個人投資家の必要性
2009.03.31

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船内キャビン。

おはようございます、当日は誰も座っていませんでしたが。
船ではいつも風のある所に陣取ってしまいます。


昨日からの続き、金融投資に対する姿勢について。
身も蓋もないのですが、そもそも金融投資に時間を割いている暇が
あったら商売に精を出せ、という話も十分成立するわけです。
時間や心についても選択と集中は大切です。
余計なことに気を割いている時間があるなら、本業に力をいれるべきでしょう。

以上、「金融投資は個人はする必要はない!」でした。
皆さん、仕事をお金に結び付ける努力をしましょう!


…で、これで終わっても良いのですが、それは流石にどうかなぁ…とも
思いますので、少しフォローをしてみます。
実際にはこういった結論をお持ちの方が多くいらっしゃいます。
くしくも総理大臣が「田舎では株屋は信用できない」という話をしていましたが、
前向きか後ろ向きかは問わず、金融市場に気を入れている人に対する批判的な
目は今もって確実に存在しています。


ただ、では金融市場を完璧に無視して本業のみに注力することでどうにか
なるのか、と問われると「どうにもなっていない」人の方が多いわけです。
今もって金融経済の方が実体経済を上回る規模を持っているわけですから、
そちらの都合を完璧に無視することは不可能です。
もう少し積極的に捉えるならば「金融市場をしっかりとチェックする」ことにより
「自分のやるべきことが少し見えるかもしれない」と言えるでしょう。

ただ、あくまで金融投資のみで生計を立てるのでないのならば、本業の方での
力量を上げるための努力の方が大切なわけです。
従って、時間配分を考えると「金融市場に相対している時間」は少なくならざるを
得ないのではないでしょうか。
で、時間が少ない以上それほど深い吟味が出来るのか、と問われるとそれもまた
難しいわけです。
上記の理由から、個人投資については「分散投資」が勧められるのではないか、と。

実際には「きちんとした分散投資」と呼ばれるものをやろうとすると、かなりの時間を
割く必要性があります。
買って放ったらかしでは分散投資とはいえないのです。
そう考えると「やっぱり金融投資は必要ないのでは?」という結論になってしまうのですが。


正直、この問題について私は確たる答えを持たずにいます。
ただ、金融市場が活力を取り戻すことが実体経済をある程度支える事につながるのだと
すれば、やはり個人プレイヤが増える必要はあるのでしょう。
何だか物凄く後ろ向きな理由なのですが…。

主体性ある投資家というものは、実は非常に難しい存在なのかもしれません。

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投資のセオリーとしての分散投資について
2009.03.30

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船上からの眺め。

おはようございます、水上バスからの眺めです。
当日は天気もよく、とても気持ち良かったです。


昨日からの続き、一つ視点を変えてみて、個人の投資活動について考えてみます。
お聴きになられたことがある方も多いかもしれませんが、個人の金融資産に関する
投資として「分散投資」というものがあります。

よく「籠に卵をいれておく」という例え話が使われます。
・一つの籠にすべての卵をいれておくと、落とした時に全て割れてしまう
これを避けるために、卵は複数の籠に分けて入れておいた方が良い、という話です。


これに対し、一部の投資専門家からは反対の声が上がっています。
・金融資産への投資についても、大切なのは選択と集中である
投資対象を厳選し、機を見て集中して投資すべきだ、というスタンスです。


これらの話は「選択と集中」と「多角化・分散化」の比較をしていることになります。
あくまで個人的な見解ですが、少しフォローをしてみます。
本来の投資活動としてあるべきなのは「選択と集中型」なのではないかと思います。
自分の資財を投じるわけですから、どんなものに投資しても良いわけではありません。
慎重に選定した上で、時期をみてズバッと投資するのが「投資家」としてあるべき
姿であるのではないかと思います。


しかし、個人投資家ということに関していえば、別に「投資のみで生計を立てている」
わけでもありません。
金融資産への投資が「余剰資産の運用」程度の認識であるのならば、分散化した
投資も意味があるのかもしれません。
ただし、分散化による投資は決して大きな利得は産み出しません。
「預金金利と比べてましな程度」の利得が得られれば御の字と言えるかもしれません。

問題は、その程度の利得を得るために取らなくてはならないリスクが決して小さくは
ないという厳然たる事実なのですが…。
加えて、今回の金融恐慌において分散投資は効果がありませんでした。

この項続く。

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日立のトップ交代劇
2009.03.29

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豊洲、水辺にて。

おはようございます、先日豊洲に行った時の写真です。
ここから水上バスに乗りました。


昨日からの続き、多角化に関する方針転換について一つの事例がありました。
こちらのニュースを参照に。
日立製作所トップの電撃的な交代については、方々の媒体で紹介されています。


日立は元々同業他社に比べて「多角化された経営」をしていると言われていました。
昨年夏頃から明らかになってきた不況の始まり辺りにおいては、日立自身がこの事を
敢えて喧伝文句に使っていたくらいです。
「選択と集中と言われていたが、当社は多角化していたが故に今回のような
 不況期においても比較的傷は浅くて済んでいる!」というニュアンスです。

それからわずか数ヶ月、今回の辞任劇において日立は
「重電の日立と言われるようになりたい」という明確な方針転換を表明しました。
これは「多角化路線との決別」であり「選択と集中」に乗り出した証拠です。
コングロマリット的な商売が通用するのは「ナンバーワン企業」のみです。
残念ながら日立はどの業界においてもナンバーワンを獲得しているとは言い難い
状況にあると考えられます。


日立のような大きい企業ですら、多角化路線は消化しきれませんでした。
いわずもがな、規模の小さな企業が多角化路線を処理できる可能性は非常に
小さいと言えるでしょう。

で、ここで少し方面を変えて、個人の投資活動に関する考察でも。
この項続く。

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ボンドカーはなぜ製品化されないのか
2009.03.28

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パルテノン多摩。

おはようございます、多摩センターにあるホールです。
ここも何かとお世話になることが多いです。


表題の件について少し考えてみます。
007の主役、ジェームズボンドが乗る車は色々な装備がされています。
水にもぐったりミサイルを発射したり、そりゃぁもう縦横無尽の活躍です。
正に「万能兵器」の名に相応しいマシンといえるでしょう。

では、実際にあのような車があったとして、使いものになるのでしょうか?
答えは明確に「ノー」だったりします。
何故なら、ボンドカーは
・普通に地上を走るなら、余分な装備がついていない普通の車に負ける
・水中にもぐるなら潜水艦には勝てない
・相手を攻撃するのなら戦車の方が強い
・どんな要素をもってしても「専門的なマシン」には決して勝てない
正に「帯に短しタスキに長し」のマシンだったりします。


これは専門性に関する一つの教訓です。
だからこそ、古今東西の軍隊では
・シンプルな兵器(陸上を走る・空を飛ぶ・水に潜る等)を
・大量に用意する
という鉄則を守って配備がされているのです。
この方が結果的に防衛力が高くなるからです。

以前、私は「スペシャリストではダメ」という話を書いています。
そこでも補足はしたのですが、大切なのは
・自分の武器をもつこと
に加えて
・その武器を使う場所を考えること
です。
前者が「スペシャリスト」としての心構えです。
そして後者は「マネジメント」としての心構えです。
私は後者の発想法が今後はより重要性を増すであろうと考えていますが、
そもそも専門性がない場合には前者の考えを重視する必要があります。

今風に言えば「選択と集中」と「多角化」に関する考察ですが、一つ事例でも。
この項続く。

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保守主義
2009.03.27

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夜の多摩センター。

おはようございます、先日友人の演奏会があり出かけてきました。
見事にまっすぐな道路、会場まで一本道です。


昨日からの続き、伝統工芸化していく製造業について。
この手の問題について、新聞や雑誌などにおいても「今までのやり方は
通用しない」といった指摘は繰り返しされています。
しかし「こうすれば良いのではないか」という指摘はあまりなされていません。

ここで「保守主義」という言葉について少し考えてみようかと思います。
保守主義というと政治的なお話が真っ先に思い浮かびますが、もう少し
柔軟に使うことができる言葉だったりします。
平たくいってしまうと「今あるものを使ってどのようにしていくのか」という
ことを考えるのが保守主義です。
(革新主義は「今あるものに代わるものを用意する」方法論です)


私は今こそ日本の製造業は「保守主義的」な考え方を真剣に考える
必要があるのではないかと思っています。
現有資産は「日本の製造技術の高さ」です。
そして圧倒的に不足しているのは「マーケティング力」です。
ついでに言えば「各企業の専門性」ももう少し補完したいところです。

そうなれば、やるべきことは何となく決まってくるのではないかと。

・現行技術を売るための方法を学ぶ(先日ご紹介したPRや広告の話など)
・事業に関して「これが強い!」と言えるような特徴を作る
・「次世代」と呼べるような技術の開発(現行技術を陳腐化させるレベル)

これらはすべて現在の持ち物からの延長線上にあります。
とかく現在のような不況期には「ないものねだり」をする主張が多くみられます。
しかし、そんな「ないもの」に頼っても何ともならないわけで。
上で最後に挙げた「次世代技術」に関しては、実際に産業化に成功できるような
ものは非常に限られているでしょう。
多くの中小零細企業にとって学ぶべきは「現行技術をどのように産業化するか」
ということではないかと思います。

日本の製造業を維持するつもりなら、個々の企業の自助努力を促すと同時に
国としてもPR活動を繰り返す必要があります。
ここら辺は政治のお話なので省略。
ただ、単に「作って売る」だけでは日本の製造業は中国に駆逐されつくされて
終わると私は真剣に考えています。

何にせよ、誰ひとりとしてさぼっていられる時代ではないということなのでしょう。
「一生懸命やっている」という言葉だけでは何の意味もありません。
目で見える結果を出すという「プロとして当り前の仕事」が全ての企業人に
求められているのではないでしょうか。

いつもお読み頂きありがとうございます。


このままだと伝統工芸になる
2009.03.26

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一週間ほど前の桜。

おはようございます、今年も開花は早かったですね。
ウチの近所のしだれ桜が綺麗に開いてきました。


昨日からの続き、製造業が迎えている局面について。
しつこいくらいにこのBlogでも取り上げていますが、今の日本で本当に
高めるべきなのは「技術力」ではなく「技術利用力・産業産出力」とでも
呼ぶべき能力なのだと思います。
更には狭い意味での「営業力(売る力)」なども不足しているでしょう。
これらを総称した力が所謂「マーケティング力」、つまり仕組みを作る
力です。

相対的に見て「モノを作る現場」にいる人の方が経済的に恵まれて
いないということが先日の寿命に関する記事から分かります。
目指すべき方向は二つ。

・製造業からサービス業などへの産業の転換を促す
・より付加価値の高い製造業へと転換する


ここでよくある勘違いが後者に関するものです。
「技術が高まれば付加価値が高くなるに違いない」というものです。
それが勘違いではないか、というのが私の考えです。
無論、本当の意味での「革新的な技術」で価値が高まることはありますが…。

仕事で東京都大田区に行くことがあります。
かの工場町では、現在多くの零細企業が倒産の危機にあるのだとか。
「機械には出来ない細かい切削が出来る技術をもっている企業なのに」といった
類の話が私の所まで漏れ伝わってきます。
確かに技術のレベルはとんでもないものなのでしょう。
失われたら二度と戻ってこないような貴重なものも多くあるのかもしれません。

が、結局の所「その技術を使えばこういうことができます」という売り込みを合わせて
出来なければ、技術だけで周囲が拾ってくれるほど甘くないわけで。
技術力の高さのみで商品になるのは「伝統工芸・芸能」と呼ばれる類のもの程度です。
(いや、あれだって実は立派なマーケティングのたまものなのですが)
私は、このままだと日本の多くの企業が「伝統工芸の職人」のような扱いに
なってしまうのではないかと思っています。
そして、伝統工芸である以上その市場は縮小せざるを得ないのではないかと。

この項続く。

いつもお読み頂きありがとうございます。


製造業「から」の進展
2009.03.25

tenpuraabura.jpg

天ぷら油消火。

おはようございます、濡れた布一枚を使ってどのように火を消すか。
これまた案外難しい、一度はこの手のイベントに行ってみることをお勧めします。


昨日からの続き、まず最初に「誤ったイメージ」を取り去ります。
「金持ち≒経営者≒搾取者」みたいな連想式を脊髄反射のように持つ人がいます。
が、別に川崎市の西側に住んでいる人がみんな経営者なわけはありません。
麻生区や宮前区に住んでいる人の多くはサラリーマン家庭であり、
その点は川崎区の人と違いはありません。
最大の違いは従事している産業や職種の違いにあります。

つい先日まで「品質にこだわっても物が売れるとは限らない」という話を書きました。
実はこの経済力と寿命に関する問題についても、この話が当て嵌まるかと。
つまり「商品力・ものづくり力」に頼っている人ほど寿命が短いのでは。

極論では、というご指摘はごもっともです。
書いている本人もそう思わないでもありません。
しかし、これがごく少数のサンプルのみを対象にしているのならばまだしも、
川崎市という人口140万人弱の巨大サンプルを通じてのお話です。
市の東と西で明確に違うのが「物を作る人が多いか少ないか」である以上、
無視はできない要因なのではないかと思います。


「企業競争力は商品力で決まる」
「ものづくりの技術こそが商品の価値を決める」
何度でも書きます、この思い込みこそが悪循環の原因であると。

「革新的な技術」を生み出すことは当然に重要であり、誰もそれをしなく
なれば経済の発展もなければ新しい技術も生まれません。
しかし「それが全て」では決してないということです。

この項続く。

いつもお読み頂きありがとうございます。


経済力と寿命
2009.03.24

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訓練用消化器。

おはようございます、中には水が詰まっています。
使い方を知っておかないと、案外と使えないものだということがわかりました。


最近とある媒体で読んだお話。
私が住んでいる川崎市は、基本的に東西方向に伸びている横長の市です。
そして、市の東側が昔からの工業地帯(おそらく平均的な川崎というイメージに
最も適合した地域)が多く、西側には比較的新しめの住宅地が多くなっています。
そして、はっきりと断言をするならば東側に比べて西側の新興住宅地に住んで
いる人の方が全体的に高所得者となっています。
その差は同じ川崎といってもかなり大きなものです。

で、その媒体に掲載されていた記事は「川崎市内での寿命調査」でした。
おそらく皆さんも予想が出来るかもしれませんが、東の端である川崎区は
全国の政令指定都市の中でも下から数えて何番目、西の端である麻生区は
上から数えて二番目だそうです。


この記事から「寿命格差だ!!」と騒ぎ立てることは誰にでも簡単にできます。
しかし、真に問題なのは「経済力の違いを生んでいる原因」を考え、それに
対する策を考えることでしょう。

市の西側の住宅地では、どちらかというとそこから都心にある企業に出勤して
いるような人が多いようです。
麻生区が小田急線、宮前区は東急田園都市線を使って都心に簡単にアクセスが
できます。
実は川崎市は過去数年においても人口が増えている都市なのですが、
「東京都川崎市」と呼ばれるほどに東京への出勤者が川崎市に住居を
構えることが多くなっているみたいです。


つまり経済力の差は、そのままブルーカラーとホワイトカラーの差であると
考えてもほぼ間違いがないのかもしれません。
(物凄い極論かつ暴論ではあるのですが)
さて、これをどう考えたものか。
この項続く。

いつもお読み頂きありがとうございます。


プロフェッショナルとしての合唱
2009.03.23

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煙ハウス。

おはようございます、テントの中は煙が充満。
確かに前が見えませんね、コレ。


長文続きだったので小ネタで休息。
昨年の夏から合唱を通じた友人が一人アメリカのシリコンバレーに転勤となりました。
アメリカでは合唱をやろうとしても中々出来ないとのこと。
近所に団があまりなく、あっても「入門審査あり」のかなりハイレベルなものなのだとか。
意外と敷居が高いんですな。

いつもお読み頂きありがとうございます。


PRと広告
2009.03.22

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地震体験車。

おはようございます、先月地元の小学校であった防災訓練にて。
皆大好き地震体験車、しかもこの日が初お披露目。


昨日からの続き、雰囲気作りのお話。
私は日本が「産業立国」と呼ばれる形態から早く脱却すべきだと思っています。
しかし、どうしても日本を「製造業の国」にしたいのであれば、まずは
「メイドインジャパンはやっぱり凄いんだぜ!」という雰囲気を国を
挙げて作り上げる必要があるのではないかと。
(…ま、私はその方向はやるだけ無駄だとは思っているのですが…)

それは中小零細企業でも同じです。
「ウチの企業の商品は良いものだ!」と声を大にして言う前に、まずは相手が
「その商品を買ってみたいかも」と思ってもらえるような雰囲気をどうにかして
作り上げる必要があります。
新聞記事、テレビの取材、ネット(特にBlogやSNS辺り)が順当でしょうか?
ともかく「話題に上るようなこと」をやる必要があります。
良い意味で話題にのぼれば、多分商品はある程度は売れるかと。


で、売れるきっかけ作りや売れた後の売上維持のために、ここで初めて
「広告」と呼ばれるものの登場です。
「今話題のサボテンですが、当社のサボテンはこんな特徴が!」とくるわけです。
そもそもサボテンが欲しくない人にどれだけサボテンのことを語っても
聴いてくれる人はいません。
しかし、皆がサボテンに興味を持っている状態なら、当企業のサボテンにも
かなりの確率で興味を持ってもらえるでしょう。


この辺りの話についてよくまとまっている本をこっちのBlogでご紹介しています。
宜しければ読んでみて下さい。

いつもお読み頂きありがとうございます。


雰囲気作りの大切さ
2009.03.21

syabusyabu.jpg

しゃぶしゃぶ。

おはようございます、昨日の酒と鍋、いや~美味かった。
実家の料理にたかったので財布も傷まずあぁ素晴らしきダメ人間。


昨日からの続き、PRの利用について。
一つの例として司法書士業界の取り組みでも。
皆様もご存じのこととは思いますが、昨今では「多重債務」に関する話が
そこら中に転がっています。
これ、きっかけはとある裁判事例だったわけですが、それがこうやって
一つの産業になるまでには司法業界のPRが相当ありました。

「これこれこういうケースでは借金が返ってくるかもしれませんよ!」という
ことを弁護士会から個人会員まで、あらゆるメディアで広めまくりました。
その結果がこのような「多重債務関係産業」の成立なわけです。


が、やはり一番見事だったのは司法書士業界ではないでしょうか。
認定司法書士という一つの資格を新たに設置し、多重債務の問題に
絡むための条件を作りました。
そしてこの問題が広がりをみせるにつれ、認定司法書士の資格を
ガンガンPRし、確実にこの産業に食い込んできました。
もともと司法書士業界は「身近な法律相談家」という立場をPRして
いたのですが、今回の一連の動きは司法書士業界にとって法律家と
しての立場を補強するに当たって良いきっかけになったのでは。


ここで一つ、この話では「個別の弁護士や司法書士の資質」は
一切問わないことにしています。
中には悪質な案件があるのもよく知っていますが、それと「PRによる
産業起こし」とは別の問題です。
繰り返しになりますが、現在最も問題にしたいのは「商品・サービスの質」
ではなく「売れる雰囲気」をどう作るかについてですので。

こう書くと、何だか非常に詐欺師っぽい話になってきます。
そう、一歩間違えばPRなんてのは詐欺師そのものだと思います。
「いまサボテンがブーム!」と煽りながら、サボテンの仕入れを一所懸命に
しているようなケースは見ようによっては詐欺でしょう。
ただ、私はそれは悪いことだとは思いません。
そういった動きがなければ、新しい産業は育たないからです。

この項続く。

いつもお読み頂きありがとうございます。


PR
2009.03.20

kanbaikinmuku.jpg

美味い酒。

おはようございます、美味いんですよ、コレ。
実家にあったのを少し拝借してきました。(越乃寒梅 金無垢 というやつです)


昨日からの続き、広告では売上が増えないということについて。
もちろん実際には一定の効果があるかもしれませんが、思っていたほど
効果が出ないということはよくあることです。

で、ここにきてとある業界に関する書籍や情報が増えてきました。
それが「PR業界」です。
「PR業界って何?」という方の方が多いかもしれません。

物凄く平たく簡単にまとめてしまうと「売れる雰囲気を作る人々」です。
そもそもPRとはパブリックリレーションズといいまして、もう少し具体的に
いいますと「世間から信用を得るための行動」とでも言いましょうか。
大手企業が「エコ、頑張ってます!」とやったり、地方自治体が「魅力ある都市に」
とやっているのもまぁPRです。


PRのための手法は色々とあります。
新聞に掲載してもらったり、テレビで取材を受けたり、ネットで話題になるような
活動に取り組んでみたり等々。
細かい手法についてはここでは省略しますが、どの活動も最終的な目標は
「信頼を勝ち取ること」だと思っておけば間違いないです。

で、昨日広告について私は「信用できない」と決めつけました。
そう、信用してもらうには「広告」ではなく「PR」が必要なのではないか?
ということがここ数年のマーケティングの本では取り上げられ始めています。
ちなみに、どれほど適切かはわかりませんが、PRは「広報」と訳されているようです。


「広報」と「広告」の違いを理解する必要があります。
実は広報を上手に使えると「新しい市場」を生み出すことも可能です。
この項続く。

いつもお読み頂きありがとうございます。


広告は信用ならない
2009.03.19

kodomosushi.jpg

同じく子供寿司。

おはようございます、いや、これホントによく出来ています。
目で楽しむ、というのも料理の大切な機能の一つです。


昨日からの続き、広告という手段について。
私はテレビをほぼ見ないということは何度か書いているかもしれません。
テレビ番組に興味がなくなったから、というのもあるのですが、もう一つは
CMがうざったい、というのがありました。
特にネットが発展してからこっち、企業の言い分を一方的に聞かされる
CMはどうも見ているとイライラしてくるようになってきまして。
ついでに最近ではテレビ番組の中にまでCMが入り込んできている例が
多く、最近では某子供向けアニメ番組でも「劇中CM」のようなものがあるらしく。


「わが社のこれはこんなにスゴイ」だとか「ウマイ」っていわれて「そうですか」と
素直に信じられるほど、私はもう素直ではないんですよね…。
ってこんな話を先日広告業界の人に話したら「実は私もそうですけど」って
言っていましたが。
こういう感覚は皆さんお持ちではないでしょうか?

広告が購買に与える影響は大してないのでは?という疑問については
数年前に一つの大きなテストケースがありました。
松下電器(当時)のストーブ事故の件です。
あの時、松下は一切のテレビCMを取りやめ、ひたすら「お詫びと確認願」の
放送を流しました。
危機管理の観点からも良い対応とされた話ですが、実は広告業からすると
一つの懸念があったそうです。
それは「これで売上が良かったら、CMはいらないってことでは?」ということ。
結果、松下の売上は落ちるどころか上がっていたそうで。


無論、一つの例で全てがそうと言い切れるわけではありませんが、
広告に関して一つの極論を決めつけるとすれば
「広告で売上が増えることはない」
ということです。

この項続く。

いつもお読み頂きありがとうございます。


広告
2009.03.18

kodomosushi2.jpg

子供用の寿司。

おはようございます、昨日の寿司屋さんで子供用の握りを頼むとこんな感じに。
中々手が込んだ作りです。


昨日まで「商品力のみで勝負をするのは無理」という話を書いていました。
よく「何でうちの商品は良いものなのに売れないんだ!」って悩みを聞きますが、
それは顧客及び潜在顧客がその企業の商品を「良いものだと思っていない」から
売れないわけで。

では、どうすれば自社の商品を良いものだと思ってもらえるのでしょうか?
ここでよく使われる手段が「広告」です。
「当社の商品はコレコレこういう特徴がある素晴らしい商品ですよ!」と
一所懸命に予算をつぎ込むわけです。
大企業は言わずもがな、小企業でも結構な広告費を使っているケースも多数。


・・・が、思ったように効果が出ていないケースがこれまた大多数で。
それについて根底にある問題を少し掘り下げてみます。
現在、ありとあらゆる広告が「信用されなくなっている」のでは?という指摘です。

この項続く。

いつもお読み頂きありがとうございます。


範囲・流通・場所
2009.03.17

sushiset.jpg

お寿司セット。

おはようございます、二子玉川の高島屋の中にあるお寿司屋さんにて。
たまに行くのですが、お値段と味のバランスがとれています。(こちら


小物の戦い方についての考察、再度簡単に。
大物のように何にでも手を出せば破綻をするのは必定ということを触れました。
(中には大物ですら手を広げ過ぎて破綻する例もチラホラ)

小物としては、自分の手に負える範囲の商品・サービスを大物の手が伸びて
こないような場所で仕事にする必要があります。
これまた税理士を例にしてみると、こんな極端な例があるそうです。

「税金を一切計算しない、帳面もいじらない税理士」
これは所謂税理士業につきまとうリスク(税計算に伴う損害賠償など)を避け、
より安全に仕事をするために考え出した方法だとか。
簡単にいうと顧客の事務手数代行として動くのが仕事なのだそうです。
会社仕事には多くの事務整理がありますが、中でも定型書式に従って
処理をしなければならないものが多数存在します。(特に税務など)
そういった企業側が自ら用意しなければならないような資料の整理について、
「かゆい所に手が届く」サービスを目指している形態なのだとか。

もう少し皆さんに身近な例でいえば、屋台商売というのは割が良い事で有名です。
決まった家賃が発生するわけでもなく、売りたい所で手軽に売れるのが強みです。
ネットでの通販などと組み合わせれば、実店舗がなくても小売業は十分に
成立するようになりました。


上の例は「商品やサービスの質」で勝負するのではなく、売り方や事業範囲の
レベルでの工夫で勝負をしています。
有名なマーケティングの4Pという言葉があります。
・プロダクト(商品・サービス)
・プライス(価格)
・プロモーション(広告)
・プレイス(場所・流通)
プロダクトで勝負できるのは、豊富な研究開発施設を持つような大物です。
小物は(余程強力な武器がない限り)商品そのもので勝負をするのは無理です。
そして価格交渉力や広告力でも勝てないのは当然。
であれば、勝負すべきはプレイス、場所や範囲、流通で工夫をするべきかと。


「商品がどうでもよい」ということではありませんが、「商品さえ良ければよい」という
のもまた誤りです。
多くの中小零細企業がもっとも力をいれるべきなのは、多分ここなのだと思います。

いつもお読み頂きありがとうございます。


いつくは死ぬる手なり
2009.03.16

hikoukigumo.jpg

夕暮、電線、飛行機雲。

おはようございます、あ~なんかも~涙が出そうだな~。
学生さんが「キレー」なんていって自転車に二人乗りなんかしてて…うわ~。


昨日からの続き、成長性の呪縛について。
ここで表題の言葉をご紹介、宮本武蔵の書いた「五輪書」の
中からの一説です。

簡単に意味を言いますと
「安定すると死ぬ」ということです。
安定させるためには体を固くしなければなりません。
(でないとぐらつきますので)
そうやって安定した途端、体は動かなくなります。
そうしている間に周囲から攻撃されたり、研究されてしまいます。

この言葉はよく「イノベーションの大切さ」などを語る時に使われます。
「同じ事業を続けていると企業は死んでしまう」という意味合いで
この言葉を引き合いにすることが多いのです。
もちろん、私もこの意味での理解について非常に共感しています。


しかしながら、実はこの言葉は「思想の硬直性」の危険性を
説いているのだとすれば、昨日の成長性の呪縛についても
一つの方向性を示す言葉になるのではないかと。
昨日も「遊び」や「不安定さ」こそが重要なのでは、と書きました。
体・精神共に「不安定」であるが故、不測の事態にも対応できるのです。
「絶対に成長をしなければならない」という確固たる自信は、自らを
「いつかせてしまう可能性」があるのではないか、と。

であるならば、少しゆとりを持って一時の後退を許容することも
良いのではないかと。
そうやって自分をニュートラルな位置に置いておけば、前に進むべき
ときには自然と動く事が出来るのではないでしょうか。


そして、小物はその加速度が大物よりも速いのが特徴です。
自分のSTPを定めるために前に進みつつも姿勢はニュートラル、
不安定なままでいること、これこそが小物の生きる道ではないかと。

その不安定さをもって、小物なりの戦い方をもう少しだけ考えてみます。
この項続く。

いつもお読み頂きありがとうございます。


成長を維持する必要性があるのか
2009.03.15

tettou.jpg

貨物路線近くの鉄塔を見上げて。

おはようございます、夕暮ってのはなんであぁも切ないのか。
春夏秋冬問わず、空をみてそんなことを感じる辺り齢をとったということか…。


昨日からの続き、ある呪縛について。
それは「成長を維持しないと死んでしまう!」という呪縛です。
昨日の記事中でも触れられていますが、マクドナルドが対前年比で
上回った月とモスのそれとを比較して「だからモスも低価格帯に手を
出す必要性があるんだ」と書かれています。
また、昨今話題の車業界でも「対前年比でマイナスがコレコレ」と
繰り返し書かれています。

が、これって何かおかしくないですか?
商売なんて調子が良い時もあれば悪い時だってあります。
どうして対前年で常に上回っていなければならないのでしょうか?
極論すれば社員に給料を払えて、自分も報酬をもらえて、社会には
それなりの貢献が出来ていれば、その状況から無理矢理に成長を
図る必要性があるのでしょうか?

無論、同じことをずっと続けていられるほど事業は甘くない、ということは
ここでも繰り返し書いてきました。
その点について宗旨替えをする必要性は全く感じていません。
しかし「無理やりな成長」と「意義のある革新」はまったく違うものでは
ないでしょうか。
私はこの二つを混同することが結果的に企業の立場を大きく弱めて
いるのではないか、という気がします。
(それは上場クラスの企業でこそよく見られる傾向かと)


株式市場や株主の動きによって動き方を左右される上場企業としては
成長性を気にすることは仕方がないことなのかもしれません。
しかし、この成長性の呪縛は企業の寿命を縮めることにもなりかねない
危険なものです。
ましてや小物である中小零細企業についてはいわずもがな。
経営にはある程度の「遊び」が必要です。
世情の波に揺られて浮いたり沈んだり、それに左右されるのではなく
乗りこなせるような良い意味での「不安定さ」こそが小物の戦い方かと。

この項続く。

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安いモスに行く理由はあるのか?
2009.03.14

ume.jpg

梅。

おはようございます、ご近所にて。
これは少し前の状況、今はもう満開に近いです。


昨日からの続き、小物が大手のやっていることをすべてやる必要性は
あるのか?という話でした。
ここでこんなネタでも。(参照記事
モスバーガーが低価格商品に手を出す、というお話です。

私はこの方向性は間違っていると判断しています。
以下、簡単に理由を列挙します。

・安いといってもマクドナルドにはもっと安いハンバーガーがある。
本当に安さを求めている人が、中途半端に安いハンバーガーを食べに
わざわざモスにくるでしょうか?
値段が判断基準なら、躊躇なくマクドナルドに行くと私は思います。

・今まで来てくれていた人も安い商品を買うようになる。
300円のハンバーガーを買ってくれていた人までもが100円台の
ハンバーガーを買うようになってしまうリスクがあります。
わざわざ顧客単価を下げる方向に選択肢を広げる必要性は
余りないのではないでしょうか。

・ブランドが傷つく。
実は私はモスバーガーのファンなのですが、今回の100円台の
ハンバーガー販売はとてもがっかりしています。
「高くても美味しいものを提供してくれるのがモスの良いところ」と
私は感じていましたが、企業側がその良い点を打ち消すような
施策に出たことは、正直にいえばやや不快だったりします。

記事中では「中高生」の指示を取り付けるためには必要な措置、と
ありますが、そもそもモスが中高生を集める必要性があるとは私には
あまり思えなかったりします。
学生に限らず、価格重視の人はマクドナルド、味や満足感などを
重視したい人はモスバーガー、こうやって住み分ければ良いのでは。


が、ここにも一つの呪縛があります。
明日はこの点について。
この項続く。

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焦点を絞る
2009.03.13

tankan.jpg

タンカン。

おはようございます、ミカンとオレンジだかを掛け合わせたとか何とか。
これが中々に上手い、お勧めです。(ってもう時期が終ってるかもしれませんが)


昨日からの続き、小物の戦い方を税理士を題材に考えてみます。
特に地方圏などでは、大きな駅の近くに大事務所が一軒あり、それ以外には
小さな事務所がいくつかあるようなケースが多々あるらしいです。
この場合、小さい事務所は一体何を売りにして仕事をとっていけば良いのでしょうか?

人柄や小回りで勝負、というのも一つの手でしょう。
実際、大きな事務所の顧問先がもつよくある不満は
「担当者がよく変わる」だとか「税理士にあまり会えない」ということです。
小さな事務所ならば必然的に税理士が関与する割合も大きくならざるを
得ないわけですから、大手事務所とは違った特色を出すことができます。

より大きく大手事務所との差異化を図ることも可能です。
例えば「相続税や贈与税のみに特化した税理士」や「資産税には全く
手を出さない税理士」というのはどうでしょうか?

前者はそれのみに焦点を絞ることにより、複雑な事例が多い相続絡みの
案件を積極的に狙っていこうという方法です。
実際には資産家はすでにどこかの税理士事務所と付き合いがある可能性が
高いのでそうそう上手くいくとは思いませんが、例えば「不動産運用」に
関する専門的な知識などを身につければ、それらを併用することでより
信頼感のある税理士になることも可能かもしれません。

後者はその逆で、複雑な資産税には一切手を出さず、例えば法人税や
一般的な所得税といった案件に集中するという考え方です。
資産税関係は非常に複雑ですので、勉強しようとすると多大なる時間や
労力を要することになります。
もしそれらを完璧に切り捨てれば、事業系の仕事にもっと精を出すことが
できるようになるかもしれません。


当然ながら、大手の事務所はこのどの仕事も取っていくでしょう。
何故なら「大きければ色々と出来る」からです。
対する小物が大手と同じような勝負をして良いのか?という観点から
上記の話は読んで頂けると分かりやすいかと。
「大手がやっていることは小物もすべてやれなければならない」という
呪縛は非常に強いのですが、その結果何もかも中途半端な状態に
なってしまうことの方がもっと怖かったりします。

最近聴いた話の中でそんな顕著な例があったので一つ。
この項続く。

いつもお読み頂きありがとうございます。


土俵
2009.03.12

shukugawara.jpg

宿河原駅。

おはようございます、JR南武線の宿河原駅、乗降者数少なし。
私の出身高校があるのはこの近くです。


昨日からの続き、小物の戦い方について。
商品の品質で大手や準大手、又は多くの競争相手に勝つことは非常に
難しいということは何度か説明してきました。

特に大手とそれをやるのは無謀です。
まず価格競争力が大きく違う場合があります。
同じ品質の商品をより安く売ることも出来ます。
また、その逆として同じ品質の商品をより高い信頼感をバックボーンにして
より高い値段で売ることも可能です。


となればどう戦うのか。
少し話を曲げて表現するなら「いかに戦わないで済むように戦うか」という
ことになってくるかと思います。
要は同じ土俵に乗ってはいけないということです。

マーケティングの世界ではSTPという用語がよく使われます。
Sはセグメント、つまり進出する分野です。
Tはターゲット、対象となる顧客です。
Pはポジショニング、自分の立ち位置をどこにするのかという問題です。
この三つをしっかりと練ることが事業では大切だよ、とは多くのマーケティングの
本で説かれています。

とこれだけ話してもイマイチ雰囲気も掴めないかと思いますので、
明日当たりに税理士でも題材にして少し例を考えてみます。
この項続く。

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商品力
2009.03.11

reisuiugaiki.jpg

税務署にある冷水器。

おはようございます、私が知る限りでは全ての税務署に設置してあります。
で、行くたびに私は使っています、人が多いですからね。


先日発売の週刊ダイヤモンドにて、とある企業の社長が次のようなコメントを
言っていました。

「企業の競争力は言うまでもなく商品力が大きな割合を占めているわけですが…」

で、結びとしては
「当社の新商品はこんなにスゴイ!だから何とかなるはずだ!」
という展開でした。


その一方、先日読んだブランド構築に関する本(私のもう一つのBlogでも紹介
しています)では次のように述べられています。

「商品の質は市場競争力には何の影響もない」

極論ですが、ある一面からみれば確実に真実を捉えています。
これは有名な例なのですが、コカコーラとペプシコーラを名前を隠して
比較した場合、ペプシの方が味が良いと答える人が多かったという
実験結果があります。(あくまでアメリカでの実験ですが)
ところが、今度は名前を出して比較をしてもらったところ、コカコーラの
方が美味しいという意見が逆転をしたそうです。


コカコーラとペプシのように「大物対大物」の世界ですら、より大きい方が
圧倒的に有利な地位を占めます。
戦いにおける基本的な原則は
「大きい方が勝つに決まっている」という冷徹なる事実です。
その他大多数の「小物」は大物と決して正面切って戦ってはいけません。
大物の鼻息で吹き飛ばされるのがオチです。

要は「小物は小物らしい戦い方」をしなければならないわけで。
その辺り、少しだけ考えてみます。
この項続く。

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第一次産業
2009.03.10

wakame.jpg

春わかめ。

おはようございます、冬から春の間に毎年一度頂きます。
刺身で食べると激ウマです。


昨日からの続き、私が唯一価値が高まると思っている専門技術について。
やはり農業や漁業の世界ではないかと。
安全性の問題やこの経済不況を原因に、農業に従事しようとする人が
急増しているらしい、という話は最近ボチボチ出てきています。

生産性や品質の向上など、特に農業の世界ではその成果が一目で分かります。
日本では少子高齢化の進行などで食料需要が高まるとは思えませんが、
自給率の低さを改善することや、人口増加傾向にある海外の状況を考えれば
まだまだ改善すべき点があるのではないかと。


農業の最大の問題は産業として成立していないことです。
自給換算では300円程度にしかならないという現状では、中々農業で生計を
立てていくことは難しいと言わざるを得ません。
農業の世界でもマーケティング的な発想を取り込んでいくことが必須でしょう。
(結局は生産技術のみに拘りすぎてもダメということかと)
実際、このような指摘も最近では増えてきています。
また副業で農家をやるようなケースも出てきているようです。


規制強化ではなく産業の強化こそが経済発展や雇用の促進につながるかと。

いつもお読み頂きありがとうございます。


付加価値業
2009.03.09

fukumame.jpg

いまさらですが。

おはようございます、豆まきやって食べたのですが…。
年とってくると、年の数だけ食べるのが辛いですね…。


昨日からの続き、規制や雇用に絡む問題について。
このBlogでも何度か書いている気がしますが、やはり「ものづくり」というものに
拘泥している現状が最大の問題ではないかと。

誰もが知っている大手電機メーカーに勤務する同級生とのちょっとした会話を
簡単にご紹介します。
最近の電機メーカーは、実は製造・販売部門よりもサービス部門で利益を
出していたりします。
で、その同級生は製造部門に勤めているのですが、やはり会社内でも
他の部署から嫌みの一つも言われることがあるみたいです。
平たく言いますと、現在製造・販売部門で黒字を出すことが出来ている
企業はほとんどありません。

で、そんな話をしていて我々二人が出した結論。
「日本で製造するという基本的な所を考え直さないといけないのではないのか」
「国内で行うのは設計等の高度な作業にしぼるべきでは」
「自前で工場を持つ必要性すらもう薄い」

国内外問わずですが「自社で工場を持たずに」経営をする企業が増えています。
簡単にいうと、設計は独自に、製造工場は他企業と持ち合いで、ということです。


おそらく10年後には現在では高度事業と言われている設計すら他企業との
持ち合いという形態が進んでいることでしょう。
技術は常に陳腐化する故、独自に研究開発を続ける企業がそれ程多く残れるとは
思えないのです。
ましてや「製造の現場」については、国内で大きな雇用を生み出すような力は
もはや望みようもないのではないかと。

これも繰り返し書いていますが、今後はありとあらゆる専門技術が陳腐化します。
免許があろうが、技術レベルが高かろうが、そんなことは関係ない時代がすぐ
そこまで来ているのではないかと。
必要なのは「技術レベルを高めること」もそうですが「技術を如何に産業化するのか」
という観点なのではないでしょうか。

とはいいつつ、ある一つの専門技術については、これからその評価が高まって
くるのではないかと思います。
明日にでも少しだけ。
この項続く。

いつもお読み頂きありがとうございます。


雇用という規制
2009.03.08

eringi.jpg

エリンギフライ。

おはようございます、美味いのですよこれが。
油で揚がったあとの香りがいやなんとも。


昨日からの続き、規制について。
昨日も触れた雇用についてもう少し。

私の顧問先は、そのほぼ全てが所謂「零細」と呼ばれる存在です。
これは顧問先に対してもはっきりと伝えることがあります。
(実は「小」ですら資本金1億円、従業員1000人といった規模です)
日本の産業の多くはそういった零細企業がその大半を占めていることは
多くの方がご存知かと思います。
その中にはこれまた多くの「一人のみ、又は家族のみ」という事業体が
存在します。

なぜ人を雇わないのか?
一つの理由に限定できるわけではありませんが、よくあるのは次の
ようなものです。

・一人でやっている方がリスクが少ない

人を一度雇ってしまうと、簡単には辞めさせることができません。
そして仕事というものは「やる」よりも「つくる」「とってくる」方が数段
難しいものです。(少なくとも私はそう思います)
人を雇った以上、仕事をつくる・とってくる必要があります。
そしてその負担は雇用主にとって本当に重いものなのです。

だからこそ多くの事業主が「一人でやっている方が気楽でよい」という
考えから、人を雇用することを躊躇っているのです。
「もう一人くらいいればもう少し仕事ができそうなんですけどね」なんて
話はしょっちゅう出てはくるのですが。


規模は違えども、派遣切りだと言われている大規模企業群だって
考えることは同じようなものです。
被雇用者を手厚く、つまりくびを切られにくくする政策の結果、
新しい雇用の産出を委縮させる可能性は結構高いと思います。
「とやかく言われるなら雇わない方がましだ」と。

現在の論議は努力する方向が少々間違っているような気がします。
強化すべきは「規制」ではなく「産業」ではないかと。
この項続く。

いつもお読み頂きありがとうございます。


規制
2009.03.07

airport.jpg

これで最後、空港です。

おはようございます、キッザニアで撮りためた写真も尽きました。
パイロットかCAになってお仕事できるみたいです。


読んでいて私がとても共感できた記事があったのでご紹介。
記事はこちらです。

記事中では規制や既得権者に関して強い調子で批判しています。
昨今では派遣やタクシーなどの現状を材料に「必要な規制を復活しろ」という
論調が非常に強いのですが、私はこれとほぼ正反対の意見を持っています。

規制とは仕組みです。
そして古今東西、仕組みをもっている人間がもっていない人間から搾取をする
というのはこれまたよく知られたことです。
あらゆるギャンブルしかり、各種の免許業しかり、絶対に同元は負けないように
出来ているのです。
仕組みの側に入れた人間は、そうでない人間から多くのものを奪います。

雇用だって一つの仕組みだと思います。
「正社員」に入り込めた人間とそうでない人間の差異はここ最近でよく
理解されるようになりました。
ここで「雇用を守れ!」と脊髄反射のように反応して、規制を強めれば
結局は現在入り込めていない人たちは社会に捨て置かれるのみかと。


って私のような免許業者がいうのもどうかとは思うのですが、上記のことは
私にとって偽らざる思いです。
「昔のやり方に戻せばなんとかなる」というのは、基本的にはもう考えない
方が良いのではないかと思うのです。

この項微妙に続く。

いつもお読み頂きありがとうございます。


どっちが良いのですかね?
2009.03.06

wristband.jpg

リストバンド。

おはようございます、これで「同じグループの人」をチェックしているそうです。
全員そろわないと出られないとか、子供メインの場所なので気を使っているようで。


社長さんにも本当に色々なタイプがいらっしゃいますが、こと自分の仕事に関して
どんな態度をとられている方がいるかな、と考えてみました。

・俺の仕事は良い仕事だ!と自信を持っているタイプ。
・今の仕事が好きでやっているんです!とやる気満々のタイプ。
・誰でも出来る仕事ですから、と謙遜しているタイプ。
・仕事はあくまでお金を手に入れるための手段でしかないので、というタイプ。

ざっと考えてこんな分類になりました。
で、どんなタイプが成功しやすいのか?
(ここでいう成功とは「利益をボチボチ出している」という意味合いです)

…私が知る限りでは、別にこの仕事に対する態度で成否が分かれているようには
思えないのです。


個人的には「好きでやっている仕事で成功できる」のが一番良いのだとは
思っているのですが、自分の仕事が好き過ぎて失敗している人も確かに
いるんですよね。
逆に淡泊過ぎて情熱が見られず、それが仕事に悪影響を与えているケースも
しばしば見受けられます。


どちらかというと「仕事の成果に対する評価」をきちんとしているかどうかの方が
成否には影響しているような気がします。
評価の手段は人様々です。
会計の数字を使う人もいれば、独自に集計表などを使っている人もいます。
常に客観的な視点を忘れてはならない、ということなのでしょうか。

よく「私もドつぼにハマっていないか」と気にはしているのですが…。
言うは易し行うは…精進致します。


いつもお読み頂きありがとうございます。


軍事書
2009.03.05

restroom.jpg

休憩所。

おはようございます、大人のみが立ち入れる部屋も用意されています。
定額で飲み放題、ネットにつながっているPCも用意されています。


これも多くの経営指南書で指摘されていることですが、現在の商業組織や
戦略の多くは軍事面から借用してきた概念が含まれています。
とかく有名な本としては

・クラウゼヴィッツ「戦争論」
・孫子の兵法

この辺りがとっても有名でしょうか。
二つの軍事書は結構性格が違うのですが、両者に徹底しているのは
「他者に対して自分をどのように立たせるか」ということにあります。
マーケティングの世界でいわれる
・セグメンテーション(狙う分野や範囲)
・ターゲティング(標的となる相手)
・ポジショニング(自分はどんな立ち位置なのか ex.市場のリーダー・挑戦者・ゲリラ等)
こんなのも元々は軍事辺りの概念が色濃く出ています。

先日読んだとあるマーケティングの本(軍事書を多く引用)では
「大事なのは自分がなにをやりたいかなどではない。
 周囲にどんな敵がいて、自分がそれにどう対処するかだ。」
と言いきっています。
(ここの所私がここで書いていること(問題は自分)とはまるで真逆のような話ですが、
結局は「自分がどこに動いて、何を守ろうとしているのか」という話です)


また、これも大体共通しているのですが「最後は図体がでかい方が勝つ」とも言われています。
本当に当り前のことですが、正面切って大きな敵に戦いを挑んでもまず勝ち目はないわけで。
世の多くの経営者は間違いなく小兵に該当するかと思います。
小兵が巨体をせん滅することはまず不可能ですが、部分的な勝利なら収めることができます。

如何に自分の領土を定めるのか、勝負はその時点である程度決まっているわけです。

いつもお読み頂きありがとうございます。


必死の人
2009.03.04

reitou.jpg

冷凍食品工場。

おはようございます、冷凍食品を製造しています。
実際にお土産として持ち帰ることができます。


昨日からの続き、必死になることについて。
皆さんは福本清三さんという方をご存知でしょうか?
大部屋俳優、所謂「その他大勢」役に自分の人生をかけた役者さんです。

時代劇で中心に陣取る主役は、斬られる人がいてこそ輝く事が出来ます。
私自身が先日経験して思いましたが、上手に斬られるのは本当に難しいです。
そして剣術では「斬り方」は教えてくれても「斬られ方」は教えてくれないのです。
従って「良い斬られ方」を自分で必死に考えなければなりません。


福本さんについて書かれた本が二冊あります。
氏は本の中で淡々と謙虚に自分のことを語ります。
生きて劇を終えることを許されない福本さん、正に「必死の人」です。

・如何に惨めに斬り殺されるかを常に考えている
・自分の仕事を必死にこなすことしかしてこなかった
・こんな自分の力でも人のために使えるなら嬉しい
全て氏の言葉です。


必死になることはカッコ良いことなのだと思います。

いつもお読み頂きありがとうございます。


介護業界の現状
2009.03.03

gasstand.jpg

ガソリンスタンド。

おはようございます、ここでは店員として働くこともできるし、お客にもなれます。
お客になるには、レンタカーを借りて車を運転する必要があります。


昨日からの続き、必死に生きることについて。
皆さんの周囲で介護業界で働かれている方はいらっしゃいませんか?
私もお客様の中に介護関係の方がいらっしゃいます。

現在の介護業界、特に介護の現場についていうと、働いている方々の限りない
善意によってなりたっているといえます。
安い給与、苛烈な労働状況、改善しない待遇、様々な困難が介護現場には
渦巻いています。

それでいてなお介護の現場で働こうとされる方達は多くいらっしゃいます。
生活がかかっているような方ももちろん多くいらっしゃいます。
しかし、その現場で働いているある方から聞いた言葉を簡単にご紹介。
こういった意識を持っている方が多くいるからこそ現場は成立しているのです。
(その方は以前は会社を営んでいたのですが、所謂定年と呼ばれる年齢になり
廃業し、今では介護現場で働かれています。)


(以下引用)
・会社を辞めて数ヶ月、ボーとしてたけど「これではいかん」と思いまして。
介護、辛いですけどね、実際に介護を受けている方を見ているとつくづく思います。
「働ける事は幸せなことだ」って。
人間は生かされているんだから、働ける限りは働くべきだと思います。
正直言って、金に関しては期待もしてないんですよ。
(以上引用終わり)


ここ最近、定年というものを見直す動きが出てきています。
そもそも60歳でもう働けない、という前提もおかしなことです。
私自身も本当にそう思っていますが、人間は動ける限りは仕事をしているべきです。
それは「金」のみの問題ではないと考えています。
だからこそ雇用に関しては大きな問題意識を持っているのですが…。

人は能動的に、必死に動いてこそだと思います。
この項続く。

いつもお読み頂きありがとうございます。


社会とのつながり
2009.03.02

kyumeikyugo.jpg

救命士さんが心臓マッサージをしてました。

おはようございます、救命訓練なんかで使うあの人形ですね。
子供が押すのは中々大変そうです。


昨日からの続き、すご~く嫌な方向から寄付やエコについて考えてみます。
どんな活動でも、穿った見方をすれば偽善にはなるものですが。

特に「エコ」と呼ばれるものについて思うのですが、言い訳にされている気がするのです。

「スーパーのレジ袋を断った私ってなんて地球のことを考えているのかしら!」

実際に行動していない人よりは確かに立派でしょう。
しかし、それで終わりで良いのですかね?
確かに地球規模の変動に対して個人ができることは小さいものです。
そして「皆がやれば良いのだ」という理屈もわかります。

しかし、では「やるべきこと」は「それだけ」で良いのでしょうか?
その人にとって本当にやるべきことは「レジ袋を断る」ことなのでしょうか?
もっと社会のためにやるべきことはないのでしょうか?


上手く言語化できないのですが、私はもっと一人一人がやるべきことを
しっかりと考える必要があるのではないか、と思うのです。
エコは確かに立派なことなのでしょうし、尊いのかもしれません。
寄付だって同じです。
しかし、ではそういった行為さえしていればその人が社会の役に立っているのか、
と問われると大きな疑問を持っています。

人のために働く、社会のために動く、これらの行為はもっと必死にならないと
出来ないことのような気がするのです。


私が歪んだ考え方なのだろうとは思いますが、私自身はいつもこんなことを
考えながら生きています。

こんなことを思うのは、最近そういった話をよく聞くようになったからです。
一つは介護の世界で、そしてもう一つは殺陣の世界で。
少しその話でも。
この項続く。

いつもお読み頂きありがとうございます。


豊かである証拠
2009.03.01

syueisya.jpg

集英社の雑誌です♪

おはようございます、今でもあのCM、あるのでしょうか。
ジャンプも買わなくなって久しいですなぁ…。


昨日からの続き、寄付金などに対する考察。
他人のために自分の力を使おうという行為は尊いものです。
そしてそんな思いは「自分がある程度満たされ、余裕がある」ことが必要である
ことは容易に想像ができます。
本当に当り前ですが、自分が食うや食わずの状態で寄付をしようなどとは
まず思わないでしょう。

ここにきて、本当に寄付関係の資料をお預かりすることが増えたように感じます。
年齢・性別問わず寄付をされているようです。


素直に解釈するのであれば、世代を問わず皆が豊かになっている、という
ことの表れなのかもしれません。
自分の生活に満足し、必要以上の金銭を稼ぐことにあくせくせず、ゆとりのある
生活を送ることを目的とする人が増えたように感じられます。

「ワークライフバランス」という言葉が語られ始めて少々時間が経ちましたが、
一部では実践が進んでいるということなのかもしれません。
また、仕事=金銭という単純な理解ではなく、仕事=生き甲斐のように
仕事をプラス思考で考えることができる人も増えたのかもしれません。


と、ここまでプラス思考で考えてみました。
明日、少々穿った見方をしてみたいと思います。
この項続く。

いつもお読み頂きありがとうございます。