夢をかなえるゼイ! 脱サラ編 その2
脱サラのお話なので、会社勤めしてからのことを書こうと思いましたが
その前のこともお話しておかなければいけませんね。
「夢」のことを書こうとしたら、やはり時計の針をもっともっと前に
戻さなければいけません。
社会人とは「夢」を忘れてしまう悲しい人種ですから・・・。
昭和59年、私は早稲田大学商学部に入学しました。
以前も書きましたが、高校時代に囲碁とバスケットボールに夢中になり、
残念ながら、現役合格することはできませんでした。
一年間真面目に予備校に通った結果、何とか早稲田にもぐりこむことが
できた訳です。
ただ、商学部に入って税理士を目指そうと「間違っても」
思ったことはありません。
子供の頃、漠然と「弁護士」になりたいと思ったことがありました。
でも昔子供の頃夢見た「弁護士」という夢は、
いざ大学に入る時に何となく覚めていたようでした。
一応、中央大学と慶応大学の法学部にも合格していましたが
法学部には何故か進みませんでした。
「早稲田が好きだったから・・・」
今思えばそれだけの理由だったと思います。
「自分は何をしたくて大学に入ったのだろう?」
そう自問しながら大学に通いました。
その頃よく読んだ本は、五木寛之の「青春の門」でした。
何度も何度も読み返したと思います。まさに私の青春の本です。
主人公伊吹信介は「何を自分は目指すのか」それを確かめるために
生まれ故郷の筑豊から早稲田に入学します・・・。
自分と重なるところがあり、ものすごく共感した覚えがあります。
まだ学生でもあり、伊吹信介と同様、まだまだ「夢見る夢子さん」だったのでしょう。
その頃早稲田の商学部には「会計学会」という
会計士や税理士を目指す集団があったらしい!?です。
ただそういう集団には一切関わらず、相変わらずバスケットボールに
熱中していました。
バスケットボールの練習が終わると、授業には出ることなく高田馬場に出て
「さかえ通り」のたまり場に、たむろしていました。
今も昔も変わらない「さかえ通り」も私の青春の地です・・・。