産分割で、「介護の苦労」はどこまで認められる?

遺産分割で、「介護の苦労」はどこまで認められる?

2015/1/28

 
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しばしば「争続」となってしまう、遺産相続。高齢化が進むなかで、トラブルの原因として増加しているのが、「介護」です。きょうだいのうちの1人が、大変な思いをしつつ、自分だけで面倒をみてきたおじいちゃんが亡くなった。相応の遺産がもらえるのではないか、と考えるのが人情ですが、実際にはどうなのでしょうか? 税理士の海老原 玲子先生に聞きました。

◆「普通の介護」は、評価されない!?

のっけから個人的なことで恐縮ですが、私は長年、夫の両親の介護をしていました。だから、それが心身ともにいかに大変なことなのか、身に染みて分かります。では、そうした苦労は、介護した人が亡くなって発生した遺産相続の時、多少なりとも認めてもらえる(苦労した分、たくさんの遺産がもらえる)のでしょうか?
 
実は、相続人による遺産分割協議において、こうした介護をめぐる争いが、このところ急増しているのです。身を粉にして、親の食事の準備をし、おむつを替えた長女。なんだかんだ言いながら、親のところにめったに顔さえ出さなかった、他のきょうだい。相続では、長女が優遇されてしかるべき、と第三者的には思えるのですが……。
 
結論を言いましょう。「介護した人間に厚くする」旨の被相続人の遺言がなかったとしたら、きょうだい間の協議が不調に終わって、裁判になったとしても、介護の貢献は金額的にはほとんど認められないのが現状です。仮に、介護のために自分の貯金を持ち出していたら、その分はもらえます。また、例えば、ヘルパーの資格を持っていて、「特別な貢献」を行っていれば、多少、評価される可能性はあります。ただし、その場合も、そうした事実の証明が必要。残念ながら、日常の世話をした、施設への送り迎えをした、といった程度の「普通の介護」では、相続において評価されることはないんですね。理不尽にも思えますけど、法律的には、そうなっている。ちなみに、私のように、夫の妻が面倒をみたケースでは、そもそも妻は法定相続人ではありませんから、遺言がなければ、遺産分割を主張する権利自体がないのです。

◆感謝の気持ちがあれば、遺言に残すべし

それにしても、「何もしなかったきょうだい」は、どうして一生懸命介護をした人間の貢献を認めようとしないのでしょうか? 私の経験から言わせていただけば、背景にあるのは、「1円でも多く欲しい」という欲というよりは、「感情のもつれ」である場合がほとんど。きょうだい間にしこりがあって、親の面倒をみようが何だろうが、とにかく「あの人が遺産を多く取るのは、許せない」というわけです。
 
そもそも、1人に介護の苦労が集中しているというのは、きょうだい間があまりうまくいっていない証拠。もし良好ならば、例えば、実際の介護は同居の長男夫婦に任せても、他の人は経済的にそれを支える、といった役割分担もできるはずなのです。
 
彼らが持ち出す「論理」はほぼ共通していて、「同居しているのをいいことに、親の財産をせしめているんじゃないか」という類のお話です。実際に、そうした例も少なくはないので、「何もしなかったきょうだい」の言い分が、すべて間違っている、とは言いません。けれども、「これでは親身になって介護した人がかわいそう」という事例が、枚挙にいとまがないのは事実。
 
そうならないために第一に大事なことは、介護を受けている方が、しっかりと遺言を書いておくことです。感謝の気持ちがあるのならば、必ずそのことを遺言書にしたためるべきでしょう。さきほども述べたように、特に介護したのが長男の妻、というような場合には、遺言がなければ、どんなに感謝していても、彼女には1銭の遺産も渡らない可能性が高いのです。親がそうした遺言を残すことは、他のきょうだいたちの介護に対する理解を広げるためにも、大事なことだと思いますよ。

◆「争続」の裏に潜む、きょうだいの「感情のもつれ」

「母の着物は、どこに行った!」

遺産分割で、「介護の苦労」はどこまで認められる?

さきほどもお話ししましたけれど、親の相続をめぐってきょうだいが揉める場合、その「エネルギー」になっているのは、実は剥き出しの金銭欲というよりは、他人には理解不能な「感情」であることが多い、というのが私の率直な感想です。「この人はどうしてこんなことを言い出すのだろう」というシーンが、遺産分割協議などの場では、日常茶飯事なんですね。
 
判で押したように多いのが、「父親は、兄貴ばかりをかわいがった」というパターン。「小学校の時こうだった」「中学ではあんなことがあった」……。成人したての青年が口にするのなら、分からないでもありません。でも、そう一生懸命主張しているのは、60歳代の相続人だったりするわけです(笑)。「そんな大昔のことを持ち出してどうするのか」と喉まで出かかったのは、2度や3度ではありません。
 
介護をしているか否かは別に、親と同居しているきょうだいに向けられる「疑惑の視線」にも、相当なものがあります。遺産分割協議で揉めた時、それこそ何十年も前の自分の七五三のお祝いで撮られた、セピア色の写真を持ってきた方がいました。そして、「この時に母が着ていた、この着物はどうしたの?」と、同居のきょうだいに迫るのです。遠の昔に本人が売り払ったか、残っていても一文にもならないだろうことが、一目瞭然なのに……。そこまでやる執念には、驚かされました。やはり遺産分割で争いになり、「母の形見の品が……」と言うので、「では、形見分けしてもらいたい財産を、リストアップしてください」とお願いしたら、こまごまと50近くも書いてきた人もいましたね。とても「財産」と呼べるようなものではありませんでしたが、要は、いろいろ金目のものが実家にはある(あった)はずだ、というデモンストレーションなのでしょう。もつれた感情は、人間にそこまでやらせるわけです。ところが、紆余曲折を経つつも遺産分割に結論が出たとたん、形見の話など消えてなくなるのだから、不思議なものです。

まずは、相手の声を聞く

私には、そうしたトラブルの相談に乗る時に心がけていることがあります。当たり前のことのようですけど、まずは目の前にいる人の言いたいことを、よく聞くこと。不満があれば、それをすべて吐き出してもらいます。感情が先に立っている諍いでは、その背景に何があるのか、本音では何を考えているのかを理解しないと、なかなか前には進めないのです。
 
そのうえで、そうした「思い」が、法律上認められることなのか、譲歩の条件は何なのか、あるいは、このまま遺産分割協議が整わないとどんな問題が発生するのか(例えば、相続税を多く取られる)といった、現実の問題を提起して、考えてもらうことにしています。まあ、それでも解決には至らず、家庭裁判所による「調停」、さらには「審判」(これらについては、次でお話しましょう)へ、ということも少なくはないのですけど。
 
ところで、さきほど、私には夫の親を介護した経験があり、その厳しさ、辛さは身をもって理解している、と言いました。介護への貢献をめぐって、相続が揉めているようなケースでは、そうした実体験を生かすこともあります。 「あれだけ介護したのに、遺産がもらえないのはおかしい」という方には、「気持ちは、痛いほど分かります」と話して、とりあえずヒートアップした心を解きほぐしてもらう。反対の立場の人の依頼を受けた場合には、「私の体験ではね……」と介護の実情をお話して、理解を求めたりするんですよ。 とにかく、持てる知識も人生経験も総動員して、「争続」を防ぐ、収める。それが私たち「相続のプロ」の一番の仕事かな、と思っています。

◆遺産分割をめぐる、裁判所の「調停」って?

当事者の意見を聞きながら、解決を目指す

遺産分割で、「介護の苦労」はどこまで認められる?

遺産分割協議がまとまらない、あるいは協議自体のテーブルに着けない、などという場合には、家庭裁判所に調停を申し立てることができます。実は、遺産分割をめぐってこの調停に持ち込まれる事件も増えていて、相続税の申告件数より多いんですよ。相続税を支払うのは、しかるべき金額の遺産を受け継ぐ場合。いかに今の日本人が、「少額」の遺産分割で揉めているのか、の証でもあります(さきほどお話したように、「お金」以上に「感情」が絡む!)。
 
訴訟も調停も、「公」の場で決着をつけるという点では同じ。では、どこが違うのか? 前者では、公開の場で原告、被告が意見を述べ合い、裁判官が判決を下します。これに対して、後者は非公開。家事審判官(家庭裁判所の裁判官)と、男女1名ずつの調停委員から構成される調停委員会が、紛争当事者双方の主張を個別に聞き、あくまでも話し合いでの合意を目指していくのです。 遺産分割調停について、少し具体的にみてみましょう。裁判所への申し立ては、相続人のうちの1人ないし何人かが、他の相続人を相手方として行います。調停の流れは、①誰が(相続人の確定)②何を(財産の範囲の確定)③どれだけ(財産の評価の確定)④どのような割合で(具体的相続分の確定)⑤どのように分けるか(分割方法の確定)――という手順で進みます。
 
さて、調停当日。裁判所に出向くと、申立人と相手側は、待合室は別々です。調停委員会のメンバーは、中立の立場で個別に話を聞き、お互いの譲歩を引き出していくのです。余談ながら、調停においては、裁判官も法衣などは纏っておらず、私服。そんな、裁判所らしからぬ雰囲気も手伝って、感情のままに話をされる当事者の方も少なくないようです。でも、それを相手方にストレートに伝えたのでは、お互いにエスカレートするばかり。調停委員会は、一方の主張に耳を傾けつつ、それをどのように相手に伝えるか、といった点にも気を配りながら、解決案の提示や助言なども行い、合意を目指すのです。
 
話し合いがまとまると、「調停調書」が作成されますが、これは判決と同等の効力を持ちます。調書に基づいて、不動産の登記なども可能になるわけですね。

第三者が関与することで、ほぐれる糸もある

できることなら、調停など避けたほうがいいに決まっています。ただ、にっちもさっちもいかなくなった場合に、「最後の話し合い」を持つ場としては、とてもいい仕組みでもあります。当事者、特に身内同士でいがみ合っていても、いったんこじれた問題に答えを見つけるのは、なかなか難しいもの。そこに裁判所という第三者が関わることで、振り上げた手を下す機会になることも、少なくないのです。
 
私の依頼者にも、当人たちではにっちもさっちもいかなかった遺産分割が、調停の結果、合意に達したという方が、何人もいらっしゃいます。そういう方の話を聞くと、もつれた感情のほぐし方は、まさに十人十色なんだな、と実感します。調停のいいところは、話し合いを通じて、ケースバイケースでベターな方策を探っていけるところですね。
 
ただし、それでも決着がつかないこともあります。その場合、今度は「審判」手続きに移行することになります。ここに至ると、「話し合い」の余地はなくなります。審判では、家事審判官がほぼ単独で遺産を分割。職権で事実の調査や証拠調べを行い、当事者の希望なども考慮して、ある意味便宜上、分けてしまうわけですね。

この場合は、いろんな不利益も覚悟しなければなりません。例えば、調停でみんなが合意すれば売却できた不動産を、競売に付す、といった決定が下されるかもしれません。任意売却の何分の1の金額で、手放さざるを得なくなるのです。同時に、感情のもつれを解きほぐす機会が、永遠に失われる危険性が高い。 遺産分割は、自分たちで決めるのがベスト。やむを得ず第三者に委ねる場合は、何とか調停の場で譲歩し合い、お互いに一致点を見出すことに最大限の努力をしてほしい、と私は思うのです。

◆トラブルも多い「成年後見人」選びで考えるべきことは?

制度を利用するには、家庭裁判所に申し立てが必要

「成年後見人」という言葉をお聞きになったことがあると思います。精神上の障害などにより、判断能力が十分でない人の保護、援助を行う制度で、本人の判断能力の程度により、「後見」(自己の財産を管理・処分することができない)、「保佐」(管理・処分するには、常に援助が必要である)、「補助」(管理・処分するには、援助が必要な場合がある)――の3種類に分かれています。「自己の財産を単独で管理・処分することができる」場合には、成年後見人を選ぶことはできません。
 
成年後見人をつけるには、家庭裁判所への申し立てが必要で、これは本人、配偶者、4親等内の親族が可能です。後見人は、本人の身上監護、財産管理を適正に行う人を、裁判所が選任し、本人の親族がなる場合もあれば、弁護士、司法書士、税理士などの専門家が選ばれることもあります。親族が後見人となる場合には、その事務を監督するために、専門家をその監督人につけることになります。
 
繰り返しになりますが、成年後見人の役目は、被成年後見人の身上監護や財産管理。例えば、認知症で判断能力が不十分だと認定されれば、契約は結べません。しかし、そのことによって、著しい不利益を被る可能性があります。でも、成年後見人がいれば、本人になり代わって、契約を結ぶこともできるわけですね。逆に、認知症の高齢者をターゲットに高額商品を売りつけるようなトラブルにも、迅速な対処が可能になります。

やはり「争続」のタネになる

ところが、この成年後見人制度にも、問題はあります。本人は、認知症で前後不覚に近い、その人の財産は、自分の管理下にある……というわけで、後見人に指名された弁護士が大金を着服する、といった事件が相次いだのは、記憶に新しいところ。 子どもが後見人になっている場合はなおさらで、「いずれは自分のものになるのだから」という意識が働くのでしょうか、親のお金と自分のそれとの区別がつかなくなることが、しばしば起きるわけです。同居の場合よくあるのは、自分たちの生活費も丸ごと親の財布から、というパターン。旅行費用までそこから捻出するようなことも、けっこうあります。せめて親をいっしょに連れて行ったなら、許せると思うのだけど……。 当然のことながら、これらは許される行為ではありません。さきほど述べたように、親族の後見人には、監督人が付きます。求めがあれば、財産状況の報告などを行わなければなりません。不適切な行為が発覚した場合には、内容によっては後継人を解任されるだけではなく、損害賠償を求められたり、業務上横領で訴えられたり、民事上、刑事上の責めを問われる可能性もあるのです。
 
そこまでいかなくても、親族の「使い込み」は、遺産相続の時に白日の下にさらされ、争いになること必至。「後見人までやりながら」と、他の親族の怒りはよりいっそう、爆発するでしょう。 一方、後見人をつけることで、いろいろと「窮屈な」ことも起きます。後見人が親族以外だと、親のお金で面倒をみようと思っても、自由にはできません。その都度、財産を管理している後見人のお伺いを立てる必要があるのです。また、たとえば、長男が母親の成年後見人になっていて、父親の相続が発生した場合。長男も母親も相続人ですから、利益が相反しますので、相続人ではない第三者を「特別代理人」として選任する必要がありますから、話し合いの開始までに時間がかかることになります。
 
まあ、家族がしっかりまとまっていて、みんなで親の面倒をみているような場合には、あえて成年後見人を選ぶ必要はないでしょう。それに限界があって、成年後見人制度を利用する場合には、1にも2にも、信頼のおける親族や専門家(例えば弁護士や税理士など)に頼むこと。最終的に選任するのは裁判所ですから、すべて思い通りにいくとは限りませんが、希望を述べることはできます。本人がしっかりしているうちに、任意後見人として「この人を」と決めておくのが理想でしょう。

後見人は、任意で選ぶこともできる

さて、ここまでお話してきたのは、正確には「法定後見制度」についてです。それとは別に、「任意後見制度」というのもありますので、最後に紹介しておきましょう。すでに判断能力が不十分な人に代わってサポートするのが前者で、後者は将来、判断能力が不十分になった時に備えておくための制度なのです。
 
任意後見制度では、公証人役場で親族などと公正証書契約を結びます。法定後見制度とは異なり、後見人は任意で選任が可能。判断能力が不十分になった時点で、任意後見人は、家庭裁判所の選任した監督人の監督下で、銀行の入出金、実印や証書の保管代行、生活費、租税、医療介護費の支払いなどを、代理で行うことができます。
 
こちらも、判断能力が衰えた時のことを考えれば、ありがたい制度ですが、やはり自分のお金を「他人」に預けることになります。親族とよく話し合い、必要だと思ったら、専門家に相談してみてください。

◆相続で、持ち株比率が逆転!? あなたの会社、相続対策は大丈夫?

きちんとしたい自社株の相続対策

遺産分割で、「介護の苦労」はどこまで認められる?

会社経営者が意外に無頓着なのが、相続における自社株対策。でも、これを怠っていると、大きなトラブルが発生しかねません。会社がたくさんの不動産を保有していたりして、株価が高く評価されると、例えば、高額の相続税や、代償分割(法定相続分以上の遺産を取得した相続人が、他の相続人に対して代償金を支払う遺産分割)に必要な資金が用意できるのか、といった点が問題になります。これは高額な不動産を相続させる場合と同じですね。加えて、事業継承の場合は、経営権が分散したりしないよう、誰がどのくらい持つのかを、管理する必要が出てきます。
 
会社経営者の父に、複数の子どもがいる場合の相続を考えてみましょう。当然のごとく、父親は会社を継いでくれる子どもに、自社の株を渡すでしょう。ところが、今述べたように、株の価額が高く評価された場合、相続財産全体に占める自社株の比率は、相当なものになります。中小企業経営者は、えてして会社に身銭を注ぎ込んでいますから、自身の財産は意外に少ないことが多いもの。ひとりで会社の株を相続した子どもと他のきょうだいとのアンバランスは、一目瞭然です。ですから、こういうケースも骨肉の争いになりやすいのです。 この「争続」には、経営権が絡んだり、あるいはそれとは無関係な財産争いになったり。その結果、経営をする気がない人間が多くの株を持ったりすると、経営が不安定になる危険性が高まります。急な買取請求に応じざるをえなくなり、その結果、会社が傾く、などということもありえるわけですね。
 
必死になって会社を大きくしたお父さんにしてみれば、悲しい事態ですが、防げるとしたら「事前の準備」しかありません。できるだけ、公平になるような相続をするにはどうしたらいいのか、真剣に検討してみる必要があるでしょう。同時に、会社経営を任せる=自社株を渡して、安定した経営権を持たせることの意味を、他の子どもたちも含めてよく話し合っておくことも、大事なことだと思います。

「自社株相続」が生んだ悲劇

自社株の相続で問題になるのは、その評価額に限りません。私のところに、相続問題が発生してから相談にいらっしゃった、こんな方がいました。 父親と50%ずつの株式を持って、会社を設立した長男がいました。長男が代表取締役に就き、実質的にも会社を切り盛り、社業は順調に発展します。そのうちに、父が亡くなり、その株は法定相続分として、母が2分の1、長男と次男が4分の1ずつを相続しました。この時点で、長男の持ち株比率は60%強。やがて結婚した長男は、母親と同居。弟も会社に入り、家族関係は良好だったのです。
 
ところが、長男の病死で状況は一変します。長男、夫婦には子どもがありませんでした。遺言も書いてなかった。このため、長男所有の株式は、やはり法定相続分で妻が3分の2、母親が3分の1を受け取りました。妻の持ち株比率は、およそ40%で、過半数に届きません。これが悲劇の第1の要因でした。 実は、長男が病に倒れて以降、母親は弟夫婦と同居していました。母親にしてみれば、関係は良好だったとはいえ、長男亡き後、嫁は他人。自分の息子(次男)のほうが、かわいくなったのでしょう(次男夫婦には子どももありました)、会社の経営権は、相続により過半数の株を獲得した、母親と次男の手に渡ってしまいました。
 
前半で述べたように、40%とはいえ、株式の相続財産としての価値は莫大。でも、非上場の場合、株式は市場では売れませんから、経営権がなければ紙くず同然になりかねません。このケースがまさにそうで、会社は妻の株式買取請求を拒否。配当もゼロ。同族会社のため、役員退職金規定もありませんでした。さらに、長男は多額の生命保険に入っていたものの、損金算入を念頭に置いた会社契約だったため、保険金は全額会社のものに。妻を受取人にした個人契約の保険は、微々たるものでした。これも、会社経営に命を掛ける社長さんにありがちなパターンなんですね。結果的に、亡き夫とともに会社の発展に協力してきた妻は、ほとんど何の見返りを得ることもなく、放り出されることになってしまったのです。あまりに理不尽な扱いに対し、裁判を起こして、死亡退職金の支払いと会社への貸付金の返済を請求しています。
 
このケースでは、長男が生前に、妻なり弟なりにきちんと事業継承を行っておくべきでした。そのうえで、妻が不利にならないような遺言を残していれば、ノープロブレムだったのです。せめて、遺言があれば。それがなかったばかりに、被相続人亡き後の人生が大きく変わってしまった、と言っても過言ではないでしょう。私の経験の中でも、遺言の大事さを特に印象付けられた事例です。

◆揉めない相続は、家族のコミュニケーションから

「驚きの事実」が争いを生む

遺産分割で、「介護の苦労」はどこまで認められる?

多くの人は、「うちは、大した財産がないから大丈夫」「きょうだい仲がいいから、相続になっても問題ない」と思っているのではないでしょうか。相続って、他人事なんですね。でも、誰もがいつかは否応なく相続に直面します。そうなった時に、一見穏やかそうに見える人たちが感情剥き出しで争う姿を、私は幾度となく目にしてきました。
 
そんなことになる大きな要因の一つは、相続になって初めて、自らに「不利な」事実が判明することです。「遺言書を読んだら、兄貴が過度に優遇されていた」などというのは、その典型。逆に、「死ぬまであれだけ尽くしたのに、遺言も残してくれなかった」というのもあるでしょう。 突然、「知らない相続人」が現れることもあります。私の依頼人に、「相続になったので調べてみたら、亡くなった母親に、前夫との間にできた姉がいたことを、初めて知りました」という男性がいました。「遺産ウンヌンもさることながら、母親がそんなことを50年以上も隠していたのが、ショックでたまりません」という男性の顔を、忘れることができません。
 
これから被相続人になる可能性のある方にひとこと申し上げたいのは、世の中には「棺桶まで持っていける」ものと、そうでないものがある、ということです。相続に関連する事柄は、必ず露わにされると思ってください。場合によっては、隠していたことで、親族同士の諍いを誘発する可能性もあるのだということを、自覚してほしいのです。

親のほうから話す

「揉めない相続」のためのアドバイスとして税理士が語れるのは、誰が相続人なのかを調べておきましょう、どんな財産があるのかを明確にしましょう、遺言に遺志をしたためておきましょう――というのが基本。でも、最後の決め手は家族のコミュニケーションになる、と私は思っています。相続について、一度ざっくばらんに親子で話し合ったらいかがでしょう。
 
「生きているうちに、遺産相続の話なんて」という心情は、私も日本人ですから、よくわかります。しかし、親の死後に骨肉の「争続」を繰り広げるリスクを考えてみてください。少しの勇気を出して語りかける価値は、十分にあると思うのです。とはいえ、子どものほうから切り出すのは、やっぱりハードルが高い。「語りかける」のは親の側、と心得てください。 財産について話すのは、決して「相続対策」にとどまらない、と私は思うのです。
 
例えば、それは、親のここまでの人生を語って聞かせることにつながるのではないでしょうか。逆に、子どもが親に自らの将来の人生設計を相談できるという点でも、すごくいい機会だと思いますよ。 そんな話をすることで、親子の「思い違い」に気づくかもしれません。例えば、元気に働ける子どもと、病弱な子どもがいたとします。親が持つ不動産は、自宅とアパート。親は、病弱な子のことを慮って自宅を相続させ、元気な方にはアパートを任せようと考えていた。でも、病弱な子の願いは逆で、自分は満足に働けないから、収益性のあるアパートがもらいたい――。こんなふうに、親の善意が、必ずしも子どもの願いと一致していない場合も、けっこうあるんですね。しっかり話し合っていれば、そうした考えのズレを、事前に修正しておくことも可能です。
 
かつての日本では、遺産相続はほとんど問題になりませんでした。家督は長男が継ぐもの、と決まっていたからです。個人的には、長男が財産や事業を受け継ぎ、必要に応じて弟や妹たちを援助する、という昔の日本の家族制度には、いいところもたくさんあったと感じています。しかし、それは文字通りの「昔話」。今は、できれば遺言書も、相続に関係する親族すべてに相談したうえで書くくらいが理想だろうと思いますね。

◆自筆の遺言書を、勝手に開封したら……

夫は、妻の2次相続の中身まで遺言できるか?

遺産分割で、「介護の苦労」はどこまで認められる?

まず、遺言書について、あらためて整理しておきましょう。一般的な遺言書には、自分で書く「自筆証書遺言」、公証役場で公証人に内容を伝え、作成してもらう「公正証書遺言」、そして、自ら作成したものを公証役場に持参し、遺言書の存在を認めてもらう「秘密証書遺言」の3種類があります。 このうち、公正証書遺言の原本は、公証人の手元に保管されます。逆に言うと、他の2つの管理は、基本的に書いた本人(被相続人)の手に委ねられることになります。だから、本人が亡くなって何日も経ってから、タンスの奥にしまわれていた自筆の遺言書がみつかった、なんてことが起こるわけですね。
 
さて、そんな場合、見つけた相続人が勝手に開封することは、許されるのでしょうか? 答えはノーです。自筆証書遺言と秘密証書遺言については、発見後遅滞なく家庭裁判所に提出し、「検認」の請求をするよう、民法に定められています。同法には、続けて「封印のある遺言書は、家庭裁判所において相続人又はその代理人の立ち合いがなければ、開封することができない」とあるのです。もし、勝手に開封すると、「5万円以下の科料に処せられる」ので、注意してください。
 
ただし、勝手に開封されたからといって、その遺言書がただちに無効になるわけではありません。同時に、「検認」というのは、あくまでも遺言書の形式などを確認し、中身の偽造、変造を防ぐのが主な目的。内容の有効性に裁判所がお墨付きを与えるものではないのです。 なんだかややこしいですけれど、「手軽に書ける」と言われる自筆証書遺言も、効力を持たせるためには、けっこう煩わしい手続きが要ることは、頭に入れておいてほしいと思います。「自筆」の場合、家族が気づかなかったり、実際に偽造されたりするリスクも、ないとは言えません。せっかく書くなら、やはり確実な公正証書遺言をお勧めします。
 
遺言に対する「誤解」には、こんなのもありました。妻に遺産を相続させる旨をしたためた旦那さん。その先の、2次相続(奥さんが亡くなった時の、子どもに対する相続)の仕方にまで、「言及」していました。 いくら自分が築いた財産だからといって、そこまで口を挟むことは許されていません。でも、「古い世代」の方には、けっこうそれができるのだと思い込んでいる方がいらっしゃるんですよ。ちなみに、この場合、無効な遺言が含まれるからといって、遺言内容のすべてが効力を失うわけではありませんので、付け加えておきます。

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